第九章:揺れる影
翌朝、いつもの待ち合わせ場所には、雪城飛鳥が先に立っていた。柊木康介が近づくと、飛鳥が手を振り、笑顔を見せる。
「おはよう、康介くん。」
「おはよう、飛鳥。」
二人は歩き出したが、康介はどこかぎこちなかった。昨日の出来事がまだ頭の中に残り、どう接していいか分からなかったのだ。飛鳥も康介の変化に気づいたのか、ふと立ち止まった。
「康介くん、大丈夫?なんだか元気ないみたいだけど。」
「いや、大丈夫だよ。」
康介は軽く笑ってみせたが、その笑顔はどこか作り物のようだった。飛鳥はじっと彼を見つめ、口を開いた。
「昨日、話を聞いてくれてありがとうね。康介くんがいてくれるだけで、すごく心強いって感じたんだ。」
その言葉に、康介の胸が熱くなる。しかし、同時に彼の中にはある種の罪悪感が芽生えていた。飛鳥が自分を頼りにしてくれるのは嬉しい反面、彼女が親友である須賀野圭一と付き合っているという事実が重くのしかかる。
学校に着くと、教室はいつも通りのざわめきに包まれていた。康介は席に着き、鞄から教科書を取り出す。すると、後ろの席に座る圭一が明るい声で話しかけてきた。
「おーい、康介!昨日、飛鳥とどこか行ってたんだろ?」
「えっ……どうしてそれを?」
圭一は笑いながら肩をすくめた。
「いや、飛鳥が楽しそうに話してたからさ。買い物に付き合ってもらったって。」
康介は一瞬言葉を失った。飛鳥が圭一にそのことを話したのは予想外だった。しかし、圭一の態度には何の疑念もないように見える。
「そ、そうなんだ。特に何もなかったけど。」
「まあ、飛鳥に頼られるなんて羨ましい限りだよ。」
圭一は笑いながら話し続けたが、康介はその言葉に心が揺れた。親友である彼を裏切るような気持ちが、自分の中に芽生えていることに気づいてしまったからだ。
昼休み、飛鳥が康介を誘って中庭に出た。そこで彼女は鞄から小さな紙袋を取り出し、康介に手渡した。
「これ、昨日のお礼。大したものじゃないけど……。」
袋の中には、可愛らしいクッキーが入っていた。康介は驚きつつも、笑顔を返した。
「ありがとう。こんな気を使わなくてよかったのに。」
「ううん、感謝の気持ちだから。それに……康介くんには、いろいろ助けてもらってるから。」
飛鳥の言葉に、康介は何と答えていいか分からなかった。ただ、彼女の優しさが心に響くと同時に、その優しさが自分を苦しめてもいた。
「ところで、圭一には何て言ったの?」
「普通に、康介くんと買い物に行ったって話しただけだよ。隠すようなことでもないしね。」
飛鳥の無邪気な言葉に、康介は胸が痛んだ。彼女にとっては何でもないことでも、自分には深い意味を持つ。それが圭一との友情を揺るがす可能性を秘めているからだ。
放課後、康介は一人で帰る道を選んだ。飛鳥に「今日は用事がある」と言い訳をし、逃げるようにその場を離れたのだ。胸の中には自己嫌悪と葛藤が渦巻いていた。
「俺は、何をしてるんだろう……。」
家に着くと、机に向かって宿題を片付けようとしたが、全く手につかなかった。飛鳥の笑顔と圭一の言葉が交互に浮かび、心を乱していた。
その夜、布団の中で康介は静かに目を閉じた。だが、眠りにつくことはできなかった。心の中で、飛鳥への想いと親友への罪悪感がせめぎ合い続けていたからだ。