第三章:揺れる心
翌朝、柊木康介は重いまぶたを押し上げるようにして目を覚ました。昨夜はほとんど眠れなかった。雪城飛鳥の言葉が何度も頭をよぎり、心の整理がつかなかったからだ。彼女が親友の須賀野圭一と付き合っている――それは康介にとって受け入れがたい現実だった。
「いつもの時間だ… 行くか。」
ベッドから体を起こし、制服に着替えながら、康介はため息をついた。これから飛鳥と一緒に学校に向かわなければならない。その事実が彼を一層憂鬱にさせた。
家を出ると、いつもの待ち合わせ場所にはすでに飛鳥が立っていた。制服姿で柔らかな笑みを浮かべる彼女を見て、康介の胸は複雑な思いでいっぱいになる。
「おはよう、康介くん。」
「おはよう、飛鳥。」
ぎこちなく返事をしながら、康介は彼女の隣に並ぶ。飛鳥は特に気にする様子もなく、軽快に話しかけてくる。
「昨日の夜、なかなか眠れなくてさ。新しい環境ってやっぱりちょっと緊張するよね。」
康介は飛鳥の言葉に軽く頷くだけだった。普段なら彼も会話を楽しむところだが、今はそんな気分になれない。飛鳥はそれに気づいたのか、少し首をかしげた。
「康介くん、大丈夫?なんだか元気ないみたい。」
「いや、大丈夫だよ。ちょっと寝不足なだけ。」
彼女の問いにそう答えるが、飛鳥の視線は鋭く、康介の言葉の裏を読み取ろうとしているようだった。それでも、深く突っ込むことなく話題を変えてくれるあたり、彼女の優しさを感じる。
学校に着くと、昨日の緊張感とは少し違う雰囲気が教室に広がっていた。新しいクラスメートたちも、少しずつ打ち解け始めているようだ。康介も軽く挨拶を交わしつつ、飛鳥と並んで自分の席に向かった。
午前中の授業が終わり、昼休みになると、飛鳥が突然康介を呼び止めた。
「ねえ、康介くん。一緒に屋上行かない?」
「屋上?」
「うん、ちょっと風に当たりたくて。二人で話したいこともあるし。」
その提案に驚きつつも、康介は頷いた。屋上はまだ多くの生徒が知らない隠れた場所のようで、静かな空間が広がっていた。飛鳥は手すりの近くに立ち、遠くを見つめている。
「康介くんには、ちゃんと話しておきたいことがあるの。」
飛鳥が振り返り、真剣な表情で康介を見つめる。その瞳に込められた感情を前に、康介の心臓が大きく跳ねる。
「私ね、圭一くんと付き合ってるって言ったけど、本当はまだ分からないの。」
「分からないって…?」
「圭一くんのことは好き。でも、それが本当に恋なのか、自分でも分からないの。」
飛鳥の言葉に、康介は戸惑った。それは彼女の心が揺れている証拠であり、同時に希望のようにも感じられた。
「康介くんには、そういう経験ある?本当に好きってどういうことなのか、分からなくなること。」
康介は答えに詰まった。自分の気持ちは明確だった。飛鳥が好きだ。それ以上でも以下でもない。しかし、それを今伝えるべきではないと直感的に感じていた。
「正直、分からないな。でも、飛鳥が悩んでるなら、俺で良ければ話を聞くよ。」
その言葉に、飛鳥はほっとしたように微笑んだ。
「ありがとう、康介くん。やっぱり君がいてくれると安心する。」
飛鳥のその言葉が、康介の心をさらに揺さぶるのだった。