アサちゃん観察日記
シエリアの暮らすクランドール王国は温暖で室順な温帯に分類される。
一年を通して暑すぎず、寒すぎない。
とても暮らしやすい地域と言えた。
ただ、季節感という概念が住民には無かった。
かつての国王はこれを憂い、期間ごとに異なった花を植えることを奨励した。
最初、国民は不満をもらした。
だが、やってみるとまんざらでもなかったらしく、今ではすっかり定着した文化だ。
季節変わりに咲く様々な花は民の心を癒やした。
シエリアの店も一定期間ごとに花の種を仕入れている。
少女は一足はやく届いた箱を開けた。
「今季は…ティアーズ・アサガオだね」
この花は支柱に巻き付いて縦長に成長する。
花が咲くとそこから涙のように甘い蜜をポロポロと零す。
これは人体に無害でとても美味である。
そのため、子どもたちの観察日記の対象としても人気がある花だ。
シエリアは種に問題がないか、かなり早めに植えて試すことにしている。
まっさきに目にとまったのは大き目な種である。
見る限り、大きさ以外は他と同じ色、同じ模様だった。
「一回り大きいなあ。まぁ、工業製品じゃないんだから斑があって当たり前だよね。じゃあこの子にしようか!」
少女は店で扱っている植木鉢付きのアサガオ育成キットを取り出してきた。
そして土と肥料を混ぜて大きい種を植えた。
「よーしよしよし。大きく育つんだよ〜〜」
この植物は暗所でも育つという特性を持っている。
故に家の中で成長させることも可能だ。
店先に鉢を置くと邪魔なので少女はカウンター裏に置くことにした。
涙のアサガオの生育は妙に早く、3日ほどで発芽した。
シエリアは課題でもないのに観察日記をつけて、とてもその花を可愛がった。
「ふんふふ〜ん♪ アサちゃ〜ん。なんか成長が早いねぇ。すくすく育つんだよ〜」
小さなつぼみがその植物に芽吹いていた。
少女はマグロの目玉クッキーをかじりながら、残った欠片をひらひらと芽に向けた。
「アサちゃんも欲しい? なーんてね」
店主は何気なくクッキーをカウンターに置くと、店じまいを始めた。
最後の点検のとき、彼女は少しだけ気になることがあった。
「あれ? クッキーどこにいったっけ? たしか、ここらへんに置いたような気が…」
カウンターにはなにも残っていなかった。
「う〜ん、気のせいかな。どうせ私が食べちゃったんだろう。誰かがいじるわけでもないし…」
こうしてシエリアはこの日の営業を終わりにした。
だが、その日から怪現象が起こるようになった。
朝起きてくるとアサガオの鉢が倒れていたのである。
誰かがぶつかるわけでもないし、風が吹くわけでもない。
"アサちゃん"が駄目になったかと思って少女は駆け寄ったが、特にダメージはなかった。
何故倒れたのかわからないが、アサガオが無事ならいいだろうと少女はあまり気にしなかった。
だが、またもや異変が起きた。
明らかに駄菓子の数が減っている。自分がつまみぐいした数より多い。
なぜだか、チョコ類の減りが激しかった。
昨晩はしっかり施錠したし、開けられた様子もない。
万引きをするような客も居ない。
それなら、なぜ商品が減ったのかと少女は考え込んだ。
やがて開店の時間が来たので、シエリアは雑念を払って仕事を始めた。
その後、数日間は怪現象は起きなかった。
そんな中、ある日の夕暮れに"アサちゃん"が花を咲かせた。
それを見て手塩にかけて育てた少女は歓喜した。
「わああ〜!! 無事に咲いたぁ!! はあ〜、綺麗だなぁ。そろそろ涙を流すかな?」
観察する少女にパン屋のおばさんが声をかけてきた。
「ああ、ティアーズ・アサガオかい。早いけれどいい華だねぇ。あ、それはそうと、ニシンのパイが余ってね。よければ食べてよ」
このおばさんはお得意様で、よくし差し入れをくれるのだ。
ペコリとシエリアはお辞儀した。
「毎度ありがとうございます!! カウンターに置いておいて下さると助かります」
パン屋の婦人はバスケットを置き、ひらひらと手を振って帰っていった。
まだ閉店まで少し時間があるので店主はカウンターでつまみ食いすることにした。
この時間帯は客もまばらなのでゆっくりできた。
もっとも依頼が来たらすぐに対応しなければならないが。
「手を洗って、お茶をいれてこよう!!」
彼女は店奥の休憩用に置いてあるお茶のセットを取り出してきた。
「ん? あれ、ポットが空っぽだ。おかしいなぁ入れて置いたはずなんだけど…」
裏から出てきた少女はカウンターを見て驚愕した。
「え…? あ…にしんのパイが…無い⁉」
確かに置かれていたはずのパイがバスケットごと消えていたのである。
裏路地には全く人の気配がなかったし、今もない。
この短時間で盗まれるというのも考え難い。
そもそもこの通りで泥棒の類というのは聞いたことがなかった。
ここのところシエリアは気を抜いていた。
だが、目に余る数々の''事件''を看過することができなくなった。
「無くなった物は全部、食べ物。店を開けていても閉めていても無くなる。…内側から? なにか動物でも住み込んでるのかな? う〜ん、わからないなぁ。とりあえず食べながら考えよっと」
彼女はマグロの目玉クッキーをかじりながら、汲み直したポットから水を注いだ。
その瞬間、彼女に電撃のような閃きが走った。
「ティーカップに…これは、かすかな泥!! そして植物の根!!」
少女は''アサちゃん''の観察日記を食い入るように見返した。
「大きな種、異常な成長速度、勝手に倒れる。それでも弱らない強靭さ。店の中から食べ物や水を摂取、そして甘いものばっか食べる!!」
シエリアはおもわず後ずさった。
「この子はアサガオじゃない!! 甘食植物のピーリィが擬態してたんだ!!」
少女は碧眼を見開いて指を指した。
その先の植物は花びらを開いて口をパックリと開けた。
そして舌を伸ばし、器用にパイだけをつまみ食いしていた。
「う〜ん、人畜無害だけど大食漢だからなぁ。植物検疫にひっかかっちゃうんだ。ごめんね''アサちゃん''…」
こうして事件の犯人は植物保護官へと引き取られていった。
解決したシエリアに対する温情で、このピーリィは処分されずに植物園行きになった。
すぐにこの事件は国中を騒がせた。
幸い、かなり早い時期にタネの問題が発見された事によって、それ以降の被害はほとんど無かった。
シエリアの店が国中から注目される恐れもあったが、知らぬ間にもみ消されていた。
今回は依頼主が居ないのにトラブルがやってきた。
油断してはいけないなとシエリアは気を引き締めるのだった。
''アサちゃん''がピーリィだとは思っても見ませんでした。
……でも、早い時期にわかってよかったなと思います。
街中のお菓子やパンが食べられてしまうので。
流石に甘いものが無くなったら困っちゃうな…というお話でした。