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76話 断罪


「ヴォルテール殿、お前がミルカに惚れていることはよく分かった。だが、私も紳士だ。同胞がそんな女のために道を踏み外すのを、ただ黙って見守るのは忍びない」

「……何だと?」

「その女は傷物だ」


 きずもの、という言葉が、心の深くに突き刺さる。

 その痛みが告げる。ハンスは私の背中の傷を知っている、ということ。


(だめ、その先は、言わないで)


 請う言葉は声にならず、私は喉を締め上げられたように、何も言うことができずにいる。

 ハンスの口が、にちゃり、と音を立てる。


「その女には――」


 しかし、その先は言葉にならなかった。

 傍らのブランカとイスクラが牙を剥いたからだ。

 私が止めるより先に、カイルが、唸り声を上げ始めた。

 牙を見せながら尾の鱗を全て逆立てる。そうして爪を地面に食い込ませ、ハンスを睨みつけている。


(アルファドラゴンが、人間に牙を見せた!)


 それは紛れもない敵意のしるし。

 今すぐにでもお前を噛み砕くことができるという、示威行為。

 普段であればすぐに止めなければならない。人は攻撃対象ではないのだから。

 けれどヴォルテール様は止めなかった。


 それで、全てが決まった。


 アルファドラゴンの命令に従い、空を舞っていたドラゴンたちは、ホバリングしてその場にとどまりながら、ハンスに牙と爪を向けている。

 王宮のドラゴンたちでさえ、状態が良いとは言えない牙を剥きだしにしてハンスを睨みつけていた。

 ドラゴンの唸り声が多重奏を奏でている。

 だがこの多さ、お腹に響く声の大きさは尋常ではない。


「待って、他にもいるわ。これは、野生のドラゴン……!?」


 森の陰から飛び出してきたのはラジャニ・カラ種のドラゴンの群れだ。

 彼らは上空をはやぶさのように飛び回りながら、ハンスに目を据えて鳴き叫んでいる。

 雪上を屈強な足で走るのはマゼーパ種。小型ではあるものの、数十頭を超える群れが物凄い速さで駆けてくるので、地響きが凄い。

 彼らはこの地域を統べるアルファドラゴンの要請に応じ、ここへはせ参じたのだ。全ては、ハンスという人間を脅すために。


「見ろ、ミルカ嬢。ここにいるドラゴンは皆、あなたの名誉を守るために集まった」

「私の、ため?」

「『我らドラゴンの理解者たる人間をこうも罵倒されては、黙ってはおれんだろう。舐めた真似をしてくれたものだ。その代償。支払ってもらうぞ』」


 全方位を、敵意を剝き出しにしたドラゴンに囲まれたハンスとその私兵団。

 ハンスは目を見開き、がたがたと震えながらへたり込んだ。

 ドラゴンたちが一斉に襲い掛かれば、命はない。

 それどころか、遺体すら残らないかもしれないからだ。

 ヴォルテール様は無様なハンスを見下ろしながら告げた。


「安心しろ。殺さない。お前はドラゴンの爪を汚す価値のない存在だ。――だが、社会的には死んでもらう」


 そう言ってヴォルテール様が目配せすると、いつの間にかやって来ていたタリさんが姿を現した。

 その手には小さな手鏡がある。

 豪奢な彫りが背面に入ったその手鏡を、タリさんがハンスの方に向けた。


『ハンス』

「そ、その声は……父上!?」


 手鏡から響く声は、何と国王陛下のものだった。

 私も数回しか会ったことはないけれど、聞き間違えようがない。

 ヴォルテール様がカイルに目配せし、唸るのを止めさせた。アルファドラゴンが口を閉じると、そこにいた全てのドラゴンが唸るのを止めた。国王陛下に敬意を表しているのだ。


『最初から全て聞いていた。お前が婚約者にした仕打ちも、お前が多額の金を自らの名誉欲のために使っていたことも、全て。そこの北方辺境領主が、お前の帳簿を送って来てくれたからな』

「帳簿を……!?」

『デザストル商会への多額の支援。私は許可していなかったはずだ。王宮のドラゴンの飼育も、お前の独断と偏見で台無しになってしまった』


 ハンスの手が激しく震え始めた。


(国王陛下の声、なんて冷たいの。実の息子に対するものとは思えない……)


『これほどドラゴンに疎まれる人間が、ドラゴンをシンボルとする我がセミスフィア王国の王座につけるわけがない』

「ち、父上、違うのです。これは……違う……ッ」

『大人しくしていれば良かったものを。王宮に帰って来ても構わんが、居場所などないと思え』


 国王陛下は退屈そうにそう言うと、口調を改めた。


『北方辺境領主、ヴォルテール・バルト。王室内の妙な金の流れを突き止めた対価として、約束通りその十七頭のドラゴンは貴殿に預けよう。よく育てよ』

「承知いたしました」

『そして、かつて王宮ドラゴン飼育人であった娘、ミルカよ』

「はい」


 私は恐る恐る前に出る。手鏡を通じてこちらの姿が見えているのだろう、国王陛下の声に微かな苦笑が混じる。


『そう緊張するな。我が息子がそなたから取り上げた、アールトネンの名を返そう』

「え……。い、今、何と」

『アールトネン家を再び名乗ることを許す、ということだ。ドラゴンに関するそなたらの知見を無くすのは惜しいし、何より二頭ものドラゴンに愛される娘に報いずして、どうしてセミスフィア王国の王を名乗れようか』


 最初に胸にこみ上げてきたのは、強烈な安堵だった。


(良かった。お父様たちがやって来たことを、私の代で無に帰すようなことにならなくて良かった、ああ、本当に……!)


『プラチナドラゴンについては依然解明できていないことが多い。引き続きの研究を頼む』

「は……はいっ! 承知いたしました。励みます」


 そうして国王陛下との会話は終わった。


「父上? 父上っ!」


 ハンスが何度か呼びかけるが、応答はない。

 雪上にへたり込んで、何度も叫ぶ姿は、滑稽というよりもかわいそうだった。


(これでも、昔は婚約者だった。ひどいことをされたけれど、優しい言葉をかけられたことも、なくはなかったのよね……)


 そう思ってハンスに近づこうとすると、ぎろりと睨まれた。


「お前のせいだ。お前のせいだお前のせいだお前のせいだ!」


 うわごとのように繰り返しながら、ハンスがよろよろとこちらに駆け寄ってくる。

 彼は定まらない眼差しのまま、震える手で短剣を抜いた。

 すっと前に出たのはブランカとイスクラだ。


 だが、彼らの手を煩わせることはなかった。


「お前さえいなければ――」


 言いかけたハンスの姿ががくりと揺らいだ。

 ビシ、ビシっという硝子が割れるような音と共に、彼は白い雪面にぞぶんと沈みこんでいった。


 そう――雪に隠れて分かりづらいが、ここは凍り付いた湖の上だ。

 春の足音が聞こえつつある今、大人数が湖の上に立っていたこともあり、氷が緩んでいたのだろう。

 ハンスはその氷を踏み抜いて、湖の中に落ちてしまったのだ。

 私たちは一瞬、誰も動けずにいた。ハンスの部下である私兵団もだ。


「っ、助けなきゃ!」

「待て、ミルカ嬢! 氷が割れる可能性がある!」


 ヴォルテール様はカイルの背中に飛び乗った。

 飛べるドラゴンは皆背中に人間を乗せて空中に飛び立ち、野生のマゼーパ種は軽やかに氷上を駆けて去って行った。

 私は、といえば。


「『ミルカ』『イスクラに』『乗る』!」

「『ミルカ』『ブランカに』『乗る』!」


 どちらが私を乗せるか、イスクラとブランカが喧嘩するのをなだめなければならなかった。

 緊急事態だったので、私は咄嗟に、先程までハーネスをつけていたイスクラに飛び乗った。

 イスクラが舞い上がった瞬間、氷がひび割れる音がすぐ足元で聞こえたので、危ないところだった。


 私たちはドラゴンを低空飛行させ、ハンスを助けようと試みた。

 だがハンスの姿を見つけることはかなわなかった。

 彼は浮き上がることもなく、そのまま行方知れずとなってしまった。氷の上に薄い雪が積もっているせいで、よく見えなかったのだ。

 魔法を使って探せないか、とカイルとイスクラとブランカに頼んでみたのだが。


「『いくらミルカの頼みでも、それは聞けない』」

「『同意』」

「『あいつ』『そのまま』『平和』」


 と、断られてしまった。

 私は日が暮れるまで粘ってみたけれど、ついにハンスの姿を見つけることはできなかった。


 冷え切った体でヴォルテール様の屋敷に帰る。


「おかえり、ミルカ嬢。寒かっただろう。ラム酒入りのホットミルクだ」


 そう言って温かいカップを差し出すヴォルテール様の手は、やけに冷たい。

 きっと、窓辺で私のことを待ってくれていたのだろう。私はカップを受け取らず、そのまま両手でヴォルテール様の手を包み込んだ。


「……ハンスの姿は見つけられませんでした」

「そうか」

「彼は、確かにひどいことをしましたけど。……誰にも見送られずに、あんな寒いところで、独りではかなくなってしまうほど、ひどいことをしたのでしょうか」


 ヴォルテール様は答えずに、ただ私の額に口づけた。


「あなたが心を悩ませることはない。今は休みなさい。ブランカもイスクラも、あなたと一緒に寝るのを楽しみにしているだろう」


 そうしてヴォルテール様は、思い出したように付け加えた。


「もちろんこの私も、あなたと共に眠る栄誉を賜ることができれば嬉しく思っているが」


 私は思わず笑いながら答えた。


「ドラゴンたちの後になってしまいますけれど。いつか、必ず」

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