35. ヴォルテール・マルウィーヤ
「タリさんがいらっしゃらないと大変ですね」
「こんなところであいつの有能さを思い知る羽目になるとはな。ケネスはこういう仕事に適性がないし」
「得手不得手はありますよね。タリさんはまだお戻りにならないのでしょうか」
「どうだろうな。本格的な冬になるまでには戻るだろうが」
「この冷え込みで、まだ本格的な冬ではないのですか」
持っている上着の中で、一番暖かいものを着こんでいるのに。
びっくりしていると、ヴォルテール様がにやりと笑った。目の下のくまと相まって、何だか凶悪な人相だ。
「北方辺境では涙も凍るぞ。だが、全てが雪に沈む景色は、そう悪いものではない。いずれミルカ嬢の新しい上着も仕立てさせよう」
「いえ、ご心配には及びません。ギムリさんが御用達のお店を教えて下さるそうで」
「先を越されたか。では私からは、夜会用のドレスを贈るとしよう」
「先日頂いた頂いたドレスで十分です、ヴォルテール様」
「だがあれは秋用の室内着だ。冬用の夜会服と室内着はまた別に誂えなければならん。冬に秋の服を着るのは少々野暮ったいからな」
私は少し恥ずかしくなった。
(実用一辺倒かと思ったら、そういうことも気になさるのね。いえ、季節感を気にしない私が、女として失格ということなのかも……。ヴォルテール様には、あんまり失望されたくないのだけれど、上手くいかないわね)
恥ずかしさをごまかすように、類にペンを走らせていると、早速分からない箇所が出てきた。
聞けば前の年の書類は、壁際の棚に収められているということなので、それを確認する。
年度ごとにきっちりとまとめられた書類は大変見やすく、あちこちにヴォルテール様のサインや筆跡が伺えた。
「そう言えば、ヴォルテール様はいつから北方辺境の領主をされているのですか」
「十年ほど前だな」
「じゅっ……? し、失礼ですがヴォルテール様は、二十代後半……でしたよね?」
「こう見えて二十六だ。十六の頃からここに座っている」
ひえ、と声が漏れた。
(十六歳の時から北方辺境を治めているなんて! 今の私と同じ年ってことよね!? 私には絶対できない)
「どっ……どうしてそんなお若いうちから」
「なに、追放された腹いせだ。家も取りつぶされて、することがなかったんでな」
「することがなかった……。暇つぶしということですか」
「そう言われると怒られるだろうがな。ああ、教えられたことを活かしてみたかった、というのもある。……結局は『自分はあいつよりも上手く政治ができる』という自尊心を満たすためだったのかも知れないが」
「あいつよりも?」
首を傾げる私を見、ヴォルテール様は疲れたような顔で笑った。
「私も王宮から追放されてきたんだ。第一皇子との皇位継承権争いに敗れて、な」
「第一皇子との皇位継承権争い……? まさか、ヴォルテール様はマルウィーヤ家のご出身でいらっしゃるのですか」
「ああ。今名乗っているバルトという姓は、母方の苗字だ。もっともその家も断絶しているがな」
マルウィーヤ家。先々代の皇帝を輩出した家であり、現皇帝ヴォーハルトの一族とは親戚であった。
――そして、十年前に途絶えた。
理由は単純だ。全員毒殺されて亡くなったから。
毒味役の男が、国外の貴族に買収され、マルウィーヤ家の人間が一堂に会する席に毒を盛ったというのが表向きの理由だ。
しかし、王宮の人間は知っている。それは嘘だ。
なぜならば、マルウィーヤ家が途絶えて得をする存在、それはヴォーハルト家に他ならないからだ。
誰もそれを証立てることはできないし、今の皇帝が罪深い存在であると糾弾することもできない。
ただ、ある一族が滅びた。私たちが知り得ることはそれだけだ。
「当時、私はまだ六歳でしたが、王宮がとんでもない騒ぎだったのを覚えています。街にはずっと黒い旗が掲げられていて……」
「覚えている。家じゅうが黒く塗りつぶされる様を。全ての家財道具が運び出され、燃やされる光景を」
ヴォルテール様はどこか遠くを見つめるように目を細めている。
私は、かける言葉を見つけられなかった。
(だって、皆毒殺されたって聞いたもの。私も父やアーニャたちが毒殺されたら……正気でいられるか分からない)
「私はヴォーハルト家と同じように、皇帝教育を受けて育った。ヴォーハルト家の長男と私、優れた方が皇帝になるのだと、無邪気にもそう思い込んでいた」
「……」
「だが、優れたものが勝つとは限らない。最後まで立っていたものだけが勝者なのだ」
それはドラゴンにも通じる話だ。爪あるものが常に勝つわけではない。
「結果としてマルウィーヤ家は途絶え、私はマルウィーヤ家が帳簿を改ざんしたとかいう適当な罪を被せられて、ここへ流された」
「……ヴォルテール様まで毒殺されなかったのは、どうしてだったのでしょう」
「さあな。見せしめだったのかも知れない」
「ひどい……」
私が呟くと、ヴォルテール様が口元を緩め、自嘲的な笑みを浮かべた。
「もっと私がしっかりしていれば、家族は毒殺などされずに済んだのに、と思う時がある。マルウィーヤ家が途絶えることもなかったのに、と」
「あ……」
比べるのもおこがましいが、ヴォルテール様も私と同じようなことを考えていたのだと思うと、不思議な気持ちになった。
嬉しいというのではない。ただ、何かが腑に落ちた。
「だからヴォルテール様は、私に優しくして下さるのですね。同じことを考えたから。でも、マルウィーヤ家が途絶えてしまったのは、あなたのせいではありません」
「その言葉をそっくりそのままあなたに返そう」
「私の状況とは比べ物になりません」
そう返事をしたら、なぜかヴォルテール様はくすっと笑った。
「同じだよ。我々はもがいても這い上がれぬ蟻地獄に落ちてしまった。だがそこから這い上がれなかったことは罪ではなく、単なる結果だ」
「単なる、結果……」
「幸運にして命を拾った私は、北方辺境から新たな一歩を踏み出した。ここに流れて来たあなたも、新しい道を見つけつつあるだろう」
「はい。ドラゴンの世話はやはり楽しいです」
「ならば過去など悔やんでいる暇はない。前進あるのみだ」
前進あるのみ。
その言葉がなぜか胸にしみた。多分北方辺境に来て、色んな新しい出会いがあったからだろう。
(色々と新しいことを知って、自分に出来ることが分かって……。確かに、前よりは後悔することがなくなった、けど)
こんな私をお父様が見たら、どう思うだろう。
情けない娘だと思うだろうか。調子に乗るなと叱られるだろうか。
(やっぱりまだ怖い。家を潰してしまった自分が、後悔しないなんて、いけないことなんじゃないかしら)
返事ができずにいると、ヴォルテール様が少しおどけたような声で言った。




