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5分で読めるSS 「双曲線」

作者: 文海マヤ
掲載日:2022/06/16

三つのキーワードから生まれるショートショート。


キーワード


「呪い」「歪み」「救い」



※別名義Twitterに掲載したものの改稿版になります。

 花が咲いていた。


 ぬるりとした泥の合間に、薄らと青く染まった睡蓮(すいれん)が、まるで弾けるようにして顔を出していた。


 私はそれを見ながら、ほう、と息を吐いた。酸味を感じるほどに(あか)い、ある日の夕暮れのことだった。


「あ、お姉ちゃん、こんなところにいたの」背後から、声が聞こえる。「もう、お葬式終わっちゃったよ」


 それは、妹の声だった。久しぶりに聞くそれは、いつも着ていた、お古のセーラー服姿を想起させた。

 しかし、私の涙腺はもう()れ切っていて、(うる)むことすらない。


「知ってるよ、それが耐えきれなくて、抜け出してきたんだもん」


 私は、言いながら一歩踏み出した。それと同時に、妹も一歩を詰める。


「……お姉ちゃん、逃げようとしてるでしょ」


 不貞腐(ふてくさ)れるように、妹はそう口にした。


「逃げてなんかないよ、私は」


「嘘。だったら、どうしてお葬式に来なかったの」


「お線香の匂いが、嫌いだから。あれはさ、きっと、あっちの世界の空気が漏れてきてるんだよ」


 小さな嘘だ。

 本当は、お婆ちゃんちで鼻先に漂う、線香の香りは好きだった。


 いつからだろうか。好きなものが嫌いになったのは。


 大人になると、本当のことを言うのが、ちょっとだけ難しくなってしまうのだ。


「それでも、顔くらいは出せばよかったじゃない。叔父さんだって、最期にお姉ちゃんに会いたかったと――」


「思わないよ」私は(さえぎ)るようにして言う。「死者はなんにも思わない」



 それは自分に言い聞かせる言葉でもあったのだろう。しかし、妹は構わずに口を開く。


「だとしたら、どうしてここにいるの? 私たちにこの場所を教えてくれたのは、叔父(おじ)さんだったじゃない」


 私たち姉妹が、この湿地を初めて訪れたのは、確か、私が中学校に上がる少し前のことだ。


 ――蓮の花びらを数えなさい。辛いことは、そうしている間に行き過ぎてしまうから。


 そう教えてくれたのも、確か、叔父さんだったか。


「……お姉ちゃん、ヤなことがあると、いっつもここに来てた。彼氏にフラれたときも、テストで赤点取ったときも、楽しみにしてたライブが雨で中止になったときも、いっつもずぶ濡れでここにいたよね」


「他に、知らなかったから。私は花びらを数えなければ、きっと、みんなの輪の中に入ることにすら耐えられなかったの」


「なら、今はどうして、花に見向きもしないの?」妹は、わざとらしく首を傾げた。


「だって、叔父さんは首を(くく)る前に、花びらを数えたりはしなかったもの」


 さあっ、と。

 風が吹く。湿地に吹き抜ける一陣は、どうにも清々しいとは言えない。湿った風が、私の前髪を不快に貼りつかせた。


 妹は、そんな私を宥めるようにして近づいてくる。私は、その分だけ前に進む。

 彼我(ひが)の距離は変わらない。アキレスは亀に追いつけないのだ。


 そんな中で、妹の声が、かすかに曇り始めた。それは、ヒビの入った万華鏡(まんげきょう)を覗いた時の、あの感覚に近かった。


「もう、さ、(ゆる)してあげてよ。叔父さんだって、真っ白な灰になっちゃうんだからさ」


 私は、その言葉に思わず振り返りたくなってしまった。

 "赦してあげて"なんて。間違ってでも、彼女には言ってほしくなかったのだ。


「灰になったって、人は赦されないよ」


「もう、人じゃないじゃん。還元(かんげん)に還元を重ねて、叔父さんは単なるモノになったんだ」


「だったらなおさらだよ、モノに、ヒトの道理なんていらないでしょ?」


 平行線だね。

 妹は困ったように言って、小さく笑う。きっと、眉は困ったように下がっていたことだろう。


「言葉じゃ、人は変えられない。どこまで行ってもその人はその人で、私たちの紡いだ音は、表面を虚しく吹き荒ぶだけ」


「なら、言葉に意味なんてなかった?」


 ぴしゃり、と。

 頬を張るようにして問うてきた彼女は、ほんの少しだけ(いきどお)っているようにも見えた。


「言葉に意味なんて無くて、私たちのやり取りは何もかもが空虚なものだったって、お姉ちゃんはそう言いたいの?」


 私は。


 適切な返事を、持ち合わせていなかった。少なくとも、そのようには考えていなかったのだが、否定するためには、代わりの言葉を置かなければ通れない。


 だから、私は(うつむ)いてしまった、立ち止まってしまった、何よりも、黙ってしまった。


 その(すき)を突くようにして、距離が縮む。触れられない、私たちは近づいていく。


「……きっと、私たちはもっと言葉を交わすべきだったんだよ」


 妹の声には、後悔の色が濃く(にじ)んでいた。


「叔父さんが、私のことを見る目が変わったこと。叔父さんの心に、ヒビが入ってしまったこと。そして、叔父さんの周りに、それが可能な環境が揃ってしまったこと」


「……もっと話していれば、それに気がつけたってこと? それで、何かが変わったっていうの?」


「わからないよ」諦めたように、彼女は首を振る。

「わからない、それは"あったかもしれない"未来の話で、もう、どうやったって見ることができない景色なんだから」


「……だったら、もう、考えたって――」


「――無駄なんかじゃないよ」(さえぎ)るようにして、彼女は言う。


 もう、すぐ背後まで気配は近づいていた。振り返ってしまいたい。そうしてしまえば、全てが終わるのだ。


 終わらせてしまえば、楽なのだ。


 なのに、そうしてしまわないのは何故なのか。この問答に何か、期待でもしているのだろうか?


 ……いや、それはない。


 わかっている、はずだ。呑み込んでいる、はずだ。だから私はここにいる、()(ふく)すことを拒んで、この場所を訪れた。


 或いは、それすらも逃避だと言うのだろうか?


 妹は、そんな私を赦してはくれない。その手に持った薄刃(はくじん)を、最期まで私に向けてはくれなかったのだ。


「――だって、お姉ちゃんは叔父さんのことを想っていたじゃない」


 その言葉で、一気に血液が温度を失った。


「そ、そんなこと……」そこで、固まる。言葉が次げない。誤魔化すこともできないくらいに、それはきっと図星だったのだ。


「ほうら、やっぱり。嘘を吐いても駄目だよ。私はもう、お姉ちゃんの中にしかいないんだからさ」


「……全部、わかってたの?」


「ううん」妹の声に、呆れの色が混じった。

「でも、こうして私の声を聞いているってことは、少なからず、あの選択を後悔しているんじゃないかなって」


「……私、は」


 私は、目を伏せた。


 老いた犬が唸るような、落ち着いた声が好きだった。

 大柄な体を縮めて、優しく歩調を合わせてくれるところが好きだった。

 私が辛いときは側にいてくれて、力を貸してくれるところが――好きだった。


 だから、私はあの日。妹の首を絞めている彼のことを、見逃してしまったのだ。


「そう、それが答えなんだよ」妹は、冷めた声で言った。一度も聞いたことのないような、()()ぎの声だった。


 ――二人がどういった関係だったのかは、今でもわからない。


 どうして、二人とも半裸だったのか。

 どうして、妹は何かを求めるように足を絡めていたのか。

 どうして、窒息(ちっそく)させられてなお――恍惚(こうこつ)としていたのか。


 わからない、わからない、わからない。


 わからない――フリをしていた。


「……本当は、全部知っていたのにね。あなたと叔父さんのことも、私の気持ちも。だけどそれは、幸いの邪魔になると思ってた」


「それでも、壊したくなかったんでしょ? ただ見ないフリをすることだけが、お姉ちゃんにできる愛情表現だった」


 妹は、妹の姿をした私の後悔は、ゆらゆらと陽炎のように揺らいでいるのだろうか。それとも、確かな輪郭を持って、そこに在るのだろうか。


 振り返れば、確かめられる。けれどそれをしてしまえば、きっと私は二度と、立ち直れなくなる。


 彼岸(ひがん)に渡ってしまうことになる。


 けれど、今はそれすらも悪くはないと思ってしまうのだ。


「駄目だよ、お姉ちゃん」そんな薄弱(はくじゃく)を、一言で(いさ)められる。

「お姉ちゃんは生きなきゃいけないの。私はその背中を、永遠について回るから。砕けた心の破片として、いつまでも傷をなぞり続けるから」


 血が滲み。

 腐り、青黒く変わり。

 それでもなお、痛みを求めて、肉の内側に指を潜らせる。


 不毛、不毛不毛不毛不毛不毛。


 切り捨てるのは、勝手だ。でも、そんな私のことを理解してくれる人は、誰もいなかったじゃないか。


「……日が沈むよ、お姉ちゃん。今日が死を迎えるの。ほら、よく聴いて?」


 見れば、世界は青白く染まろうとしていた。


 蓮の花も、沼地を這う両生類も、私も、きっと彼女だって、何もかもが暗幕に包まれる。


 夜が、私の悲しみを包んでくれる。


 と、そこで背後から迫る、もう一つの足音に気が付いた。

 何かを気遣うように、ゆったりとしたその足音は、私が背負うものが増えた証拠だ。


「私はこれで、よかったんだよ」


 都合のいい台詞を振り払うように、私は駆け出した。世界が何もかも細切れになって流れていく。


 逃げる。あの日のように。私の中の想いは解けないまま、脚を引きずって生きていくしかない。


 ――時折、睡蓮の花畑に救いを求めながら。

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