表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/28

第四話 待ち人(一)

 ふわぁ、と欠伸が零れた。

 待てども待てども来ない。何が、と言えば客が、である。

 学校から帰ってきた後は、店の手伝いをするのが僕の日課だ。勿論、それが原因で課題や予習を疎かにするなんてことはしない。やるべきことはちゃんとするし、そもそも原因になんてさせない。これは、僕がやりたくてやっていることなのだから。

 だが、暇だった。商品の品出しは僕が帰ってくる前に父さんが終えていた。客は来ないし掃除や商品整理も行き届いているので今は特にこれといってすることもない。

 こんな感じで手持ち無沙汰な時、僕は店番をしつつ、レジカウンターにある椅子に座って、絵を描いたり課題や予習をやったりしている。

 普通のアルバイトだったらそんなことをしていたら怒られるだろうが、店主である父さんから了承を得てはいるし、客のほとんどが近所の人たちだ。

 やって来る小学生たちに「にーちゃん、宿題はやったのか?」と心配されたり、乳母車を引いたおばあちゃんに「ずっと立っているのは辛かろうに。ほれ、椅子に座りなさい」なんて気を遣われたりもする。

 まあ、そんなこんなでそこら辺は緩いので、その点に関しては甘えさせてもらっている。

 今はスケッチブックに落書きしている真っ最中だ。

 先に課題や予習を終わらせろよとは思うのだが、今は別のことを考えてしまって問題が頭に入って来なさそうだったので止めた。

 思い出すのは、昨日と今日の出来事。ここずっと思い浮かべている一人の女の子――香宮さんのことだ。



 今朝、少し緊張しながらも、僕はいつも通り学校へ行った。

 もしかしたら、香宮さんが話し掛けてくるかもしれない。

 そんな淡い期待を抱いて教室へと向かったのだが――。

 香宮さんはいつも通りだった。まるで、昨日の出来事が夢だったんじゃないかと思ってしまうくらいには。

 休み時間には本を呼んで、昼休みになると教室を出て行く。変わらないいつもの光景。

 香宮さんに話し掛けるタイミングが見つからなくて僕は途方に暮れた。いや、話し掛けようと思えば話し掛けられるのだけど、僕はできなかった。それも、いつも通りと言えばいつも通りだったのだけれど。


「はぁー……」


 溜息を吐いて項垂れる。何か、最近こんなのばっかりだなぁ。

 そんなことを考えていたら、ちりんちりんと来客を告げる鈴の音が響いた。

 僕は直ぐさま顔を上げる。この切り替えの早さは手慣れたものである。


「いらっしゃい、ま、せ……」


 居住まいを正して挨拶をしたのだが、その言葉尻は気の抜けたものになった。

 いやだって、仕方がないじゃないか。

 だって、目の前にいるその人物は――


「か、香宮さん?」


 僕は幻覚でも見ているのだろうか。持っていた鉛筆でぶすりと自分の手の甲を突く。……うん、痛い。よって、これは幻覚ではない。現実だ。


「高瀬くんいますか?」

「……目の前にいますよ」


 何を言っているだこの子は。

 少々呆れながらも答える。

 香宮さんはじっと僕を見つめて、次の瞬間ぱっと笑みを浮かべて、「ごめんごめん、冗談だよ」と言った。向けられた笑顔が眩しい。何だか空気が華やいだ気がする。


「昨日の今日で来ちゃってごめんね」

「いや、それは別に全然構わないんだけど……何か買い忘れたの?」


 香宮さんの言う通り、昨日の今日で来るなんて思いもしなかったから、思わずそう訊いてしまった。

 いや、リピーターが増えるのは素直に嬉しいのだけれど、さ。


「買い忘れじゃないよ」


 香宮さんがふるふると首を振った。


「それじゃあ、昨日買った色鉛筆が描きやすくて他にも欲しくなった、とか?」

「それもあるんだけど……」

「あるんだけど?」


 先を促せば、少し言いづらそうにしながらも香宮さんが言葉を紡いだ。


「ここに来れば、高瀬くんと話せると思って、ですね……」


 ふいっと視線が逸らされる。香宮さんの手に力が入って、握っている鞄の持ち手が歪んだ。

 ぼんやりとそれを眺めつつ、僕は香宮さんの言葉を咀嚼する。

 僕の自惚れでなければ、香宮さんは僕と話がしたいと言っているように聞こえる。


 ……マジか。話したいと思っていた相手が、まさか同じことを思っていたなんて。


 と、そんなことを考えたら何だか恥ずかしくなってきた。

 それを誤魔化すために早口で僕は言う。


「教室で話し掛けてくれれば良かったのに」


 そんな僕に対して、むっと顔を顰めて香宮さんが反論する。


「そう簡単に言うけどね。人に話し掛けるのって結構勇気がいるんだよ?」


 それは大いに同意する。話し掛けられない人間がここにもいるからだ。


「同性相手でも緊張するんだから、それが異性なら尚更だよ。男子に話し掛けるだけで皆注目してくるし」

「まあ、確かに」


 異性に話し掛けただけなのに、「あの子のことが好きなの?」みたいなノリで訊かれるのは男女共通らしい。


「折角高瀬くんと話せたのに、このまま疎遠になるのは悲しいなぁと思いまして。そんな訳で、教室では話せそうにないのでこうして訪れたという訳です」


 ぴん、と人差し指を立てて香宮さんが説明するように言い切った。


「面倒な奴でごめんね?」

「いや、それは、全然……」


 寧ろ、訪れてくれたことに感謝したいくらいだ。

 僕も香宮さんと話したいと思っていたから。

 なんて、そんなことは言えなかった。恥ずかし過ぎる。


「あ、でも、営業妨害になっちゃうかな」

「いや、ちょうど暇していたから香宮さんが話し相手になってくれると助かるよ」


 なーにが「助かる」だよ。話したかったくせに。

 心の中で僕は自分自身に突っ込んだ。

 だが、いざ話すとなると、何を話していいかわからない。

 話題、話題、と頭をフル回転させる。だが、こういう時に限って何も思いつかない。おい、しっかりしろよ!

 内心慌てまくっていると、あ、と香宮さんが何かに気づいたように声を上げた。


「もしかして、絵を描いてたの?」

「う、うん」


 こちらに寄ってきた香宮さんが僕の手元を覗き込んでくる。


 ……いやいやいや、近い近い近い!


 急な接近に僕は仰け反ってしまった。だが、香宮さんは僕ではなくスケッチブックに――僕の絵に夢中だった。


「やっぱり上手だねぇー」


 スケッチブックを掲げて、瞳を煌めかせて香宮さんが言う。


 ……凄い。今、流れるようにスケッチブックを奪われたぞ。


 なんて、感心している場合じゃなくて。

 そんなにまじまじと落書きを見られるのは少し恥ずかしいのだが。

 僕と香宮さんの間にはカウンターがあるけど、彼女は手の届くところにいる。

 香宮さんからスケッチブックを取り上げようと思えば取り上げられるのだけど、それはできなかった。

 だって、あんなにも嬉しそうに僕の絵を見ているのだから。

 咄嗟に伸ばした手を、僕はずるずると力なく下ろした。


「ねえ、高瀬くん」

「何?」

「もし良ければだけど、別のページを見てもいいかな?」


 おずおずと香宮さんが訊いてきた。

 見られて困るようなものはこのスケッチブックには描いていなかった、はず。

 少しばかり羞恥心はあるが特にこれといって困るものでもない。


「どうぞ」

「やったー!」


 嬉しそうにばっと香宮さんが両手を上げて万歳をする。そのせいで、セーラー服が上がって、ちらりと肌が――見えなかった。スカートとインナーで見えなかった……って、いやいや何がっかりしてるんだよ自分。

 邪な考えを振り払うかのように僕は頭を振った。


「良ければここに座って見なよ」


 もう一つ椅子を引っ張り出してきて香宮さんに促せば、「ありがとう」と彼女は椅子に座った。

 香宮さんは綺麗に足を揃えて、膝の上に鞄を置く。そして、鞄を台にしてスケッチブックを最初のページから見始めた。

 ネットで投稿してはいるものの、こうして直接誰かに絵を見られるなんてのは久しぶりのことで。僕は何だかそわそわして落ち着かなかった。

 自分が描いた絵を香宮さんが見ているからだろうか。それとも、香宮さんが近くにいるからだろうか。はたまた、その両方か。

 気持ちを落ち着かせるためにも、近くの棚の商品整理をする。特にこれといって商品は乱れていなかったけど、僕の心は乱れまくっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ