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第三話(二)

 歩き慣れた細い路地を歩いていく。けれど、いつもとは明らかに違っていることがある。


「こんな路地があったんだねぇ……」


 僕にとっては珍しくもない光景だが香宮さんはきょろきょろと物珍しそうに辺りを見回していた。

 彼女が今の僕にとっての非日常だ。

 まさかこの道を女の子を連れて歩く日が来ようとは!

 いや待て、落ち着け自分。これはただの道案内だ。

 偶々香宮さんを駅で見かけて、偶々彼女の目指している場所と僕が帰る場所が一緒だったというだけだ。


 ……いや、こうして考えてみるとある意味凄くないか?


 気になっている子――一応言っておくが恋愛的な意味ではなく――と話したいと思っていたら、まさか突如こんなイベントが発生するなんて!

 イベントと称している辺りで察せられると思うが、僕は今、そこそこテンパっている。ええはいテンパっていますよ。

 香宮さんが話し掛けていたことにも気づかないくらいには。


「高瀬くん!」

「あ、はい!」


 大きな声で名前を呼ばれて反射的に返事をした。はっとして、声がした方を向けば香宮さんが心配そうにこちらを見ていた。


「高瀬くん大丈夫?何処か具合悪かったりする?」

「大丈夫大丈夫。ちょっと考え事をしていただけだから」

「本当に?」

「本当に。それで、何だった?」

「いやー、今更だけど、道案内頼んじゃって大丈夫だったかなぁと思って。予定とかなかった?」

「予定は特にないから大丈夫だよ。それに、道案内を申し出たのは僕の方なんだし、香宮さんは気にしなくていいよ」

「そう?それならよかった」


 ほっと胸を撫で下ろした香宮さんに、僕は少しばかり悪戯心が湧いた。


「まあ、強いて言うならこの後バイトがあるくらいかな」

「えっ、予定あるじゃん!時間は?時間は大丈夫なの?」

「特に時間は決まっていないから大丈夫だよ」

「そう、それならよかった……いや、よくない!全然よくないよ高瀬くん!」


 先程と同じように安堵の息を吐いた香宮さんだったが、何かに気づいた様子で急に声を張り上げた。

 おお、どうしたどうした?


「我らが通う高校はバイト禁止ですよ!」


 香宮さんが両手を交差させてばってんを作る。まるで子どものようなその動作に、次の瞬間僕はぷはっとふき出した。


「そうだった。禁止だったね」

「笑い事じゃないよ!バレたら……えっと、停学?謹慎?いや最悪の場合退学することになるかもしれないよ!」

「退学はないと思うけど、まあ、そうだね。処分は免れないだろうね。でも、香宮さんが言わなければいいことだし」

「うんまあ、口は堅い方だけど……え、もしかしてわたしの口が軽かったらここで口封じされてしまう感じです?」

「うーん、どうしようかなぁ……」


 顎に手を添えて考える真似をしつつ、ちらりと視線を向ける。

 目が合った瞬間、さっと香宮さんが身構えた。それを見て僕は再度ふき出してしまった。

 僕につられて彼女も笑う。巫山戯ているのはお互い様と言ったところだろう。

 この子と話すの面白いな。

 なんて、僕はそう思った。



 駅から歩いて徒歩五分。

 こう言えば立地が良いようにも感じるが、実際には細い路地を通らなければならないため、客足はそう多くはない。

 木造の建物は趣があるだとか年季が入っただとか言い方は色々あるだろうが最早着飾った言葉など使うまい。目の前にあるのは、古くてボロい建物だ。

 軒先にあるのは、『虹文堂』と書かれた立て看板。その文字は薄汚れていて読みにくい。

 僕は鈍色の取っ手を掴んで、ゆっくりと店の扉を開ける。すると、扉に掛かっている鈴がちりんりちんと涼やかに鳴った。

 半身を翻して、香宮さんを店内へと促す。


「さあ、どうぞ」

「ありがとう」


 店に入った香宮さんは「わあっ」と歓声を上げた。辺りを見回して、棚に並ぶ商品を見て一言、


「想像していたよりも品数が多い!」

「あはは……」


 何とも素直な感想である。自分の頬が少し引きつったのを僕は感じた。

 香宮さんはそんな僕を特に気にすることなく、屈託なく笑う。


「文房具を見ると何か心が踊るんだよね」

「あ、それわかる」

「ほんと?」


 他愛もない話をしていれば、店の奥からがたがたと物音がした。


「いらっしゃいませ。……って、何だ響か。おかえり」

「ただいま」


 レジカウンターの奥の暖簾が翻る。聞き慣れた声とともに、ぬっと顔を出したのは一人の男だった。

 くたびれているのは身につけているエプロンか、はたまた本人か。

 首元の碧のループタイは本人の大のお気に入りで、いつも身につけている代物だ。

 その男――父さんは、僕を見て、次に僕の隣にいる香宮さんを見て、そして、再び僕を見て、目を見開いた。


「……響が、彼女を、連れてきた、だと?」

「そのあり得ないものを見るような目はできればやめて頂きたいんだけど」


 我が父ながら失礼だな!というか、彼女じゃないし!

 そう訂正する前に、父さんは目の前から消え、


「か、母さん!響が!響が、彼女を!」


 とか何とか叫びながらさっと店の中に引っ込んで行った。

 どたばたと慌ただしい足音が聞こえたかと思えば、次いで聞こえてきたのは仏壇のお鈴の音で。


「……えっと、さっきの人は?」


 戸惑いながら香宮さんが訊いてきた。


「騒々しくてごめん。あの人はこの店の店主だよ。あと、僕の父」

「え、高瀬くんのお父さん?ということは、ここって……」

「僕の家だよ」


 そう言えば、香宮さんが目を見開いた。それはもう驚いているようだ。

 うん、まあ、そうだよね。僕も驚いたから。

 香宮さんに虹文堂の場所を訊かれた時、僕はそれはもうびっくりした。何せ、彼女の目的地が僕の家だったのだから。

 そう、この世に生まれてから十数年。僕はこの古くてボロい家兼文房具屋で育ってきたのだ。


「香宮さん、大丈夫?」


 絶句した様子の香宮さんは、震える手で自身の顔を覆った。その手の隙間から、何やらぶつぶつと呟きが聞こえてくる。


「なるほど……そうか、そういうことか……」

「何が?」

「う、ううん、何でもないよ」


 顔を上げて、ふるふると香宮さんがかぶりを振る。

 うーん、気になる。でも、無理に聞き出そうとは思わず、僕は特に追及はしなかった。

 店の奥の様子を窺ったが、父さんは未だ帰って来ない。

 空気を読んでいるつもりなのだろうか。それとも、香宮さんを紹介してもらえるのを待っている、とか?

 いや、家には上げないぞ。上げないからな!

 別に香宮さんを家に上げたくないとか決してそんなことではない。

 彼女は普通に文房具屋を訪れたのであって、クラスメイトの男子の家に遊びに来た訳ではないのだから。

 戻って来る気配がない父さんに「全く、困ったおっさんだ」と呆れつつ、僕は香宮さんに声を掛ける。


「古くてボロい店だけど、品数はそこそこあるからさ。どうぞゆっくりとご覧ください」

「あ、ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げた香宮さんが、一歩足を踏み出した。

 その姿を見送りつつ、僕はレジカウンターへと向かう。そこにある椅子を引っ張り出して、背負っていたリュックをどさりと床に置いた。

 いつもなら部屋に戻って服を着替えてから店番をするのだが、父さんが戻って来ないのだからここにいるしかあるまい。

 高校生が制服姿のままレジにいるなんて、職業体験か何かかと自分自身でも思う。

 暇な時はここで課題をやったり絵を描いたりするのだが、今はそんな気は起きなかった。

 カウンターに頬杖をつきながら香宮さんの姿を目で追う。今、彼女はスケッチブックのある棚を見ていた。

 紙の厚さや質感を確認しているのか、ぱらぱらと中を覗いては棚に戻して別のスケッチブックを手に取る。それを何回か繰り返した後、今度は色鉛筆が陳列されている棚へと歩いて行った。セットもあるが香宮さんが見ているのはバラ売りだ。

 これまた一本一本見ていって、気になった色を試し書きしている。何本か選んだ後は、ぷらぷらと辺りを物色して、レジへと向かってきた。


「お願いします」

「まいどあり」


 差し出させた商品を会計して袋に入れていく。

 ほおー、と彼女が感心したように声を零した。


「レジ打ちできるなんて凄いねぇ」

「慣れだよ慣れ」

「お金扱う時緊張しない?」

「まあ、多少は」

「凄いねぇ」


 凄い凄いと素直に褒められて悪い気はしない。

 内心で少し照れつつも、「どうぞ」と袋を手渡せば、「ありがとうございます」と香宮さんが嬉しそうに受け取った。

 声が弾んでいる。心なしかその表情はほくほくしているように見えた。


「これが僕の言っていた『バイト』の正体だよ。僕はただ、家の手伝いをしているだけで校則を破った訳じゃない。だから、退学の心配はないんだ」

「なるほどなるほど」

「まあ、ちゃんとバイト代は貰っているんだけど」

「なるほどなるほど……んん?」


 それってどうなのと香宮さんが眉根を寄せて首を傾げる。


「バイト代という名の小遣いだよ」


 そう付け足せば、納得したように彼女は頷いた。


「さてと、お買い物も終わったし、そろそろお暇するね」


 鞄の中に袋を入れつつ、香宮さんが言った。時計を見れば、この店に着いてから一時間程経っていた。

 店の外はいつの間にか薄暗くなっていて。あまり長居させちゃ悪いだろう。


「高瀬くん。今日は色々とありがとうございました」

「いえいえ」

「一瞬しか見えなかったけど、お父さんにも宜しくお伝えください」

「あはは……うん、伝えておくよ」

「それじゃあ」

「じゃあね」


 ひらひらと手を振って香宮さんが店から出て行った。

 ちりんちりんと扉の鈴が揺れて、この空間にいるのは僕だけとなったことを告げる。


「……はぁ」


 人知れず息を吐き出す。いつの間にか手に汗が滲んでいた。

 僕は、緊張していたのだろうか。自分でも気づかないうちに。

 でも、会話はスムーズにできていた、と思う。あれだけ思い悩んでいたというのに、いざ話してみれば何とまあ呆気ないものだった。

 話し辛いなんてことはなく、香宮さんとの会話は楽しかった。彼女ともっと話したいと思うのは、強欲だろうか。

 と、思考していたその時。


「響……何をやっているんだお前は」


 地を這うような声が響いた。驚いて振り向けば、後ろの暖簾から顔だけを出している父さんがいた。


「いやいや、それはこっちの台詞だし。何やってたんだよ父さん。というか、現在進行形で何やってるんだよ」

「父さんはな、待っていたんだ……。お前が彼女を紹介してくれるのをずっと待っていたんだんだ!」

「やっぱりか!というか、よく待っていられたな!」

「なかなか来ないなぁとは思ったけど、二人とも照れているのかなぁと思って。でも、待てど暮らせど来ないし……というか、彼女はどうした?」

「彼女じゃないし!香宮さんなら、ついさっき帰ったけど。あ、父さんにも宜しくお伝えくださいって言っていたよ」

「なん、だと?」


 あ、崩れ落ちた。

 床に手をつく父を見る僕の目はきっと冷めていることだろう。

 というか、その行動は何に対しての反応なのだ。

 香宮さんを紹介しなかったから?いやいや、直ぐに奥に引っ込んで行ったのはそっちだろう。

 香宮さんが帰ってしまったから?いやいや、様子を見に来なかったのはそっちだろう。

 香宮さんが僕の彼女ではないと知ったから?いやいや、勝手に勘違いしたのはそっちだろう。

 言いたいことは山ほどあったが、今は無視するに限る。ここで何か言ったら、面倒臭いことになりそうだから。


「それじゃあ、部屋で課題やってくるから」


 そう言って、リュックを取ろうとした時、がばりと父さんが立ち上がった。うわ、復活した。


「何をやっているんだお前は!」


 見事復活を果たした父さんは二度目の言葉を僕に投げかけた。


「彼女であろうとなかろうとこの際どっちでもいい。お前が連れて来たというのに、女の子をこんな暗くなっている中一人で帰らせるのか。お前が連れて来たというのに」

「父さん誤解をまねくような言い方しないで。というか、二回言わないで」

「大事なことは二回言うのが常識だろう!」

「そんな常識ねぇよ」

「そんなことより、早く彼女を追え。家までとは言わないがせめて駅まで送れ。大丈夫だ、店番は俺に任せろ」

「あー、はいはい」


 確かに初めて来た道を薄暗い中帰るのは怖いかもしれない。

 父さんには適当に返事しつつ、僕は急いで店を飛び出した。

 走って香宮さんの姿を探せば直ぐに見つかった。

 香宮さんはわかれ道で立ち止まっていて、暫し逡巡した後に左折しようとした、のだけど――


「違う違う!駅への道はそっちじゃないよ!」


 びくりと香宮さんの肩が揺れる。振り返ったその顔は酷く不安げだった。


「……高瀬くん?」


 恐る恐る香宮さんが口を開く。

 薄暗くて僕の顔がよく見えないのかもしれない。

 認識できる距離まで近づく。「そうだよ」と答えれば、彼女の肩から力が抜けた。


「どうしたの?」

「良ければ、駅まで送って行くよ」

「え、いいの?」

「うん」

「良かったー。正直、土地勘がない場所は迷いやすくて迷いやすくて……」


 照れくさそうに笑った香宮さんに、ああ、追いかけてきて良かったと思った。


「というか、スマホは持ってないの?」

「ん?持っているけど」

「スマホの地図アプリを使えばいいのでは?」

「……あ」


 それがあった、と言わんばかりに香宮さんが手を叩いた。


 ……ほんと、この子色々と大丈夫だろうか。



 無事に駅まで辿り着き、今日何度目ましての「ありがとう」を言う香宮さんに、「いえいえ」と返す。思わず苦笑が零れたが気にしないでほしい。


「あ、あの!」


 香宮さんはそう声を出したものの、何故か口を噤んでしまった。視線を彷徨わせて、口を開いたり閉じたりしている。

 何か言いたそうなのは明らかなので、僕は香宮さんの言葉をじっと待った。


「また、お店に行ってもいいかな?」


 紡がれた声は少しだけ震えていた。緊張した面持ちで、けれどその目は真っ直ぐ僕に向けられていた。

 その顔を、表情を、目を見て、僕の頬は自然と緩んだ。


「お待ちしております」


 小さく笑って、恭しく僕は答える。

 目を見開き、そして、蕾が綻ぶように香宮さんは笑った。

 その笑顔を見て、心臓の鼓動がはやくなった気がするのは気のせいだろうか。うん、きっと気のせいだ。

 改札口を通る香宮さんを見送って、僕は踵を返す。


 家へと続く道を歩いている間も、何だかそわそわしていて。

 体が熱いのは、きっと歩いているからだ。うん、そうだ。そうに違いない。

 言い訳するようにつらつらと述べる。誰に言う訳でもないのに、と気づいたのは虹文堂が見えてきた時だった。

 少し様子が可笑しい僕を出迎えた父さんがニヤニヤと笑いながら色々と追及してきたのは言うまでもない。

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