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第二話(二)

 あれから香宮さんのことが気になった僕は、彼女がどんな人なのかを知りたくて彼女を観察している。

 なんて、そんなことを第三者に知られたら、「え、お前それストーカーじゃね?」と思われてしまうかもしれない。友人にバレたら確実にそう言われると思う。

 だが、断じて違う。あくまで学校内で、の話である。香宮さんの跡をつけている訳ではないので、断じてストーカーではない。そう、ストーカーではないのだ。だから、変なレッテルは貼らないでもらいたい。

 例え、香宮さんが視界に入った時に無意識に彼女を視線で追ってしまったとしても、だ。

 それに気がついた時、流石に驚いた。


「……おいおいおい、何やってるんだよ」


 と、自分自身でドン引いたものだ。

 僕は他人と広く浅く付き合うタイプの人間だと自分自身で分析している。

 こんなにも誰か一人のことを気にしたことは今までなかった、のに。

 それだけあの出来事は僕にとって衝撃的なものだったということだろう。

 だが、あの美術の時間から僕は香宮さんと話せていないのだ。悲しきかな、教室や廊下ですれ違っても、見向きもされなかった。

 香宮さんは派手で積極的で目立つような部類の子ではなく、最初の印象通り地味で大人しそうな女の子だった。

 教室内では、一人で過ごしていることが多い気がする。でも、それは彼女が休み時間に一人で過ごしているからその印象が強いだけだ。

 休み時間の香宮さんといえば、よく小説を読んでいる。机に突っ伏して寝ていたり、小腹が空いたのかカバンの中からお菓子を取り出して食べていたりするけれど、大抵は読書をしていた。

 特別に仲の良いクラスメイトがいる訳ではないらしい。

 積極的に人と関わろうとはせず、彼女から誰かに話し掛けている姿は滅多に見かけない。

 人見知りなのだろうかと思ったが、そうでもないらしい。話し掛けられたら誰であろうと分け隔てなく会話しているし、体育の授業の時は同じチームになった女子と屈託なく話しているようだった。

 昼休みは鞄を持って教室から出て行く。同じクラス以外の友達と昼食を食べるために、何処かに行く人たちもいるので、彼女もその中の一人なのだろう。

 香宮さんの友達――少し気になったが、跡をつけようとは思わない。そんなことをしたら完全にストーカーの仲間入りだ。


「香宮さんはその友達とどんな話をしているのかなぁ……」


 香宮さんと話すことができる顔も知らないその人に少しだけ嫉妬した。

 はあ、と溜息を吐いて、たっぷり数十秒。


「……いやいやいや!」


 僕は戦慄した。「え、自分キモくね?」と、呟いてしまう程には。

 咄嗟に部屋を見渡した。けれど、ここには勿論僕しかいなくて。父さんは既に自分の部屋で寝ているはずだ。物音一つしない。

 ここが自室で、僕以外誰もいなくて良かった。僕は一人安堵した。

 そして、再び考えるのは香宮さんのことなのだから、僕はかなり重傷なのかもしれない。


「……いやでも、一回話したな」


 さっきは話していないと言ったが、一度だけ。ほんの少しだけ、香宮さんと喋ったことを思い出した。

 そう、あれは確か――



「畜生、あの時グーを出していれば……」


 そう思っても終わったことはどうしようもない。

 今は掃除の時間。僕の担当場所は化学室だ。

 室内にいるのは僕一人だけ。勿論、ここの掃除担当は僕だけじゃない。他の奴らは多分そこら辺で駄弁っている。

 先に言っておくが、これはいじめではない。じゃんけんに負けただけだ。毎日こんなことはしないし、僕だってサボる時がある。お互い様ってやつだ。

 椅子を机の上に置いていく。一つ一つ持ち上げては置く作業は大変ではあるが、家で重いダンボールを持ったり、黙々と作業したりすることがあるので特に苦ではない。

 と、その時、


「……ん?」


 机の中にノートが入ったままだということに気がついた。


「忘れ物かな?」


 取り出して確認してみるが表紙に名前は書いていなかった。

 中を見てみると内容は僕にも理解できるもので……というか、習ったばかりの内容だった。つまりは、僕と同じ一年生の物ってことか。

 ぱらぱらとめくっていた手を止める。

 丁寧な字が書かれているその傍ら。空白の部分に描かれたものは、実物大ほどの消しゴムの落書きで。

 消しゴムの黒ずみ。びりびりと破られたケース。そこに印字されている細かい文字。

 独特のタッチで描かれているそれは、落書きにしては妙にクオリティが高い。

 授業中にこんなクオリティの落書きをするなんて……肝が据わっているというか何というか……。

 顔も名前も知らないノートの持ち主の不真面目さが垣間見えて、思わずふふっと笑ってしまった。


「でもこのタッチ、何処かで見たことあるような……」


 それも、最近だ。何処だ……何処だっけ……。

 顎に手を当てて思案する。まじまじと眺めていると、廊下から足音が聞こえてきた。どうやらこちらへ向かってきているらしいそれに、咄嗟にノートを閉じて入口の方を見遣る。


「……え?」


 慌てて室内に入って来たその人は、香宮さんだった。

 香宮さんが僕を認める。じっとこちらを見てきたものだから、僕は少しだけたじろいだ。

 香宮さんの視線はそのまま流れるように僕の手元へ移って行き、「あっ」と彼女は声を上げた。


「そのノート……」

「ああこれ?この机の中に入ってたんだ」

「ちょっと中を見せてもらってもいいですか?」

「どうぞ」


 こちらへ近づいてきた香宮さんにはい、とノートを手渡す。

 受け取ったノートの中を香宮さんが確認する。


「これ、わたしのノートです。見つかってよかった」


 ノートを胸に抱いて香宮さんがほっと息を吐く。


 ……ということは、あの落書きは香宮さんが描いたのか。確かに、あのタッチは香宮さんのものだな。


 美術の時間に見た絵を思い出して納得する。思い出せそうで思い出せないモヤモヤが消え去ってすっきりとしたと同時に、彼女が授業中に落書きをする人間なんだと思ったら何だか笑いそうになってしまった。


「よかったね」

「はい!」


 満面の笑みを浮かべた香宮さんの頭を撫でたい衝動に駆られたが踏み止まる。やめろ、セクハラで訴えられるぞ。

 ふと、香宮さんがきょろきょろと辺りを見回した。

 どうしたんだろうと思っていると、徐に香宮さんが訊いてきた。


「ここの掃除担当って、貴方だけ……じゃないですよね?」


 何となく他人行儀な――といっても、あの美術の時間以来話したことがないので事実他人なのだけど――香宮さんの態度を不思議に思いつつ、「まあ、そうだね」と相槌を打つ。

 というか、何で敬語なのだろうか。あの時は普通に喋っていたというのに。


「他の人たちは?」

「そこら辺にいるんじゃないかな。あ、別にいじめとかじゃないからね。いつもこんなんじゃないし、今日は偶々僕がじゃんけんに負けただけだから」


 真面目にやっている時もあるよ、うん。

 皆の名誉の為にも付け加えておく。

 そう、例えば先生がいる時とか、とは言わなかった。


「あの……良ければ手伝いましょうか?」

「え?」


 おずおずと申し出てきた香宮さんに僕は驚いた。

 え、手伝ってくれるとか何それ良い子かよ。いや、良い子だな。

 サボっている奴に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだけど、ダメだ。あいつらに爪の垢だろうとやっちゃダメだ……って、ものの例えだろ。落ち着け自分。

 頭の中で一人思考していると、何も言わない僕に対して、香宮さんが訝しげに「あの……」と声を掛けてきた。

 僕は慌ててぶんぶんと手を振る。


「いやいやいいよ。香宮さんに悪いし」

「でも、一人じゃ大変ですよね」

「要領よくやれば終わるから。あと、そっちも自分の担当があるでしょ?」

「……そうでした」


 香宮さんの声音からして、完全に忘れていたらしい。

 香宮さんってちょっとぬけているのかもしれないな。

 失礼ながらも僕は密かにそう思った。


「その気持ちは受け取っておくよ。ありがとう」

「気にしないでください。結局お手伝いしていませんし」

「でも、嬉しかったから」


 一人で掃除する僕を気遣ってくれたことが、香宮さんと話せたことが、嬉しかった。

 もう少し喋っていたかったけど、香宮さんをここで足止めにする訳にはいかない。香宮さんが何処の掃除担当なのかは覚えていないが、真面目に掃除をしそうだなと思った。


「それでは、失礼しました」


 お辞儀をして香宮さんが歩き出す。

 彼女が出て行ったところで、僕は人知れず息を吐いた。

 再び静まり帰った化学室。ゆっくりとその場に座り込んで片手で顔を覆う。


「しゃ、喋ってしまった……」


 いろんな意味で気になっている子と少し喋っただけでこうなるなんて……乙女かよ……。

 いやでも、突然のイベントに驚いて何が悪い!僕だって人間なんだ。平静を装うのに手一杯だったんだ!

 一人で言い訳を考えまくる僕に突っ込む者など勿論いなくて。

 その後、様子を見に来た友人に「おい、どうしたんだ?」と声を掛けられるまで、僕はずっとそのままだった。



 ――以上。回想終了。


 何だよ普通に喋ってるんじゃないかよと思うかもしれないが、あれ以来、本当にあれ以来香宮さんと話したことがないのだ。

 接点がなければこんなものだという現実をまざまざと突きつけられた気がする。

 どうすれば彼女と会話できるのだろうかと僕は考える。


「何読んでいるの?」


 と、香宮さんが小説を読んでいる時に気軽に話し掛ければいいとは思うものの、それは憚られた。

 小説を読んでいるのに話し掛けられたらきっと気が散る。尤も、彼女自身にそう言われた訳ではないのだけど。好きな時間を邪魔されるのは僕だったら嫌だから、実行に移せなかった。香宮さんに疎ましく思われるのは嫌だという気持ちがあったから。

 話し掛ける勇気もなく、話し掛ける用事もなく、ただただ時間だけが過ぎて行く。

 何事もそつなくこなすくせに、こういうところでヘタレを発揮するなよな!

 なんて、自分を叱咤したものだ。

 でも……でも、さ。仕方がないじゃないか。

 この一ヶ月はそれはもうばたばたしていたのだ。

 中学生から高校生になって、新しいクラスとか授業とか部活動とか、慣れて馴染んでついていくのに忙しかったのだ。と言っても、僕は帰宅部に入部したので部活動に関しての苦労はこれといってないのだけども。

 そうこうしているうちにすぐに四月は終わってしまい、ゴールデンウィークに突入した。

 連休中はたくさん絵を描けてそれはもう充実した休みだった。

 でも、その後に僕を――学生たちを待ち受けていたのは地獄だった。

 学生の敵、テストである。

 感覚的にはついこの前受験勉強が終わったばかりだというのに、高校生になって一ヶ月ちょっとでテストがあるなんて、と思わずにはいられない。しかし、悲しきかな、それが学生の本分というやつだ。

 ゴールデンウィーク後はテスト勉強に明け暮れ、そして中間テストを受け、昨日漸く結果が出たところだ。

 とまあ、高校生になって初めての中間テストを経て今に至る。

 テストも終わり、ずっとやりたいと思っていた絵の投稿もさっき終えた。

 ふと気づけば五月下旬。六月はもうすぐそこだ。


「ほんと、何をしていたんだ僕は……」


 いや、さっき述べた通りなんだけど。

 でも、忙しかったと言っても、香宮さんに話し掛けようと思えば話し掛けられたはずだ。

 別の学年、別のクラスという訳ではない。同じ教室にいるクラスメイトなのだから。

 それでも、できなかった。今日はダメだったけど、それなら明日頑張ればいいじゃないかと何度も思いつつ、できなかった。


「何か話すきっかけがあればなぁ……」


 そう考えてみるものの、何も浮かばないこの現状。

 クラスメイトの女子に話し掛ける。ただそれだけのことなのに、それができない。

 机に突っ伏して僕は嘆く。


 ……ああ、認めよう。僕は情けない男です!

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