第4章 新米タクシードライバー
二種免許を取得して初出勤の日…
「チュンチュン」
雀の鳴き声で目が覚める…
「ヤバい、寝坊した」
もう恒例行事の朝を迎える。そして、急いで支度をして会社に向かい全力で走る。会社が視界に入り、扉の前に社長が立っていた。
「おー!待っていたよー」
まだ少し距離があったので社長が大声で叫んできた。社長の元に駆け寄り
「遅れてすいません、今日からよろしくお願いします」
深々と頭を下げると
「平岡さんは、朝が弱いのかな?」
優しい表情と、口調で言ってきた。
「はい、朝は苦手です…でも次から気を付けます」
元気よくハキハキと答える。
「平岡さんは、もう社会人だから自覚を持ってな。それと、始めに主任が乗る車の助手席に乗って10日間研修から始めてもらいます。覚えることが多いから、しっかり教えてもらって下さい」
意外にも、タクシードライバーは覚えることが多かったのである。道は勿論、メーターの使い方、各種の電子決済、クレジットカード、タクシーチケット、タクシーの待機場所の待機のし方、点呼にアルコール検査、日報の書き方、運転する前と、運転終えた時の車の点検、細かい事を上げていったら切りがない。その位多いのである。そして、社長と一緒に目の前のタクシーが待機してる場所に向かう。
「清島、こちら今日から入った平岡さん、10日間よろしく頼むよ。じゃあよろしく」
そう言って社長が会社の中に戻って行き、清島さんが車から降りてきた。
「よろしく、主任の清島です。もう皆には挨拶した?」
「はじめまして、平岡です。よろしくお願いします。挨拶まだしてないです」
「分かった。じゃあ付いてきて」
そう言われ、待機している運転手さん一人一人に挨拶をする。優しい顔の人、怖い顔の人、そして、気が合いそうなギャンブル好きな人。個性豊かな人達との挨拶を済ませ、主任が乗る車の助手席に座りシートベルトをする。
「平岡には5日間助手席、残りの5日間は運転をしてもらう形になります。一連の流れでその都度教えてくので、よろしく」
「分かりました」
そう言われ、鞄からメモ帳とペンを取り出す。物覚えが最高に悪い自分は、教えてくれた一つ一つを必死にメモ帳に書き留める。覚えることが多くて、また頭痛…でも、何よりも1番辛かったのは、車酔いである…そう、車に酔う事を思い出したのであった。子供の頃から車酔いが激しくてよく嘔吐していたけど、免許を取って自分で運転をするようなると、酔う事が無くなった為すっかり忘れていたのだ。気持ちが悪くなる度に車を停めて、
「大丈夫?」
と心配させながら、そして主任に本当に迷惑をかけながら5日間を終えた。6日目の朝…
「チュンチュン」
雀の鳴き声と共に清々しい朝を迎える。今日は、お客さんを初めて乗せる大事な日。なんとか起きれ、重いまぶたを擦りながら会社に向かう。
「おはようございます」
会社に着き、主任の元に行き元気よく挨拶をする。
「おはよう、今日から俺が助手席に乗るから運転よろしく頼むね」
「分かりました」
酔いから解放される嬉しい気持ちで運転席に座りシートベルトを締める。すると主任が
「平岡は主にどこで待機したいの?待機場所は色々あるけど」
「まだよく分からないですけど、どこが稼げますか?」
そう聞くと主任が考え始め
「ん~、稼ぐならやっぱり甲府駅かな、長距離もあるし」
「そうなんですね。じゃあ甲府駅で待機したいですね」
「分かった。とりあえず午前中は地元でお客さんを乗せて、午後から甲府駅で待機する流れでやっていこうか」
「分かりました。よろしくお願いします」
そう言ってタクシーを前に出し会社で待機する事にした。
「まだお客さんも、無線も来ないから、お復習するか、平岡、ちゃんと見てて覚えてる?無線の取り方?」
「まだ自分では操作をしていないので何とも言えないです」
「分かった。軽く説明するね。まず始めに無線が鳴ったらナビに、はい、が表示されます。その、はい、を押したら迎え先とお客様の名前が書いてあります。そして、迎え場所が分からなかったら現在地って書いてあるボタンを押せばそこまでのルートが表示されます。後はナビ通りに進んで到着。到着したら今度は、戻る、ボタンを押せば最初に表示された画面に戻ってお客様の名前を確認する。ナビと無線は連動してるから、逆もまた出来る。例えば、平岡の場合まだ初めてで、お客さんが乗って行き先言われても、分からない時は、目的地を無線で教える、そうすれば、無線室で目的地を調べてナビに出してくれるから、分からなければ、どんどん聞いた方がいいからね」
便利な世の中になったもんだと感心し、お客様、無線を待つことに……20分後……いきなり、そして遂に無線が鳴り始めたのである。
「キンコン、キンコン」
ビックリしながら慌てて言われた通りに、はい、を押す。ボタンを押した手が緊張で震えているのが分かる。しかし、震える手でハンドルを握ると、ピタッと震えが治まった。
「ふー」
深く深呼吸をしてナビを見る。そこには、杉田様、大里町と表示されていた。すると主任が
「大里町の杉田さんね。おばあちゃんで、病院とか買い物に行く時、よく利用してくれるから覚えといてね」
「了解です。お得意様なんですね。いやー、しかし主任、最初はやっぱり緊張しますね」
「慣れだよ、慣れ。それに杉田さんは凄く感じが良くて、優しい人だから大丈夫だよ」
そんな感じで、雑談しながら緊張をほぐし、気持ちを切り替えながらお客様をお迎えにタクシーを走らせる。お客様の家に着くと、もう玄関前に白髪頭で少し腰の曲がったおばあちゃんがそこに立っていた。ドアを開けてお客様の名前を確認する。
「お待ちどう様です。杉田様ですか?」
「そうです。あら、珍しい。若い運転手さんなんですね。何?新しく入った人?」
そう言いながらゆっくりと乗車。すると、主任がお客様に声をかける。
「そうなんですよ。今研修で2人乗りなので、ご迷惑をおかけします。杉田様、今日はどちらに行かれますか?」
「いえいえ、迷惑だなんて。今日は三神医院までお願いします」
「了解です」
そして、足元と服を挟まないか見て確認し、ドアをゆっくりと閉めタクシーを走らせる。勿論、まだ三神医院の場所を知らない…
「主任、どっちに曲がりますか?」
「右に曲がって暫く真っ直ぐ行って」
「分かりました」
右折をして直進し始めると杉田様が珍しそうに尋ねてきた。
「本当にお若いですね。いくつになるの?」
無理もない。甲府のタクシードライバーで20代は、まだ、自分だけなのである。
「今年で22歳になりました。これから先よろしくお願いします」
「若いんだからこれから頑張るんだよ。私なんて今じゃ、ほぼ毎日病院に通ってるんだよ。これが仕事みたいなものになっちゃって、嫌だわ、オホホホ」
「ハハハ……でも、今の年配の人が若い時にばりばり仕事を頑張ってくれたおかげで今があるんだから、もう無理はしなくて、健康でいてください」
「あら、嬉しい事を言ってくれて、ありがとうね」
バックミラーでお客様を見たら本当に優しそうで穏やかな顔をしていた。すると目の前に三神医院の看板が出てきた。左にウィンカーを出し駐車場に入り病院の目の前で停車する事に。
「こちらでよろしいですか?」
「はい、ありがとうね。お幾らかしら?」
「はい、740円です」
初乗り料金であった。
「じゃあこれで、御釣りはいらないわ、二人で飲み物でも買ってちょうだい」
優しい表情で1000円を出してきて、そう言ってきた。
「ご馳走さまです。ありがとうございました」
そう言ってお客様が降りて、ドアを閉める。
短い距離、短い時間だったけど、最初のお客様。この先、一生忘れないんだろうなと思いながら病院を出てタクシーを走らせる。
「平岡、タクシードライバーは色々なお客様の命を乗せて走る仕事だけど、でもそれだけじゃないんだ。プロドライバーは如何に目的地まで気持ちよく乗ってもらうかも、仕事の内だから
今のは凄く良かったよ」
主任からタクシードライバーの心構えを教えてもらい、誉めてもらったので少しだけ自信が付いたのであった。
「ありがとうございます。ところで1000円なんですけど……」
「この先に自動販売機があるから、そこで飲み物を買って、少し早いけど甲府駅行くか」
「分かりました」
自動販売機にタクシーを停めて2人で苦いブラックコーヒーを飲み干し、甲府駅に向かうのであった。そして、午前11時を少し過ぎた頃に甲府駅に到着した。すると、甲府駅前には色々なタクシーが列をなして並んでいた。その台数約50台。圧巻の光景で目を疑い、どこに並ぶのかも分からず戸惑っていたら、主任が
「右から詰めて入って」
「分かりました」
言われるがままに、指示に従い車を停める。
「主任、甲府にタクシー会社がこんなに沢山あるの全然知りませんでした。何社あるんですか?」
「20社ぐらいはあるんじゃないかな。色々な人がいるから、気を付けて」
「ん?気を付けてとは?」
「………」
「何故黙る?気を付けてとは?気になるではないか」
と思いながら華麗にスルーされたので、違う質問をする事にした。
「お客様をどうやって乗せるんですか」
「あー、お客様は、並んでる順番に乗せるんだよ。だから前の車が進んだら同じように進めば大丈夫、その辺は、見て覚えて」
「分かりました」
30分経過……全然進まない……痺れを切らし
「主任、全然お客様来ないですね…」
「それはそうだよ。電車が着かなければ、お客様は来ないよ。だいたい、1時間に1回乗せる位かな」
そう言って車の中でゆっくり、出番が来るのを待つことになった。…1時間後…電車が着き駅から人が沢山降りてきたのだ。
「いよいよ、自分の番だ」
気を引き締め、車を前に出す。すると、スーツを着たサラリーマン4人がタクシーの方に歩いてきた。タクシーは運転手を入れて5人乗り、1人多いのである。
「平岡、降りて待ってて」
「ですよね~」
車を降り、主任とお客様が乗ったタクシーが軽快に走り出す。駅にポツンと置いていかれた。辺りを見渡すと、知らないタクシー、初めて来た待機場所……完全にアウェーである。
「煙草でも吸うか」
もう一度辺りを見回すとタクシーが列をなして並んでる裏に、灰皿とベンチが有り、煙草を吸ってる1人の運転手さんが見えた。
「ん?何処かで見覚えが…」
とりあえず、その場所に向いながら思い出すことに………そして思い出した。免許センターで話し掛けてくれた人が煙草を吸っていたのである。今の自分の状況には、敵陣に光輝く救世主のように眩しく見えた。
「こんにちは、免許センターで一緒に合格した人ですよね?」
そう声を掛け煙草に火を付ける。すると驚いた表情で此方を振り向く。
「おー。その節はどうも。どこの会社に入ったの?」
「覚えててくれたんですね。甲府タクシーに入社した平岡です。何処に入社したんですか?」
「覚えてるよ。俺は燕タクシーに入ったよ。名前は青山って言うから適当に呼んで」
「分かりました。青山さんも今研修中ですか?
」
「俺はこの間終わったよ。平岡はまだ研修中なの」
「そうです。まだ研修中で今日初めて甲府駅で待機したんですけど…お客様が4名だったから、降り」
「おい、お前ら」
会話の途中で後ろから怒鳴り声が聴こえたので恐る恐る振り返る。そこには、背が高く、体格もいい、白髪頭のオールバック、おまけに色付き眼鏡。見た目がいかつい人が立って睨んでいた。
「特にお前、まだ若いじゃねーか。どこの会社だ。何歳だ」
自分の方を向き、睨み付けながら言ってきた。
「甲府タクシーで、歳は2 2歳です」
「2 2だ~、タクシー辞めろ、違う職を探せ」
大きなお世話である。すると、今度は優しい口調になり
「タクシーなんて歳を取ってからでも出来るんだから、若い内は違う職の方がいいだろ」
正論である。しかし、自分で決めた仕事、なりたくてなった仕事、辞める気は更々ない。すると今度も後ろの方から怒鳴り声が聞こえてきた。
「テメー、横入りしてんじゃねえぞ。俺の方が先だったじゃねえか」
「何勘違いしてんだ。俺の方が早かっただろ」
怒鳴り声が聞こえる方を振り向くと運転手同士で胸ぐらを掴み合っていた。ここは本当に戦場であった。
「マジか」
ボソッと言い慌てて煙草の火を消して止めに入る。
「ちょっと、ちょっと、止めましょうよ」
胸ぐらを掴み合ってる間に割って入る。
「お前は誰だ」
左側の運転手が聞いてきたので
「甲府タクシーに新しく入った平岡です。ね、止めましょうよ」
すると今度は右側から
「右も左も分からん奴がしゃしゃり出てくるな、引っ込んでろ」
混沌としている戦場。もう、どうにもならなくなり、救いの手を差しのべる為、救世主の方を見る。が、しかし救世主が目を反らし、自分のタクシーに向かい乗り込んだ……青山が逃げた……
「おい、お前ら、その辺でもうやめとけ」
今度は、さっきのいかつい人が止めに入ってくれたのである。すると、胸ぐらを掴み合ってた手が解けていく。これが本当の鶴の一声。
「石井さんに感謝しろ。次はねーからな」
そう言い放ち胸ぐらを掴んでいた人達が車に戻り、俺と石井さん、2人だけになる。
「このいかつい人は、石井さんて言うんだ。と言うか、あなたは何?甲府駅の覇者ですか?」
と心で思いながら、感謝をする。
「ありがとうございました。まだ自分じゃ止められなかったので助かりました」
「ここは、血の気の多い奴等が多いからな。なんかあったら俺に言ってきな。俺は石井、一応ここの責任者だから。でも、若いんだから身の振り方を考えた方がいいぞ」
そう言い残し石井さんは自分のタクシーに乗り込んだ。本当に大きなお世話である。
「とりあえず、もう一本吸うか」
灰皿の方に向かい煙草に火を点ける。
「フーー」
ゆっくり吸いながら主任を待つ事にした。そして、20分後、主任が帰って来た。
「おーい、お待たせ」
「いやー、待ちましたよ。やる事無くてこれで3本目です」
そう言いながら、3本目の煙草の火を消して、自分達のタクシーに乗り込んだ。
「主任、気を付けてって言ったじゃないですか?その意味が分かりましたよ」
「ん?何かあったの?」
「ありましたよ」
そして、事の本末を説明した。説明を終えると、主任が頷き、話を始めた。
「甲府駅前の人達は仕事に厳しい人が多いからね。でも、勘違いをしないで、お客様には気さくで、凄く優しいんだよ。平岡の働きたい、と言った待機場所はそんな感じだけど、どう?やっていけそう?」
少し、心配した様子で主任が聞いていたので、心配させまいと思い、ハキハキと答えると同時に覚悟も決める。
「大丈夫です。それに、静かな場所より騒がしい場所の方が自分に合ってると思います」
「平岡が大丈夫ならいいんだけど…無理はしないでね。でも、俺なら、静かな場所の方がいいかな~」
余計に心配を掛け、そして、下らない雑談をしながらお客様を待っていると出番が回ってきた。今度もスーツ姿のサラリーマン、人数は1人。タクシーを前に出しドアを開ける。
「よろしくお願いします。どちらまで行きますか?」
「国母工業団地のバイオニアまでお願いします」
「かしこまりました。主任、お願いします」
「とりあえず、平和通りを真っ直ぐ進んで。それと、お客様、今研修中で2人でご案内しているのでよろしくお願いします」
「いえいえ、大丈夫ですよ。誰にだって新人の頃はありますからね。それに、無事に着ければいいので大丈夫ですよ」
なんて優しく、紳士な人なんでしょうか。そう思いながら、タクシーを走らせる。
「次の信号を右に曲がって」
「了解です」
右にウィンカーを出しながら右車線に入り信号待ちをしていると、お客様が
「若い運転手さんが入ったんですね。歳はいくつなんですか?」
「今年、22歳になりました。まだ入ったばかりで…ご迷惑お掛けします。お客様は今日、出張で来られたんですか?」
「そうなんですよ。月に3回は来てますよ。でも、私に限らず、色々な人が行く会社だから覚えていた方がいいですよ」
「分かりました。よく覚えておきますね」
そして、信号が変わり右折をし、そのまま真っ直ぐ道なりに進む…結構な距離を道なりに直進する。でも、主任からの指示がない…不安な気持ちになってきたので主任に確認する。
「主任、まだ真っ直ぐでいいんですか」
「もうちょっと真っ直ぐ行って、途中、二股道になるから、それを左の方に行って後はまた直進。そしたら、目的地に着くから」
「了解です」
言われるがままに運転をしていると、目の前に大きな会社が建ち並ぶ工業団地が見えてきたのであった。目的地に到着である。バイオニアの大きな看板があったのでタクシーをそこで停め、清算をする事に。
「ここでよろしいですか?」
「大丈夫です。支払いはカードでもいいですか?」
「大丈夫ですよ。料金は2180円になります」
「分かりました。では、これで」
カードを渡してもらい、主任に教わりながら不慣れな手付きで操作を始めた。そして、操作を終えカードを返してドアを開ける。
「ありがとうございました。またよろしくお願いします」
するとお客様が降り際に
「こちらこそ、タクシーは大変仕事だと思うけど、頑張って下さい」
最後まで本当に紳士な対応をされ感心しながら会社を後にタクシーをまた走らせる。
「主任、今のお客様、凄く紳士的でしたね」
「そうだね。でも平岡、これだけは覚えておいて。お客様は紳士な人もいる、横柄な態度の人もいる、夜になると酔っぱらってる人もいる。色々なお客様がいるから、臨機応変な対応を心掛けてね」
「分かりました」
本当に色々な事を主任から教わりながら、10日間の研修を終えるのであった。そして、ここからお客様との物語が始まるのである。