5BET 祈り
天高く聳え立つ塔『黄昏』。最上階から下を見下ろせば、アリのように小さな人々とパズルの様に綺麗に並ぶ家々を一望できる。ここはこの島の展望台。その塔の最上階に気づけば天才は足を踏み入れていた。
「全部だ。俺の全部を賭ける」
突如現れた天才。翔のその声に最上階に居座る猛者中の猛者である博徒達が舌を巻く。確かな論理と運を持ってこの塔の最上階まで来た者たちが唾を飲み込むことすら許されない。目が乾いても唯ひたすらこの緊迫した状況を見つめることしか出来ない。
翔は自分の背に山の様に積まれたチップの重圧を受けるどころか、まるで日常の一部かのようにニヤリと笑う。
「それでは玉を投入させて頂きます」
ディーラーの黒スーツの男は震えた声でそう言う。
汗ばんだ手に持った小さな玉は、その大きさと反比例してプレッシャーを生む。しかし、黒スーツの目は決意に揺るぎは無かった。
こんな話しがある。プロのディーラーはトランプでは好きなカードを引き、ルーレットでは好きな数字に落とせると。
最大の運には最高の技で応酬する。それが黄昏最上階のディーラーとしてのプロの矜恃であり、賭場の戦い方である。
黒スーツは翔の賭けた赤の1をチラリと覗いた後、祈る様に玉を放った。いや、祈る様に玉を投げ入れしまった。
静かなフロアにカタカタという音だけ響き渡る。
そんな中、静寂を破るように翔は口を開いた。
「あんた、もう終わりだよ」
黒スーツは困惑する。いったい自分の何がダメだったのか。いや、ミスは無かったはず…!そんな思いが胸中にある。
「プロが、神に祈ったら終わりだよ」
「____!?」
そう、黒スーツは翔の博打の才能に怯え、祈ってしまった。そして、その怯えは僅かなズレとなり、その僅かなズレはいずれ波に揉まれ、何倍にも、いや、何十倍にも増幅する。
「受付を終了致しました」
虚しく二回のベルが鳴り響く。
放たれた玉は綺麗な弧を描き、極端に、翔の賭けた1の反対側である2へと吸い込まれるように向かっていく。はずだった。
玉は意志を持ったように弾かれながら1へと向かっていく。まるで我を忘れたように。
そもそもルーレットはディーラーが玉を投げ入れた後も一定のベットする時間が与えられる。しかし、翔はあえてここまでそれをしていない。たとえ、プロの技でねじ伏せられようとも一切その手を緩めなかった。
それは何故か。そうこれこそが今の伏線。黒スーツの技への絶対的自信からくる慢心。そしてそれをも上回る一度も経験したことの無い、大きな勝負による恐怖心。そのふたつが対峙した時、適当に玉を放り込むという選択肢を潰し、残されたのはミスしては行けないという重圧の中での攻撃。これは黒スーツが選んだのでは無い。選ばされていたのだ。
「この玉、1に入るよ」
「そ、そんなわけっ!!」
ここで黒スーツは有るまじき行為に出る。怒りのあまり台を強打した。その瞬間、0に入りかけた玉が僅かにズレ、翔の待つ暗黒の龍の口、1へと飛び込む。
「は、はぇあ!!そ、そんなわけ!!」
「あるんだな、これが」
黒スーツは腰を抜かす。あまりの出来事に頭がショートし、理解が追いつかない。しかし、これも理の一つ。
決して運による勝ちではない。力により運を引き寄せたによる勝ちなのである。
「技の無いプロ。牙の折れたライオン程滑稽なものは無い。悪いけど食える所まで食い散らかす。そう」
俺はハイエナだ。そう心に唱え、チップの賭ける位置を決めていた時だった。
「もうええじゃろうて」
全員がその声に振り返る。翔やソフィアですらそれは例外ではない。
振り返ったその先には、背中は小さく丸まり、この場に不釣り合いなヨレた白シャツを着た70代程の老人が座っていた。
「なんだって…?」
「だから、もうええじゃろうて」
翔の身震いする程の威圧にも屈せず平然と言葉を繰り返す老人。その老人は席を立つと翔の肩をポンと叩き呟いた。
「そんな小さな賭けしてもつまらんだろう」
その言葉にハッと息を飲む翔。するとフロアの奥から何やら仰々しい出で立ちの男が出てきた。
「私、当カジノ『黄昏』の支配人をさせて頂いているアバン、と申します。お客様にはここより最適な場を…」「いらねぇよ」
場が凍る。支配人を名乗った男は自分の言葉を遮った翔をギョッとした目で覗き込む。
「今なんと…?」
「だからいらねぇっ、て言ったんだよ。あんたにそんな所紹介される筋合いはない」
「てめぇ…人が下手に出てりゃあ良い気になりやがって…」
「それよりさ、俺はそこのじいちゃんにもっといい場所紹介して欲しーな」
「な、何を!!」
男の言葉を遮る様にハッハッという笑い声が響く。高らかに笑う老人は手をパチパチと叩き「気に入った」と一言発した後、エレベーターホールへと向かっていく。
「これってさ、着いて来いって事だよね?」
翔の問いに支配人の男は「さぁな」とだけ短く答える。しかし、すぐに「死にたかったら好きにしな」とだけ言い残しその場を後にした。
「じゃあ本命に行きますか」