《☆~ ビアンカ‐ヴィニガの娘 ~》
本日の職務も終え、明日の予定が定まったので、キャロリーヌとオイルレーズンは宮廷から退出してきた。
二人は現在のところ、かつてメルフィル公爵家のお邸があった辺りに新しく建てられた、独身の宮廷官職者のみが利用できる官舎で、共同の自炊生活をしている。
これは、常に質素倹約を心掛けるオイルレーズンが提案して、二ヶ月前に始まった。他に家族が一人もいなくて、まだまだ給金の少ない四等官、キャロリーヌも、大いに助かっている。
「この後、あたしゃ別のところに、用向きが一つあるのでなあ、キャロルは先に帰り、夕餉の準備を始めてくれるか。今日は真雁を捕ってきてあるから、久しぶりに煮込み料理を作って貰いたいのじゃ。あたしの、この顎が機嫌を悪くする前に食べておかねばならぬでのう。ふぁっははぁ、あんががぁ~、心配をしてやってる傍から、この顎は、早速もう痛み出してきおったわい!」
「あらあら、いけませんこと。そうしますと、あの貴重な合成調味料、白竜髄塩を使う必要がありますわね」
「ふむ。頼んだぞ」
「はい」
オイルレーズンは、疼く顎を手でさすりながら、異なる道に向かって、すたこらと歩いてゆくのだった。
この場に残されたキャロリーヌは、一人で宮廷官舎へ帰ることにする。
日の暮れる少し前のため、周囲の篝火は灯されていない。
まだ人族の通行も比較的に多い。輝くローラシア皇国城の色が、間もなく変化を始めるであろう。
黄昏の刻限を迎えつつある中央通りを、キャロリーヌが真っすぐに歩いていると、脇道の方から現れた女性が、唐突に夜の挨拶を発してくる。
「お今晩は、四等管理官さま」
「あっ、お今晩は。えっと、あなたは、どなたかしら?」
「これは失礼を致しました。かつて三等調理官の職にあってグリル‐メルフィル公爵の下で働いておりましたビアンカ‐ヴィニガの娘、ロッソです。私の母は、三年前に起きたパンゲア帝国皇太子暗殺事変の連帯責任により、職を剥がれました」
子爵家のヴィニガは、メルフィル公爵家と並び、古くから優秀な調理官を輩出してきた名門の家系で、その道を志していたキャロリーヌも少なからず、このお家の名を耳にしたことがある。ビアンカという三等官のことも、グリルの口から聞いた記憶が残っている。
「まあ、そうなのですね! あなたのお母さまには、誠にお気の毒なことと存じます。あたくしは、どうお詫びすればよろしいのやら……」
「いいえ。その必要はありません。むしろ、お詫びしなければならないのは、私の方ですから」
キャロリーヌは、最初のうち、この者から恨み言を聞かされるのかと思っていたけれど、その予想が外れていたことで少し驚いた。
「それは一体、どういうことなのかしら?」
「いえ、その……」
女性が本当に申し訳なさそうな表情をしている。この様子から、彼女には特別な事情があるのだろうと、キャロリーヌは判断した。
「あのロッソさん、込み入ったお話があるようでしたら、このように道の途中で立ち話を続けるのも支障がありましょうし、もしよろしかったら、あたくしの暮らしております宮廷官舎へいらしては、いかがでしょうか?」
「いえ、済みません。今日のところは失礼させて頂きます。病気の母が待っておりますものですから。お話は日を改めて、させて頂きたいと思います」
「まあなんということ、ご病気であられますのね」
「ええ、そうなのです」
「それはまたお気の毒ですわ。どうかお大事にと、お伝え下さいまし」
「ありがとう。それでは、これにて」
「はい。ご機嫌、麗しゅうに」
「四等管理官さまも」
二等地の方角へ向かって、ロッソがとぼとぼと歩いてゆく。
キャロリーヌは、しばらく彼女を見送り、そしてオイルレーズンから煮込み料理を頼まれていることを思い出し、急ぎ官舎へ帰ることにした。




