《★~ 過去(五) ~》
メルフィル家はグリルを中心に家族四人、辺境の地にありながら、二年以上をのんびりと過ごした。この期間の彼らについて、考え方を変えるならば、ある意味においては幸福だったのかもしれない。
本当の没落は、この先に起こるのだったから。
まずはキャロリーヌの母が発狂し、心臓発作を起こして急死。なぜマーガリーナが発狂したのかは謎だった。
それから数日後にトースターの自死があった。短い遺書を残し、毒を飲み入水したらしい。近くにある小さな泉に、仰向けで浮いている彼の亡骸を発見したのは、他でもなくキャロリーヌだった。
続いてその翌月、これまで壮健そのものであったグリルまでが、あろうことか倒れて寝た切りとなってしまう。おそろしい不治の病「竜魔痴」を患うのだった。
立て続けに起きた母と弟の死、その悲しみを乗り越えようと気丈にしていたキャロリーヌではあったけれど、これにはすっかり沈み込んだ。無理もないことである。
それでもキャロリーヌは自己を鼓舞して、父の看病を続けながらでも調理官になるのだという希望を、まだ捨てずにいるのだった。
グリルたち一家が追放されて以降、定期的に政策官がこの地を訪れていた。
その目的の一つは、宮廷からの支援物資の運搬。所有金貨がすべて没収される替わりに、保存食など生活に必要な物品が皇国から配給されてくるのだった。
もう一つ、近況確認が行われるのだけれど、それはいつも特に変わった報告や連絡などなく、担当している二人の四等政策官にとっても、グリルたちにとっても、ほとんど形だけの対応になっていた。
ところが、グリルが倒れてから最初になる訪問日に、いつもの担当者とは異なる二等の政策官と管理官がやってきたのである。
キャリア宮廷官たちを談話室に迎え、キャロリーヌが彼らとの面談に臨んだ。
グリルの病状を聞いた二人は、慰めの言葉を掛けてくれた。
それから、二等管理官が少し神妙な面持ちで、別の話を始めた。
キャロリーヌの婚約話である。お相手は、今ローラシア皇国で一番に煌めいている若い一等管理官とのこと。
宮廷官として優秀なのはもちろんで、それに加えて長身の美男子で性格も温厚という、皇国中で高い評判を轟かせている人物である。
だからキャロリーヌにしてみれば、信じられないような慶事だった。
二等管理官が言葉を添える。
「一つ条件がある」
「どういうことでございましょう?」
「以前、皇帝陛下からメルフィル公爵家に下賜された白馬だ。あれを一等管理官殿が強く望まれている。条件というのは、ただそれだけだ」
かつてグリルが失脚する際に、皇帝陛下が温情で、キャロリーヌの弟にお与え下さった牝馬のことである。
あの白いお馬は、トースターが「ファルキリー」と名づけて愛育していた。
その彼の亡きメルフィル家で、今は誰も騎乗することはない。
譲るのは簡単であるけれど、皇帝陛下からの賜わりものを、そのような扱いにして許されるのかどうか、それのみが気掛かりである。
「白馬をお譲りするというのは、容易いことにございますけれど……」
「おおそうか、その旨を早速伝えよう。皇帝陛下もお喜びのことと思う」
「え、陛下が!?」
「そう、この婚約話の端緒は皇帝陛下なのだ。代々優秀な調理官を輩出してきた血筋を絶やしてしまうことは誠に遺憾。と、それが陛下のお考えである。キャロリーヌ嬢よ、当然のこと、受けるであろうな?」
「はい、喜んで」
この吉報を聞くまでは、まだ十五歳の身空でありながら、婚姻は無理だとすっかり諦めていた。胸の内にあったのは、仕事にのみ生きようという固い決心だけだったから。
そんなキャロリーヌが、久しぶりに笑顔を見せる瞬間だった。