《☆~ 帝国の不穏な動向(一) ~》
六つ刻が近づくにつれて、アタゴー山麓西門食堂に賑わいが増す。
そんな中、ショコラビスケが嬉々とした顔面で、「せっかくだから、ここで昼飯ってえことにしようぜ!」と大声で提言する。
彼の身体が泥塗れだから、やってくるお客の多くが、眉をひそめたり顔を背けたりするなど、少なからず辟易した気色を見せていた。
これにはマトンが思わず苦言を呈する。
「昼餉の前に、ショコラは、まず近くの湯場で汚れを落とすべきだね」
「がほほ、ご尤もな道理でさあ!」
マトンが口にした湯場というのは、身体の大きさや汚れなどに見合った枚数の銀貨を支払ってお湯を使わせて貰う施設で、「お湯屋」と呼ぶ者も多い。
「そんじゃ早速、一走り行ってくることにするぜ!」
威勢よく駆け出そうとするショコラビスケの背中に向けて、キャロリーヌが咄嗟に言葉を投げ掛ける。
「お待ちになって!」
「首領、一体なんですかい?」
「お料理をもう決めておられるようでしたら、あたくしの方で注文を済ませておきましょうか?」
「さすがは首領、なかなかに名案でさあ! 俺さまの料理は、牙猪肉の燻製入り炊米飯を六人前と、冷たい古古椰子果汁を頼んでおいて下せえ!」
ショコラビスケは希望の品を伝えた上で、急ぎ湯場へ向かう。
・ ・ ・
こちらはエルフルト共和国の中央情報局、長官を務めるチュトロ‐ハタケーツが使う一室で、配下の者は皆「夫人の間」と呼ぶ。
大統領夫人という表の顔を合わせ持つチュトロを前にして、一人の諜報員が、少なからず緊迫した面持ちで報告を始める。
「パンゲア帝国において目下、不穏な動向が三つあるのを察知した次第です。一つは五日前、帝国軍が唐突に始めた軍事演習で、かつてないほど大規模に行われています。それと呼応するかのように、国内、国外を問わず、軍人を大々的に招集する動きが活発となっています」
「そうですか。三つ目は、どういった動向かしら?」
「政策官長の任にあるバトルド‐サトニラが、ローラシア皇国とドリンク民国に向けて、同一内容の親書を送っていることです。その文面には、優秀な医療学者を派遣して貰いたい旨が、簡潔に記されていました」
「バトルド‐サトニラは、剃髪姿の宦官でしたね。医療学者を求めるのは、帝国王室の要人で、誰か重篤な状況に見舞われている者がいるという動機があってのことでしょうか」
「その辺りにつきましては、まだ掴めておりません。今後の諜報で、その動機を速やかに見極める所存です!」
自信に満ちた口調で答える諜報員に、チュトロが笑みを見せる。
「ご苦労でした。続報を待つとしましょう」
「はっ!」
諜報員は腰を折ってお辞儀し、キビキビとした所作で立ち去る。
一方のチュトロは、安楽椅子の上で、しばらく思案を続ける。
《サトニラ氏が、こちらに親書を送ってこないのは、エルフルト共和国が協力しないと見越しているからでしょうか? 考えると、お腹が減るものねえ……》
チュトロは、ゆるりと立ち上がり、食堂へ移動するのだった。
途中の廊下、前方を医療大臣のマカレル‐ザクースカが歩いていたので、早足で追いつき言葉を掛ける。
「ずっとお仕事をなさっていたの?」
「はい。少しばかり難しい外科手術をしておりました」
「ご苦労でした。また一人、患者が救われましたね」
「仰せの通りにございます」
このマカレルは、紛れもなく優秀な医療学者に相違ない。
隣接しているローラシア皇国には、オマール‐ラブスタという名前の一等医療官がいて、「医療に関してはグレート‐ローラシア大陸で一番に腕が立つ」と高い評判が知れ渡っているけれど、常日頃からチュトロは、「ザクースカ氏にしても、ラブスタ氏に勝るとも劣らない」と信じて疑わない。
「あなたも遅い昼餉なのかしら?」
「そうです。手術が長引き、このような刻限を迎えてしまいました」
「でしたら二人で、静かな昼餉会といきましょうか?」
「望むところです」
「面白そうな相談があるのよ」
「楽しみが一つ得られるなら嬉しく思います」
「そうだわね。うふふ」
チュトロは微笑みながら、マカレルを連れて食堂へ向かう。




