《☆~ 入国拒否の勅令(二) ~》
長年に渡る魚釣りで忍耐強さを備えたサトニラ氏は、平静を装っているような顔面を崩さず、さらに話を続ける。
「昨日の催しは、幸いにして順調に進み、思惑通りに大盛況となりまして、先代王の第二王妃、ドライドレーズン妃殿下の母君であられます、あのオイルレーズン女史も、わざわざご観覧にお越し下さり」
「なに、それは本当か!!」
「もちろんでございますとも。特別観覧席にお招きした上で、私と一緒に観戦しておられたのですが、誠に残念ながら、途中でお帰りになりました」
「確かに残念だ。再びパンゲア地下牢獄へ追いやれず、逃したのだからな」
突如、部屋の外から「ただ今、戻って参りました!」と甲高い声が響く。
ベイクドアラスカが瞳を妖しく輝かせ、「遠慮なく、こちらにこい」と入場の許可を与える。
黒い外衣を纏った女性が姿を現し、右の膝頭を床につけ頭部を低く保ったまま、微動だにしない。
この者は、デミタス‐サイフォンという名の第三女官で、第一女官と第二女官がいなくなって以降、帝国王室の後宮内で、最も忙しく立ち働くようになった。ベイクドアラスカからも頼りにされており、当の本人は、なによりも給金が増えたことを大いに喜んでいる。
「頭を上げてよいぞ」
「はっ!」
デミタスが、ゆっくり上体を起こす。
彼女の顔面を睨みながら、ベイクドアラスカが低い声で問う。
「例の仕事は、首尾よく運んだのだろうな?」
「はい。すべて抜かりなく」
「よおし、詳しく聞かせて貰うぞ。ついて参れ!」
安楽椅子からベイクドアラスカが腰を上げ、先に部屋を出ようとする。デミタスも立って、「御意」と明るい声で発してから後に続く。
第一王妃の間に移動した二人は、誰の耳にも届かないように密談を行う。話の中身については、政策官長のサトニラ氏ですら知り得ない、最上級の機密である。
・ ・ ・
こちらはアタゴー山麓東門、たった今、キャロリーヌたちを乗せた馬車が、検問所に到着したところ。
人族と亜人類は、ローラシア皇国へ入るために、本人性証明を受けて、国境の通過を許可して貰わなければならない。
シルキーを除いた五人が地面に降り立ち、早速、検問所へ入った。
ここで長を務める二等護衛官のクレソン‐ピューレが、オイルレーズンの姿を見つけるや否や、あわてた様子で駆けつけた。
「誠に申し上げにくい進言ですが、オイルレーズン女史とキャロリーヌ嬢におかれましては、この先、一歩もお通しできかねます」
「ほほう、それはどうした訳じゃな?」
「実は昨日、皇国の中央で《入国拒否の勅令》が発動されました」
「なんじゃと!!」
あまりに衝撃が強かったがため、オイルレーズンは、思わず口を大きく開けてしまい、久しぶりに顎が痛くなった。
横からキャロリーヌが、クレソンに尋ねる。
「二等護衛官さま、入国拒否の勅令というのは、どのようなご指示ですの?」
「昨晩遅くに飛行書が到着し、儂も詳しい経緯を知っていませんが、なんでも臨時会合が開かれ、皇国重要案件、水準の一の対応として、月系統魔女族の国外追放が取り決められた模様です」
困惑した気色のクレソンが、護衛官の魔女族によって届けられた伝書に記されてある通りの内容を話す。
ローラシア皇国の至るところで、数日前から月系統魔女族を蔑む悪い噂が立ち上がり、まるで森林の乾いた葉に火が点いて燃え広がる勢いで広まった。そうして、人々の胸に刻まれた恐怖が、さらに油を注ぐかのように、月系統魔女族を忌み嫌う言動を加速させた。
この厄介な事態を前にした皇国中央が、国外追放と入国拒否という、二つの勅令を発動するに至った。
「蒼色月の害悪を真に受ける者は、思いの外、多いようじゃな」
「仰せの通りです。儂は信じたくありませんが、そうかといって、皇国の定めた命令に背く真似など決してできませんし……」
「ふむ。そなたの辛さは骨身に沁みて分かるわい。じゃから、そのように気を揉む必要なぞ、砂粒の大きさすらもないよ」
月系統魔女族の方こそ、本当に辛い立場である。
それでもオイルレーズンは、職務を実直に遂行しなければならないクレソンの心情を汲み取り、温かい言葉を掛けるのだった。




