《★~ 急な出立 ~》
やや難しい思案顔を見せるオイルレーズンに、オマールが問う。
「もしや、銀海竜の討伐、もしくは黄獏を狩りに向おうと、お考えですか?」
「その通りじゃわい。どちらを選ぶかのう……」
銀海竜は希少な凶竜だけれど、オイルレーズンは、グレート‐ローラシア大陸の南にある広い海域のうち、いわゆる「穴場」と呼ぶに値する、格別の地点を知っている。ただ、そこへ赴いて遭遇できたとしても、海中で戦うことに伴う多大な危険に加え、狂暴の程度なら金竜に勝るとも劣らないがため、逆鱗を奪い取るという望みは極めて薄い。かつて一度だけ相見えた経験があり、オイルレーズンには、それが骨身に沁みるほど分かっている。
一方の黄獏は、遭遇しさえすれば、容易く捕獲できる。しかしながら、現在のところ、知られている生息地は、進入禁止の地帯となっており、特別な許可を得られない限り、そこへ足を踏み入れる願いは叶わない。
だから、老魔女は悩むのだった。
「もう少しばかり、じっくりと考えてみるわい」
「そうですか。私どもで、なにか力添えできそうな用向きがございましたら、遠慮なく仰って下さい」
「差し当たっては、身分証と診断書が必要じゃな」
「はい。ご令嬢の氏名は、どのように記載すればよいでしょうか?」
「ふうむ……」
オイルレーズンは、眠っている少女を眺めながら考える。
彼女こそが正真正銘に、本物のキャロリーヌだけれど、そうすると、メルフィル公爵家には、二人のキャロリーヌがいることになってしまう。
「この者は昔、アタゴー山で産声を上げ、すぐ母親と死別した。グリル殿に拾って貰い、ラムシュと名づけられ、大切に育てられた子なのじゃよ」
「分かりました。氏名はラムシュ‐メルフィルですね」
「ふむ。助かるわい」
「あたくしも、一等医療官さまのご親切には、本当に感謝しています」
「どう致しまして」
オマールは、キャロリーヌたちに別れを告げ、宮廷へ帰った。
数分刻が経つと、またしても扉が誰かに叩かれる。
「あの男がきおったな。丁度よいわい」
オイルレーズンが顔面に笑みを浮かべて小屋から出ると、マトンの他に、もう一人がいた。先日までファルキリーのお世話役だった、若い三等護衛官である。
「オイルレーズン女史に、伝書をお届けに伺いましてございます!!」
「ご苦労じゃった」
「はっ! では、これにて失礼をば致します!」
三等護衛官が丁寧にお辞儀をした上で、速やかに立ち去る。
オイルレーズンは、受け取った羊皮紙の文面に視線を注ぐ。これは、エルフルト共和国大統領からの親書だった。
「ふむ。まさしく渡りに船じゃな。ふぁっははは!」
「首領、よい知らせがあったのでしょうか?」
「詳しい話は後じゃよ。マトンは、急ぎ旅の仕度を始めてくれるかのう。ショコラにも伝えて、寝台つき馬車を借りておくがよい。出立は、この場所にて、七つ刻を過ぎた頃とする」
「はい、承知しました!」
マトンは、いつも泊まっている宿屋に向かう。
そして、オイルレーズンとキャロリーヌも旅の仕度を始めた。
・ ・ ・
想定していた通り、七つ刻になると、少女が目を醒ました。
彼女の手に、赤色の力豆が手渡される。
「さあ、食すがよい」
「え、お豆を一粒だけ!?」
「急な出立になるが、これから馬車に乗って旅をする」
「えっ??」
「旅に出掛けたくないのなら、この小屋の中で、たった一人おればよい。次に起きた時には、誰もおらぬよ。食事もないわい。それでもよいかのう?」
「むう……」
少女は、渋々ながら立ち上がった。
小屋の外にマトンとショコラビスケ、およびシルキーが待っている。
「初めまして。ようやくお会いできましたね。僕はマトン‐ストロガノフ」
「……」
唐突に話し掛けられた少女は、呆然とならざるを得ない。
横からオイルレーズンが口を挟む。
「マトンや、悠長に名乗っておる暇なぞないわい。まだ話しておらぬかったが、この娘は、特発性過眠症と呼ばれる病気を患っておる。厄介なことに、すぐ眠ってしまうのじゃよ」
「ええっ、残念至極です! もっと親密に、言葉を交わしたいのに……」
肩を落とすマトンである。