《☆~ 迷宮の中深層(四) ~》
これまで数え切れないくらい沢山の亜人類が、中深層下り坂と名づけられた、この険しい崖を滑り落ち、あっけなく命を落としてきたという。
そんな難所の着地点、ショコラビスケが座り込んでいる。辛うじて死を免れたけれど、硬い岩が繰り返し激突し、左右とも足の骨が砕かれた。立ち上がることもできず、痛みに耐えながら、背負子に寄り掛かって助けを待つしかない。
そればかりか、吸血鼠の群れが、追い打ちを掛けるかのように迫りくる。いわゆる「泣きっ面に蜂」のような状況になってしまった。
「厄介な連中が嗅ぎつけてきやがったなあ。がほほ……」
苦い表情で愚痴を溢しながらも、肩に掛けていた背袋の中から、いくつか布きれを取り出す。
「早速、これを使う事態だぜ、まったくよお」
パースリが購入してくれた火打ちを使い、布きれの一つを燃やす。この策が功を奏し、鼠どもは、炎をおそれて、そう簡単には寄りつけない。
しかしながら、敵たちも、小さいけれど鼠なりの頭を使い、ショコラビスケの左右から背後へ回り込んで、襲撃の機会を窺っている。尤も、これは想定していた範囲内のこと。残りの布きれに火を点け、周囲を炎の砦とする。
こうして、数百匹の吸血鼠と、竜族一人の睨み合いが始まった。
やがて、布きれは燃え尽きてしまい、辺りに焦げた匂いが漂う。炎が消えることを知った鼠どもが、いっせいに、ショコラビスケの巨体に飛び掛かるのだった。
「がほっ!」
足や背中に噛みつく吸血鼠を、ショコラビスケは、両手で必死に払い飛ばす。
それでも、敵の群れは大きく、一匹を退治しても、また別の一匹が食らいついてくるので、とうてい埒が開かない。
じんじんとする左右の足、吸血鼠の歯によって容赦なく噛み破られた皮膚、および「シラタマジルコに申し訳ない」と悔いる胸の内。これらの激痛を感じながら、ショコラビスケは、ついに覚悟を決める。
「俺の命も、最早ここまでだぜ。シラタマの姐さんよお、救い出せてやれなくて、済まねえこった……」
観念で目を閉じようとしたところ、突如、眩い光が生じる。
ショコラビスケが「がっほ!!」と驚いて顔を上げると、剣を握る男の姿があるのだった。
「ショコラにしては、諦めが早いなあ」
マトンが笑いながら、彼の愛剣、イナズマストロガーノを片手で操って、剣先から雷金光を放つ。
鋭利な光が、ショコラビスケの身体に食らいつく鼠どもを、次々と落としてくれる。加えて、鋭い風切りの音が鳴り、もう一人、男が駆け寄った。
「少しばかり遅れてしまったが、このオレさまが到着したからには、お前の命は救われたも同然だ!」
「おうおう、ジャンバラヤさんも、助けにきてくれたのかよ」
「ああそうだ。黙って見ておけ!」
鎖鎌が宙を舞い、強い空気圧の力で、飛びついてくる鼠どもを切り飛ばす。
僅か一分刻ばかりのこと。あれだけ多くあった敵の姿が、ショコラビスケたちの周りから消え失せるのだった。
「マトンさん、ジャンバラヤさん、迷惑を掛けちまったぜ……」
「窮地に陥った面子を救うのは、集団を組んでいる者の務めだよ」
「剣士殿、その通りだ!」
「ありがとよ、お二人さん。がほ」
ショコラビスケが、思わず涙を溢す。
「泣くほど、傷が痛むというのかい?」
「いやあ、そいつは違いますぜ。俺さまは嬉しいのでさあ。こうして死に際を、仲間に見届けて貰えることがよお」
「こらショコラビスケ、お前、それでも誇り高い竜族の男か!」
「ショコラ、気を確かに持たないといけないよ」
「だけどよお、さすがの俺さまでも、毒が回ってきて、身体の感覚が、ずいぶんと薄れちまってるでさあ……」
「それは不味いことだ。しかし、もう少しだけ耐えろ!」
「やれやれ、あと一つ、仕事が必要だね」
マトンが傍に転がっている背負子を拾い、坂道を勢いよく駆けて上がる。
吸血鼠の毒というのは、それほど強くはないけれど、今のショコラビスケには、沢山の噛み痕がある。早く治癒を施さなければ、いかに頑強な身体が自慢の竜族といえども、危険な状態を迎えるに違いない。




