《★~ 迷宮の上層(三) ~》
香りが、色々と複雑に漂っている。薬剤類を取り扱っているらしい。
パースリが、店の奥へ向かって呼び掛ける。
「お今晩は。主人はおられますか!」
返答がなかったので、再び叫ぶ。
「ケトルさんは、おられますかーっ!」
「へえぇ~い!」
奥の方から、嗄れた声が響いてきた。
少しばかり待っていると、老いた小妖魔の男性が姿を現す。
「へへぇ、お待たせしやした。あてしが主人のケトルにごぜえます。晩飯、食うとりましたもんで」
「お食事をなさっておいでとは、済みません」
「いんやぁ、これも商売ですんに。そんでお旦那さん、なんを、お求めですかんのう?」
「こちらに、覇王樹の果実を置いておられると聞き及びましてね。まだ残っていますでしょうか」
「へえ、ごぜえます」
「では一粒、購入させて頂きましょう」
「ありがとうごぜえます。金貨四十枚ですんに」
「やけにお安いのですね!?」
パースリが目を丸くしながら、巾着の中の金貨を数えて支払う。
「魔女の魔法は一切、施されとりませんもんで」
ケトルは、三つ並んでいる戸棚の右端の前に立ち、上から二つ目の引き出しを開ける。小袋を一つ選び、手に取って差し出す。
「三日前に採ってごぜえます」
「それなら鮮度は、まだ保たれているでしょうね」
「へえへえ」
珍しくて高価な品目というのは、滅多に売れないもの。特に生鮮品だと、購入しようという者が訪れる前に傷んで、無駄になることも多い。店主にとって、これは大きな悩みの種である。
覇王樹が実るのは、百年に一度、花が咲く時だけなので、その果実は極めて希少な生鮮品である。十日ばかりで朽ちてしまうので、そのままでは店に置けない。たいてい、魔女族に「冷却状態」や「保存状態」というような魔法を施して貰うけれど、沢山のお代が必要となり、よりいっそう値が張ってしまう。
パースリが、もう一つ問う。
「売れなければ、お困りになりませんか?」
「六日目になったら、あてしが食うですんに」
「ああ、そういう訳でしたか」
「お陰で、あてしは長く生きてごぜえます」
覇王樹の果実は、小妖魔に延命効果をもたらすという。売れなければ自分で食べて無駄にしないという発想である。これは、いわゆる「持続可能な商売」を目指す方策の一つと言えよう。
購入した小袋が、パースリからキャロリーヌの手へと渡る。
「早速、シルキー氏に飲ませてあげて下さい」
「はい!」
キャロリーヌは大喜びで、指先に収まるくらいの丸い粒を摘み出す。
しかしながら、固い実なので、絞って汁を得ることなどできそうにない。
「この俺さまなら、容易いですぜ!」
「はい、お願いしますわ」
「へいへい、お任せでさあ」
ショコラビスケが、太い指の二本で粒を摘まみ取った。
シルキーの嘴が、キャロリーヌの手でゆっくり開かれる。それを見て、ショコラビスケは、指先に力を集中させる。
果実は瞬時に潰れ、透き通った薄い蒼色の汁が滴り落ち、白頭鷲の口に果汁が流れる。飲み込ませるために、嘴を閉じて喉元を優しく擦る。
次の瞬間、シルキーの両目が開き、喉から小さく「くいっ」と発する。
「あっ、お目醒めですわ!」
「うまくいったようだね」
「はい!」
マトンの問い掛けに、満面の笑みで答えるキャロリーヌである。
その一方で、シルキーは、自らの置かれている状況を把握できていない様子。
「きゅ?」
「キャビヂグラッセ女史が、雷金光の昏睡呪縛という魔法を使ったことで、あなたは、今まで眠っていらしたの」
「きゅい!」
シルキーは、キャロリーヌの説明で得心に至った。
「おうおう、全員が揃ったところで、いよいよ夕飯ですかい」
「そうですわね。なにを食すことにしましょうかしら?」
「少しは豪勢な料理を食べたいところだよ。深層まで進めば、普通の食事はできなくなるからね」
ここにケトルが口を挟んでくる。
「お旦那さんたちにお嬢さん、小麦の粉汁焼きは、いかがですかんのう?」
「そりゃあ一体なんですかい?」
「小麦の粉汁に、お好みの具材を混ぜて、平ったく焼くですんに。それに甘くて濃い果油を塗って食うですんに」
「具材ってえのは、どんなでさあ?」
「牙猪、鴨、烏賊、鞍紋貝なんぞなんぞ、山の幸や、海の幸やらにごぜえます」
「そいつは美味そうですぜ!! がっほほほっ!」
ショコラビスケが大いに食欲を示した。パースリにしても、聞いたことがあるけれど、まだ食していないので、砂粒の大きさすらも迷わず賛同する。
「小麦の粉汁焼き屋は、この裏すぐ近くにごぜえます」
「がっほほ。そんならそれで、行きましょうぜ!」
ショコラビスケが駆け出し、キャロリーヌたちも続き、店の裏手へ回る。
 




