《☆~ 海風 ~》
少なからず気落ちしていたショコラビスケが、アプリカトに尋ねる。
「それにしても、船一つ借して貰うために、金貨五十枚も預かり分が必要だってえのは、一体どういうことですかい?」
「ほんにゃは、深っかが訳さ、あるんべ」
「おうおう、そいつを聞かせて欲しいものですぜ!」
ショコラビスケが懇願するから、アプリカトは、船漕ぎを続けながら、訳を話すのだった。この船頭の言葉は、大陸の極東に特有の訛りが強い。そのため、しっかり聞き取るには、なかなかに集中を要するけれど、キャロリーヌたちは、物語の概ねを把握することができた。
それは、アプリカトが父親を亡くし、一人で船頭を務めるようになってから間もない頃の事件。大陸と海域の境界に沿って旅を続けているという人族の男たち三人が、客となって船に乗った。海域に出て、しばらくすると男たちは、船を奪おうとした。アプリカトは船底に穴を開けて、わざと浸水させた。見す見す取られるくらいなら、いっそ船を壊してしまって、悪事を働く男たちもろとも沈めた方がましという考えだった。アプリカトだけは、泳いでスープの船着き場へと帰り着く。三人の賊がどうなったかは定かでないけれど、この海域には、極めて獰猛な大型の肉食魚として知られる、おそろしい白肌鮫が棲息しているので、一人残らず食べられたのかもしれない。
運悪く大切な商売道具を失ってしまったアプリカトは、新しい船を作らなければならなくなった。この事件が起きてからは、もしも同じような不遇に遭う場合を考えて、あらかじめ、船を作るのに必要なだけの金貨を「預かり分」としてお客に支払って貰うようにした。そうしてさえいれば、たとい船を奪われようと、金貨五十枚を持って海域へ飛び込み、得意の泳ぎで逃げ延び、また新しい船を手に入れることができる。まさに「備えがあると憂いがない」という教訓を守った策だと、アプリカトは信じている。
物語に一つの区切りができたところ、ショコラビスケが、しみじみとした口調で話す。
「確かに、この海域みたいな、とても深い訳ですぜ!」
「ショコラ、違うなあ」
「がほっ!? マトンさん、なにが違うのですかい?」
「ここら一帯は、それほど深くないからね」
「その通りです」
横からパースリが口を挟んだ。そして、この辺りの海域が大昔は陸地だったという話を始めようとする。
しかしながら、ショコラビスケが、少しばかり先を越す。
「兎も角、俺たちは、そんな卑劣を働きはしませんぜ。だからアプリカトさん、安心して船を漕いでいればいいでさあ」
「ほんがかどうか、分かったもんさねえべ」
「いやあ、俺さまの顔をよく見れば、すぐ分かることですぜ? これは、悪いことをしようという奴の顔じゃあねえってなあ。がほほほ!」
「おいらが目さ、ほとんど見えんべ……」
「がっほ! そりゃあ、本当ですかい!?」
「ほんにゃ」
「そうですかい。つい余計なこと言っちまって、済まなかったぜ」
「ええべ。気にさ、しやがんな」
「……」
ショコラビスケは、再び落胆することになる。海風を身体に受けながら、黙って空を眺めるのだった。
こうして、船の上が静かになったところ、パースリが、先ほど披露しようとした話題を持ち出してくる。
「二万年もの遥かな昔、海峡を隔てて、二つの大陸が向き合っていたのです。全世界学者は、西の大陸をローラシア、東の大陸をゴンドワナと名づけています」
「グレート‐ローラシアではなくって?」
「今はグレート‐ローラシア大陸が一つありますけれど、大昔には、それが違っていたのです。二つあった大陸の片方、ゴンドワナは、数千年を掛けて、その大部分が海域へと沈みます。丁度、この辺りから東の海域です。沈まずに少しだけ残った部分が、ボクたちの向かっている、ゴンドワナ地方ということです」
「まあ、そうですのね! でもどうして、大陸が沈みますの?」
「西からローラシア大陸がぶつかって、東のゴンドワナを押し下げたのです」
「この全世界は、とっても不思議ですわね!」
考えも及ばない自然の理に、感銘を抱くキャロリーヌである。




