《☆~ 初めての海域 ~》
予定の経路を順調に進んできた一等官馬車が、メン自治区の北部地方、スープという小さい街に到着する。海域に面していて、眺めと心地のよい風を楽しめるだけでなく、住む者たちが暮らしを立てる漁場でもある。
キャロリーヌは、パースリと一緒に馬車を降り、船着き場で待つ。近くに、魚介類を焼いて売る屋台があって、辺り一帯に、美味しそうな香りが漂っているのだった。
一方、マトンとショコラビスケは、馬車を預けるために宿屋へ行き、それから貸し船屋へ向かう。
キャロリーヌが思わず背を伸ばし、北東を見渡す。グレート‐ローラシア大陸を囲む海域について、話に聞いたり、物語を読んだりしているので、少しくらい知っているけれど、目の当たりにするのは、今日が初めてだから。
「この海域が本当に、ずうっと遠くへ広がっていますのね!」
「全世界の果てまで続いているだろうと、ボクは考えています」
「えっ、全世界の果てですって?」
「はい」
「そこへは、ゆけますの?」
「探索に出て帰還できた者は、今までに一人としていないようです」
「まあ、おそろしいこと!!」
二人がしばらく話を続けていると、人族の老婆と男が、四頭立ての牛車の荷台に載せて、船を一つ運んできた。マトンとショコラビスケも、その後ろについて歩いている。
この船は紫檀製で、人族なら十人が乗れるもの。貸し船屋の主人である老婆に、パースリが金貨五十五枚を支払う。
「こんうち五十は、預かり分だかんね。アラビアーナの船着き場で、あんたさんら降ろしゃあ、船頭が、ちゃあんと返すべのお」
「分かりました」
「すんぐ出立すんべか?」
「そのように願います」
パースリはキッパリと答えた。
老婆と一緒にきた男は、牛たちに力を借りて荷台を海辺まで進め、船を着水させているのだった。その完了を待ってから、老婆が命令する。
「ほんなら坊や、気張って働いてきやがれ」
「うおい、母つぁんさ、分かっとおべ!」
船頭の男は、元気のよい言葉を返し、水面で揺れる船へ飛び乗った。
キャロリーヌたちも、足元に気を配りながら乗り込み、アラビアーナに向けての海路を、この紫檀船で走り始める。
男は、陽気に歌いながら、長い艪を軽く操り、馬車よりも速く船を進ませるのだった。このためにパースリは、「見事な船頭っぷり」と感心せざるを得ない。
「お仕事中に、おそれ入ります」
「なんべ?」
「あなたは、船漕ぎに長けてらっしゃる。どのくらい船頭をなさっていますか?」
「見習い八年、父つぁんさ死んじまってかんら二十三年。合わせて三十五年の間、やっとおべ!」
「まさに船漕ぎの達人ですね」
「うおい!」
パースリは、計算に間違いのあることを知ったけれど、あえて口に出さず、軽蔑もしないのだった。正確な年数は最早どうでもよく、船頭として立派に仕事をこなす実力に関して、砂粒の大きさすら間違いはないのだから。
ここに突如、マトンが男に話す。
「是非、ご芳名をお伺いしたいものだよ」
「おいらが名は、アプリカト‐ソードフィシュだべ」
「がっほ! もしかして、あの高名な船乗り、ギンコウナト‐ソードフィシュ殿の、息子さんだったのですかい!!」
「ほんだべが、どんした?」
「申し遅れましたぜ! この俺さまは、いや、俺の親爺のヴァニラビスケが、ギンコウナト殿と友だち同士だったのでさあ。なにか聞いていますかい?」
「なんも聞いとおらんべ」
「がほっ、そうですかい……」
アプリカトからの返答が、あまりにも期待外れだったので、勢いを失ってしまうショコラビスケである。
その一方で、キャロリーヌが爽やかな表情をして話す。
「あたくし、お船はプクプクと揺れて、とても気分が悪くなってしまうものと、これまで聞き及んでおりましたのよ。けれども、まったくそのようなことなぞ、一切ありませんのね。うふふ」
「うん。それだけ本当に、船頭さんの腕が確かという証だよ」
「仰せの通りですわ!」
マトンに笑顔を向けて答えるのだった。初めての海域、この紫檀船の旅で、実に快適な気分を味わえていることに、心の奥底で喜びを感じるキャロリーヌである。