《☆~ パンゲアの歴史(三) ~》
オイルレーズンの茶碗が空になっている。
気づいたキャロリーヌが無言のまま、それに香草茶を注ぐ。
「ふむ。話が、横へ逸れてしもうたわ」
「あ、済みませんでした。ローラシアという呼び方のことを、あたくしが尋ねましたものですから……」
「いいや構わぬよ。茶はまだ五杯目じゃし、時間もたっぷりあるでのう。ゆっくり話すとしよう」
「はい。それでヴァルキリーの物語は、どのようになりますの?」
「エルフルトの地では、今から千二百年ばかりの昔、ローラシア皇国に続き、この大陸で二つ目となる国が建ち、それから三百年を経た頃に、王位を巡って継承争いが起こる」
「まあ、争いが!?」
思わず目を丸くするキャロリーヌである。
「そうじゃよ。エルフルトの王、ポワロ八世には男子がおらず、第一王女だったレアレイズンを女王にしようとしておった。そこに王の甥子に当たるペペロミアが、エルフルト王国では男子が王を引き継ぐ慣習だという理由で、自らが次代の王になると言ってきおった。この争いが始まってすぐ、ポワロ八世は病に倒れ、それを都合のよい機会と考えたペペロミアが、レアレイズンを国から追い払う」
「なんと、酷い仕置きですこと!」
「そうじゃのう」
オイルレーズンは、憤りを隠せないキャロリーヌに同意の言葉を示し、静かに物語を続ける。
エルフルト王国から追い出されることになったレアレイズンは、ポワロ八世王の妃で母親のフルレイズン、および数人の女官とともに、当時、フォカッチオ四世が王となったばかりのパンゲア帝国に向かう。
第一王女たちの一行は、国境にあるアマギーを越えようとするのだけれど、その山中には、レアレイズンが恋を知ることになる、いわゆる「運命の出会い」が待っているという。
「まあ、アマギー山で恋を?」
「そうじゃよ」
「レアレイズンさんは、どなたとお会いになりますのかしら」
「誰じゃと、思うかのう」
「きっと、フォカッチオ四世王ですわね?」
「いいや違う」
「えっ、それでは、どのお方ですの?」
「ブレドンバタじゃわい」
「え??」
突如、聞き覚えのない名前が出たので、呆然となるキャロリーヌ。
「まだ話しておらなんだかのう?」
「ええ、初耳ですわ」
「それは済まぬことじゃったわい」
キャロリーヌにとっては知らない者なのだから、アマギー山でレアレイズンが出会った者が誰か、正しく答えられなかったのも無理はない。
「どのようなお方ですの?」
「ブレドンバタは、フォカッチオ四世の弟じゃよ」
「あら、そうですのね。でも、変わったお名前ですこと。ふふっ」
「乳酪を塗った麺麭という意味らしい」
「まあ、そうなのですね。つい笑ってしまって、とても申し訳なく思います。あたくし、乳酪巻き麺麭は、なかなかに好みですわよ」
「あたしもそうじゃ。話しておったら、あの柔らかい食感と、豊かな風味を思い出してしまって、今すぐにも食したい気分になってくるのう。ふぁっははは!」
オイルレーズンが愉快そうに笑っていると、突如、居室の扉を叩く音が響く。
「また誰かきおったか?」
「はい、あたくしが応対しますわ」
「いいや、用心のために、あたしが出るとしよう」
万が一の危険を考えて、警戒する心掛けが大切ということ。
オイルレーズンが扉に備わっている覗き穴を確かめる。やってきたのは接客係だった。
「先ほどの者じゃな」
「はい。ハタケーツ大統領からのお届け物を、さらにもう一つ、お届けに上がりました」
オイルレーズンは、接客係が運んできた編み篭を受け取る。それは布で覆われており、中身が分からない。
「今度は、なにかのう?」
「アイスミント山羊の乳酪を使い、焼かれました麺麭だそうです」
「おお、それの噂を、たった今しておったところなのじゃ!」
「それは、よろしいことです」
「ふむ。お主も一つどうかな?」
「ええっ、よろしいのでしょうか!?」
「遠慮なく、食すがよい」
「ありがたく頂戴致します!!」
接客係は、乳酪巻き麺麭を一つ貰い、大喜びして去ってゆく。
「さあ、あたしらも食べるとしよう」
「夕餉は済ませましたのに、まだ食べても平気ですの?」
「キャロルや、昔からよく言われておるよ」
「え、どのように?」
「巻き麺麭は別腹とな。ふぁっははは!」
オイルレーズンは、編み篭から一つを取って食べ始める。キャロリーヌも笑いながら、手を伸ばす。
このようにして、老若の魔女二人は、少しずつ夜を更かすのだった。