《☆~ 現在(五) ~》
よくない考えに耽っていたキャロリーヌが現実を思い出す。
「あっ、いけません! お父さまに、お雑炊をあげなければ!」
席を立ち、食器類の片付けは後回しにして、急ぎ厨房へ走った。
しばらく無心で手際よく動き、それでいて心のこもったお雑炊が仕上がった。
土鍋、取り皿、匙を台車の上の丸盆に置く。新鮮な井戸水を満たした吸水器を載せて用意が整う。
ゆっくりと台車を押して、父の居室に運んできた。
寝台に横たわったグリルは、穏やかな息を繰り返している。
先日から、苦しみ悶えることもなく容態が安定しており、静かに眠る時間が多い。それで少しは安心できていた。これが竜魔痴特有の末期症状なのだということを、キャロリーヌは知らない。春まで持ち堪えて欲しいと願っているのだった。
暖炉の火も、そろそろ消えそうになっている。
燃えて少しだけ残った炭木が倒れ、カチリと音を立てた。
「キャロリーヌ」
「あらお父さま、お目醒めになったのね」
「ああ、もう夜だな」
「はい」
グリルの上半身を抱き起こし、その隣りに腰を掛け、お雑炊を食べさせる。
「ほう、これが竜髄塩の味か」
「そうです。いかがかしら?」
「最高の味わいだ。聞きしに勝るとはこのこと」
「ジェラートさまにも、ずいぶんと喜んで頂けましたわ」
「そうか。よかったな」
「はい、とっても」
キャロリーヌは、さも嬉しそうに今夜の食事について、グリルに話して聞かせた。
ジェラートが気掛かりにしていた、宮廷内にあるという不穏な動きについては、もちろん伝えたりしない。余計な心配をさせては、きっと病身に障るはずだから。
「そればかりか、調理官養成機関への入所について、推挙して頂けるとのことです」
「おお、本当か」
「はい」
「そうかそうか。いよいよ、お前の希望も、実現できる日がくるのだなあ……」
「ええ。ですからお父さま、ご安心を」
「分かっておるとも。お前だけは、どうか幸せになってくれ」
今夜のグリルは気分もよいらしく、いつもより長く話せた。
宮廷から配給されている頓服薬を飲んで貰い、その身体を寝台へ静かに寝かせる。
お休みの挨拶を終えて、居室から出てゆく。
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* * ** *
窓の外では、夕刻から続いている雪がいっそう強くなっている。
明朝までには相当の量が積もり、この冬で一番の大雪となるに違いない。
「どうかご無事に、お城へと着かれますように……」
恋人の安全を、心の底から祈るキャロリーヌ。
「春から、ジェラートさまの近くで暮らせますのよね。あと少しの辛抱です」
ローラシア皇国の宮廷官には、調理官を含めた五種類がある。官職ごとに養成機関があって、身元の清廉な皇族や貴族だけが、そこへ入ることができる。専門的な教育を受けて修了すれば、晴れて三等の高級官になる。
そこから先は、宮廷内で働きながら、頂点である一等を目指すのだけれど、その栄誉を得られるのは各官職につき一人だけ。
「きっと、かつてのお父さまのような、立派な調理官になってみせますわ」
声の調子は低いけれど、それでもキャロリーヌは微笑みを絶やさないでいる。
調理官養成機関への入所が実現した暁には、皇国の中央、メルフィル公爵家が華やかだった頃に住んでいた地へと、父とともに戻ることができる。
母と弟を亡くしていることは悲しいけれど、余命僅かな父だけでも連れ帰ることができれば、それこそ今のキャロリーヌにとって、無上の喜びになるはずだから。