第八話 繭(まゆ)
お加代が儚くなった晩。
優曇華は、泣き腫らした目でふらふらと一本杉へと戻って来た。見るからに憔悴していて、かける言葉に困るほどだった。
そのまま霧散すると思われたが、驚いたことになんと繭になった。それは精霊の繭籠りに相応しく、美しく厳かな出来事だった。
光の粒が集まり、あれよあれよという間にガラス玉のようにまん丸くなった。優曇華はその中で膝を抱えて薄く目を開いて漂った。繭は下から徐々に淡い水色の花びらに覆われてゆく。優曇華の瞳と髪の色の花だ。
老仙人はお加代を失った哀しみで閉じ籠ってしまったと思い、天狗や狐の大婆を呼び寄せてどうしたもんかと一緒に気を揉んだ。
それから十日ばかりが過ぎた。夜明けまであと少しという時分のこと。
優曇華が入ったガラス玉が、目も開けられんほどにまばゆい光を放ち出した。それこそお山全体が光に包まれる程の、強烈な光だった。
一旦塒へと帰っていた天狗と大婆が、慌てて一本杉にやって来た。
「どうした⁉︎ 星でも落ちたんかいな!」
「優曇華は無事か!」
二人は眩しさに目を細めながらも、転がるように老仙人の庵へと駆け込んで来た。
騒ぎの大もとへと迷いもせずに突っ込んで来る。いくら高位の妖怪とはいえ、不死身なわけでもあるまいに。
老仙人は二人の優曇華へ寄せる想いに切なくなった。そしてボソッと「わしの心配も、ちょこっとして欲しかったのう」と呟いた。
光はまるで、大婆と天狗を待っていたかのように、徐々に柔らかくなり、雲に覆われた朧月にも似た穏やかさで、優曇華の輪郭を浮かび上がらせる。
「優曇華……なのか?」
「なんと! ずいぶんと育ちおったのう!」
そこには見慣れた、幼子の優曇華はいなかった。人で言うならば、七、八歳くらい。童と呼ぶには大きく、然りとて少女と呼ぶにはまだ早い。そんな微妙な年頃に育った優曇華がいたのだ。
どんぐりを頰ばったリスのようだった頰がすうっと引き締まり、空色の瞳を縁取る目蓋は、意志が強そうに長く切れている。
優曇華がガラス玉の中で、目覚めたばかりの猫よろしく健やかに伸びた手足に、ぐんと力を行き渡らせる。
三人は『はてさてこのあとどうなるんかいな』と、ガラス玉を取り囲み、固唾を飲んで見守った。
優曇華が目を閉じ、ふんっといった様子で念を込める。すると、ガラス玉がしゃらしゃらと音を立てて崩れはじめた。
薄い貝殻を通した首飾りを耳もとで振った時のような涼やかな音が、辺りに漂い響き渡る。
ガラス玉の破片が地面に落ちる寸前で虹色の光に変わった。虹色の光が、優曇華の額のあたりに全て引き寄せられ、吸い込まれてゆく。
やがて澄み切った青い静寂が訪れると、優曇華がパチリと目を開き……あんぐりとあくびをしてから口を開いた。
「お爺、おはようさん。うん? 天狗のお爺も狐のお婆も、雁首揃えて何かあったんか?」
「なんじゃい! 普通の、朝の挨拶かいな!」
中身は元の通り、神秘とはかけ離れた優曇華だった。
▽ 幕間 昔ばなし ▽
「お加代は最後まで、天晴れな女子じゃっだぞ。いつも通りわっしのボケに突っ込んで、笑い顔で逝きおった」
老仙人たちが気を使い、お加代のことに敢えて触れないようにしていたある日。優曇華は自分から、そんな風に切り出した。
「わっしは、お加代に恥ずかしくない精霊になるんじゃ!」
意外なほどに、元気で前向きだ。失ったものの大きさの分だけ、優曇華は強くしなやかになった。その様子に誇らしさを感じた老仙人が、ふと天狗の過去ばなしを思い出して揶揄いはじめる。
「のう……白天狗や。お主が後家の尼さんに懸想した時は、確か闇落ち寸前の騒ぎじゃったかのう」
「あれは……! 俺が天狗だと知った坊さんが……。仙爺こそ、仙人になる前は世に轟く賞金稼ぎだったそうじゃねぇか。何やら揉めに揉めて仙術の道に入ったと聞いたぞ?」
思わぬ反撃に双方出方を伺う。これ以上の昔ばなしは、お互い傷が深くなる。
「…………」
「…………」
「お主らは互いの傷を突っつき合って、何が楽しいんじゃ?」
黙った二人に、ちくちくと縫物をしていた狐の大婆が、心底呆れたように口を挟んだ。
「婆の……昔ばなしなんぞを持ち出したら、その口を縫うてやるからの」
訳ありならば、古狐にかなう者はいない。大婆の世に聞こえた通り名は『大罪の化け狐』。その由来も、都で何があったかも、口に出すのも怖ろしい。
切れ上がった目が縫針よりも鋭く、天狗と老仙人を射抜くようにきらりと光る。二人は唾を呑み、お互いに隠れるように背を丸めた。
優曇華はと言えば、そんな二人をきょとんと眺めてから「へぇー!」と好奇心に目を輝かせた。
「お爺、賞金稼ぎってなんじゃ⁉︎ 天狗のお爺は尼さんと、どうなったんじゃ?」
気遣いの欠片も感じられない優曇華の言葉に、爺い二人は胸を押さえてうずくまったとさ。