第四話 飴細工
「お爺、お爺。人がいっぱいじゃ。ひーふーみーよー、いつむーななやー……。数えきれんな、むりょうたいすうじゃ!」
山あいの里の祭りに、無量大数を引き合いに出す優曇華。実際には多く見積もっても四、五十ばかり。だが一本杉で老仙人と二人きりで浮世から離れた暮らしを送っていた優曇華には、見たこともないほどの大賑わいだった。
「お前さん、百までは数えられるようになったじゃろう? もう少し気張らんかいな」
確かに“八”のあとが無量大数では、老仙人と算術の習いが気の毒だ。
「お爺、あれ! あれはなんじゃ?」
「あれは飴細工じゃな。ようこんな小さい祭りに職人が来たものじゃな。杏や梅や薄荷の汁を入れた砂糖を煮てな。練って練って、動物や鳥の形を作るんじゃよ」
「近くで見たい! 飴はわっしも知っておる! 天狗のお爺がくれた甘いやつじゃ!」
「ああ! 待て! うど……お華や、走ってはいかん!」
走るだけならまだしも、浮かび上がったら騒ぎになる。
「ほれほれ、お爺と手を繋ぐのじゃ。離したらいかんぞ?」
「手を握ったままで歩くのか? なんじゃ、歩きにくいのう! ああ……歩きにくいが、なかなか良い気分じゃ。お爺の手はしおしおじゃが、温いな!」
それを言うなら皺々だ。『しおしお』では塩を振った青菜か蛞蝓のようだ。
飴細工の露店の前は人垣が出来ていた。娯楽の少ない山里の祭り。細工師の手業は大人の目も子供の目も惹きつけている。
優曇華が老仙人の手を握ったままで、ぴょんぴょんと飛び跳ねはじめた。
「お爺、お爺! 何も見えんのじゃ! 背中しか見えん! 浮いても良いか?」
「仕様がないのう。肩車でもしてみるか?」
「肩車ってなんじゃ? ぼうぼう燃えて、顔が入っとる車か?」
それは朧車。牛車の物の怪だ。あんなもんが来たら祭りが阿鼻叫喚となる。
「お前さん、ようわしの背中をよじ登って頭にしがみつくじゃろう? あれが肩車じゃよ」
さっそく背中をわしわしと登る優曇華。はしゃぐ姿に老仙人の頰が緩むが、お手柔らかに願いたいものだ。
「これこれ、わしの腰は壊れものじゃぞ……」
「あいあい! お爺!」
返事だけはすこぶる良い。
「お爺、あれはウサギじゃ! ほれ、耳がにゅーっと伸びておる!」
「あの黄色い飴は、何味かいの? お月さんが入っとるのか? それともたんぽぽかいな?」
「お爺! あのおっさんはなんの術を使うとるんじゃ? 自在に飴を操っておるぞ! わっし、弟子入りして来て良いか?」
(飴細工の職人にわしは弟子を取られるんかいな……。雲に乗ったりしとるのにのう……)
「お華や。お爺の凄いところが見たいか? 出来んわけじゃないぞい!」
優曇華が矢継ぎ早にまくし立てるように口にする。弟子入り希望の言葉に、老仙人が大人気ないことを口にする。
「ははっ! 口の達者な娘っ子じゃなぁ。ちっこいのに、よう弁が立つ!」
隣で飴細工を眺めていた、若い衆に声をかけられた。老仙人の頭を抱えてはしゃぐ優曇華が、すっかり周りの耳目を集めてしまったようだ。
「なんや変わった髪の色じゃな? 異国人か?」
「ああ、この子の母親が、異国の踊り子でな」
老仙人は、あらかじめ用意していた優曇華の身の上話を口にした。
「へえ! 綺麗なもんじゃな。おお、目の色もお空の色じゃ! お嬢ちゃん、おっ母に、良いものをもろうたなぁ。ほんに綺麗じゃ!」
褒められて照れ臭いのか、人見知りをしているのか。優曇華が老仙人の頭に、隠れるようにして首を竦めた。
若い衆の心根の良い言葉に、老仙人の警戒心が軽くなる。ふと見ると、赤い着物の娘っ子が、若い衆の尻のあたりから、顔を半分だけ出して覗いている。年の頃は五・六歳……ちょうど優曇華の見かけと、同じくらいの童だ。
「ああ、飴が仕上がったようじゃぞ。お華や、いい加減下りて……ほれ、買うて来い。そっちのお嬢ちゃんにも、お爺にひとつ奢らせてくれるかの?」
「良いんかの?」
若い衆が気遣わしげに口を開く。
「ああ。爺の道楽じゃよ。気に病むことはない」
優曇華がサカサカと虫のように背中を伝って下りて来た。
「お爺! お爺! 女子じゃ! ちっこい女子じゃ! わっしと同じじゃ!」
優曇華は山奥に住んでいるので、年寄りと物の怪しか周りにはいない。童なんぞは目にするのも初めてのことだ。興奮して声が裏返ってしまっている。
「わかったわかった! 少し落ち着かんかい。好きな飴をひとつずつ選んでな、この銭を渡すんじゃぞ? できるか?」
「あい! お爺!」
「お嬢ちゃん、この子は『お華』じゃ。仲良う、してくれるかのう?」
「……おかよ」
「お加代ちゃんか。よしよし、手を繋いで行くんじゃぞ? 走ってはいかん。お華は、手毬を離すのもいかんからの? ほれほれ、行っておいで」
「あいあい! お爺! 行って来る!」
二人はしばらく、もじもじ、もだもだしていたが、やがてどちらからともなく手を取り、顔を見合わせて『うふふ』『ふへへ』と笑い合い、歌うように軽やかに手を振りながら歩いて行った。
そして、飴を選び終えると松の木の下に座り込み、お互いの飴を見せ合いながら、また『うふふ』『ふへへ』と笑い合う。
どうやら気を揉む必要もないようだ。前髪の短い赤い着物の童が二人。頰を赤くしてコロコロと笑い合っている。まるで羽根に橙模様を付けた秋茜が、並んで空を行き交うようだ。
老仙人とお加代の兄者らしき若い衆は、お互いの慈しみを目の色に見て、顔を見合わせ笑みを交わした。
祭りに来る前の色んな心配事……優曇華の使命のことやら、やがて起きる悲劇やらも、まるで別の世界の出来事のように思えて来る。
山は豊かな実りで、ほっこりと膨らむように色づいている。厳しい冬が訪れるのはまだしばらく先……。里人は華やかな祭りを、思い思いに楽しみ顔も声も華やいでいる。
そんなほんわり穏やかな秋の日……。優曇華に初めての友だちが出来た。祭りの太鼓がテンテンテンと響く。
『何も悪いことなど起きないのではないか』
優曇華の初めてのお出かけは、そんなことを信じたくなる、ほんに良き日となったとさ。