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第三話 里の祭り

 今年の夏大風は加減を知っていたらしく、重く垂れた甘い実を落とすことも、動物たちの塒を掻き回すこともなく、籠った夏の怠さだけを連れてさっぱりと過ぎて行った。

 高く晴れ渡った空にはちぎれた綿屑のようなはぐれ雲がひとつ、ぽかりと浮かぶばかり。


 実に見事な祭り日和だった。


「優曇華、準備は万端かいな?」


「あい! 老師さま!」


 優曇華が両手を挙げて応える。


 赤い祭り着、良し! 蝶々の帯、良し! 桔梗の簪、良し! 赤い鼻緒の草履も良し!


 漏れ零れる霊力で、どうしても立ち上がってしまう空色の髪は、古狐の大婆が上手いこと結い上げてくれた。

 髪の色はまあ、異国人の血が入っとるとでも言えば大丈夫だろう。ここいらの里人は異国人なんぞ見たこともない。


「優曇華……いやさ、お華や。決して漂ってはいかんぞい? 地に足を着けて歩く……そう……そうじゃ! ゆんべ、夜っぴいて習った通りな? ほらほら、浮いておるぞい!」


「あい! 老師さま!」


 優曇華の後ろの一文字を取って『お華』と呼ぶ手はずだ。


「わしのことは、なんと呼ぶんじゃ?」


「あ……! お爺じゃった!」


 くしゃりと顔をしかめ、ぺろりと舌を出す。 全くそんなあざとい仕草をどこで覚えて来たのやら。


「あい! お爺!」


 ついつ、老仙人の口許が弛む。童の舌ったらずな口はなんとも罪作りだ。振り返ると古狐の大婆と性悪の白天狗が嫌らしい笑みを浮かべていた。


「弛んでおるな」


「ああ、弛んでる」


「違う口で同じことを言わんでも良いわ!」


「お爺! ゆるゆるじゃ!」


 優曇華にまで言われ、味方のいなくなった老仙人があさっての方角を見ながら話題をそらす。


「ところで大婆、あれは作うてくれたかいの?」


 コホンと咳払いをして『老師さま』たる威厳を取り戻す。


「仙爺が(まじな)いを掛けた天女郎蜘蛛の糸か? ほれこの通り。手毬に仕上げておいたわ」


「おいおい! 天女郎の手毬か? 逸品じゃねぇか!」


 見目に鮮やかな錦織の手毬は、珍品好きの天狗でなくても食指が動く見事な出来栄えだった。


「天女郎蜘蛛の糸には漏れ零れる霊力を吸い取る呪いを掛けてある。天狗なんぞが持ったらあっという間にカラスに戻ってしまうぞい?」


「優曇華の霊力はそれほどなのか?」


 今は漏れて霧散する方が多い。だがこれ程幼くしてこの霊力。育てば世を揺るがす。


「このまま人里なんぞに行ったら危なくて敵わん。普段はわしが制御しておるんじゃよ」


 天狗と古狐がぶるると身を震わせる。物の怪どもにとって霊力は好物であるが、同時に(おそ)れでもある。己より大きな霊力には取り込まれても文句は言えん。


「安心せい。お主らのような(しな)びた物の怪なんぞ、優曇華は喰ろうたりせんわ」


 当の優曇華は錦に輝く手毬を見やり『ほわぁー』と大きなため息をつき見惚れている。


「狐のお婆……。これ綺麗じゃなぁ。キラキラしとる。天の星籠みたいじゃ!」


「これはなぁ、こないにして弾ませて遊ぶ『手毬』ゆうもんじゃ。ほれ、ぽーんぽーんと……! やってみい!」


「わわわっ! 本当じゃ! 弾んだ! ぽーんぽーんじゃ!」


 優曇華が頰を紅潮させて、千寿菊のツボミがほっこり綻ぶように笑顔になる。天狗と狐の大婆が眩しそうに目を細めた。


 こんなものを見せられては堪らない。


 胸を掻きむしるほどの寂寥や、目蓋を閉じることさえ恐ろしいほどの後悔を、抱いて、抱いて……抱き潰してしまった者共が闇と混じって物の怪となる。

 優曇華の柔らかな頰や大きく無垢な瞳や、舌ったらずな口から出る真っ白な言葉は、はみ出し者にはどうにも眩くて仕方ない。


「優曇華、小遣いをたんとやるぞ! ささ、行って来い!」


 白天狗が人間の小銭を、優曇華の小さな手の平に握らせて言った。


「白天狗のお爺、有難きじゃ!」


 背中をぴくりと揺らして、目を逸らしたがもう遅い。業突く張りの天狗が、かんざしの代金を取るのを忘れるほどに心を奪われている。


「今日は夜分に冷え込むでな。上着を忘れるでないぞ?」


 古狐が恐る恐る優曇華の頭に手を伸ばし、慌てて引っ込める。自分の黒い染みを移してしまうのが、恐ろしいのだろう。


「狐の大婆、有難きじゃ!」


 胸を掴まれたような顔をしながら、物の怪どもは尻尾を巻いて逃げて行った。幼く(けが)れなきものを愛するなんぞ、物の怪には敷居が高過ぎる。

 だがまた来るに違いない。松明に引き寄せられる羽虫のように。例え身を滅ぼしても、少しでも近くで眺めたくなってしまうのだ。


 それは老仙人も同じだった。引き返せる曲がり角など、とうに過ぎてしまった。優曇華の抱えるものを思うと、可愛い可愛いだけで済むはずがない。


 伝説の花精霊である優曇華と、二人の訳あり老妖怪、そして変わり者の老仙人。奇妙な縁に結ばれた者たちは、この先長い時間を共にすることになる。


 さてさて、どんな塩梅か……。




     * * * *



「さ、うど……お華や。出かけるとするか!」


「あい、お爺!」


「お爺はなぁ、雲が呼べるんじゃぞ。凄かろう? ほれ、飛び跳ねておらんで乗ってみい!」


「あい、お爺!」


「ん? ああ、そうじゃな、ふわふわじゃなぁ。ハハハ、はしゃぎ過ぎじゃて! ささっ! 出立じゃ!」


「あいあい、あい、お爺!」


「これこれ、返事は一回きりで、良いんじゃよ?」


「あい、お爺!」


 幼い精霊の舌ったらずな、しかし威勢の良い返事が、晴れ渡る秋の空に響きましたとさ。



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