第二十話 正念場
ある日。突然、運命の歯車が回り始めた。
天狗の残した『先見ノ玉』が、丑三つ時にぼんやり光り、枕元にぽかりと浮かんだ。
幽玄の者でもやって来たんかいなと、老仙人が飛び起きてみれば、先に気づいたらしい優曇華が暗闇でじっと玉を見遣っていた。
玉には地獄絵図のような光景が、繰り返し写し出されている。
東の空が赤く染まっているのは、朝焼けではない。黒い竜巻がいくつも立ち昇り、天へと灰を巻き上げている。
焰を纏った星が降っている。
いくつもいくつも、それこそ雨霰のように降り注ぎ、逃げ惑う人や動物を押し潰す。山も森も里も燃え、生き物は逃げる先すら見つける暇もない。
悪夢はそれだけで終わってはくれない。大きな星の欠片が高いお山めがけて降って来る。星は山の半分を吹き飛ばし、その半分になった山は火を吹き、あたり一面は燃える河に呑み込まれる。
荒ぶる山は大地を揺さぶり、揺れた大地はひび割れて、そこからまた焰と蒸気噴き上げ、人も動物も、家も畑も消炭さえ残さずに消えてゆく。
『先見ノ玉』は、未来を見通す玉だ。本来は霊力を通して、見通す未来を指定して使う。今のように勝手に未来を映し出すことなど、あろうはずがない。
ずいぶんと長い間、玉に見入っていた優曇華が口を開いた。
「お爺、どうやら頃合いらしい。三千年にはまだまだ早いが、これが……これが、わっしの正念場じゃろう」
『正念場』とは、舞台に立つ者の言葉。その役者の、真価を発揮すべく用意された、見せ場のことだ。
まだ……悲劇は起きてはいない。
「人々が哀しみに沈んでからが、お前さんの仕事ではないのか?」
「いいやお爺。わっしには哀しむ人を丸め込むようなことは出来ん。そんなことはやりたくない。哀しみも喜びも……人の想いは、その人だけのものじゃ」
玉から視線を逸らすことなく、背を向けたままで言う。
「それに、そんな後手に廻るのも、性に合わん」
わっしは、この悲劇を……起きる前に……。
ぶち倒す!!!!!
お前さんは、ほんに……。呆れるほどに男前じゃのう。そして、己をよく知っておるわい。伝えられる『優曇華の花の使命』とは、ちいと違うているやも知れんが……。実にお前さんらしい答えじゃよ。
多くの命を見送り、哀しみを抱いて過ごした優曇華は、哀しむことが……痛む傷そのものが愛おしさだと知っている。その傷を取り除くことが、救いになどにはならんとわかっている。
「お爺! わっしは哀しみが起こらんように……ひとつでも減るように、咲いてみせるぞ」
優曇華がいっそ清々しい顔で、きっぱりと言った。
所詮全ての命なんぞ、定められた舞台の上で、演目のままに踊るだけだ。演目を……命の理を変えることなんぞ、出来はせんのかも知れん。
だが、わしらは精一杯抗った。優曇華の使命のくびきを断ち切ろうと、手を尽くした。その全てのことは、一欠片も無駄だったとは思っておらん。
演目は決まっていたのかも知れん。だが、手足を振り回して、踊るのは自分。くるりと回って見栄を切るか、舞台の袖で楽を奏でるか。
それくらいは、好きにさせてもらっても罰は当たらんじゃろう。尤も、わしも天狗も大婆も……地獄の沙汰も罰も、少しも怖いとは思うとらんがな。
『お爺』と優曇華がわしを呼ぶ。少し掠れた声だが、まるでいつもの調子だ。
「お爺、わっしは花じゃ。花の精霊じゃ。丁度良い頃合いに咲くのが花じゃ。わっしの頃合いが、季節や風ではなかっただけのことじゃ」
己の生まれた意味も。花開く時も、散り際も全て呑み込んで、それを『今』と決める。
そうか……。ならば……咲け!
見事にその花びらが開くまで、わしが決して散らせはせん。
思うように咲け。
愛弟子の花道を、整えるのが師匠の……わしの最期の仕事だ。
気の済むように、己の花を開かせるが良い。
咲け、優曇華……。己の、思うがままにやれ!!!




