第十九話 天狗と夕焼け
「よお、仙爺はいるかい?」
いつもの調子で一本杉の仙爺の庵を訪ね、暖簾をくぐる。仙爺が留守にしているのは知っている。いや、俺が頼んで席を外してもらった。居ねぇのが当たりめぇだ。
「白天狗のお爺、久しぶりじゃな!」
乳鉢で薬草をすり潰していた優曇華が顔を上げて言った。近頃は里で薬師の真似事をしているらしい。
余り評判が上がって、都にでも噂が広まっては良くないものを呼び寄せる。仙爺と二人気を揉んでいたが、里の者もその辺は心得ているらしい。特別な薬なんぞは欲しがらず、里の外に話が漏れんよう気を配ってくれている。
優曇華は里でも大切にされている。有難いことだ。
「お爺は入らず谷へ観音草を探しに行ったぞ。夕方まで戻らん」
ぬるくなった甘茶を大きな茶碗に注ぎ「ほい、茶じゃ」と差し出す。
優曇華は黙って座っていれば一級品の美しい娘に育った。ところが立って口を開くと途端に台無しになる。どうにも大雑把でいけねぇ。
だがその色気と無縁の無邪気さに会いに来た。幼い頃のままの『ふへへ』という笑い声を、今日この日に聞きに来た。
「天狗のお爺、腹減ってないか? 握り飯くらいなら出せるぞ」
「クククッ、おめぇさん握り飯以外作れねぇじゃねえか!」
「茶漬けも出来るぞ!」
得意そうに胸を張って言いやがって……。
「握り飯も茶漬けもいらねえから、肩叩いてくれねえか? 明日は朝から飛ぶからな。景気づけに一発、頼まぁ」
「お安い御用だが、どこへ行くんじゃ?」
「ちょいと野暮用だ」
優曇華がトントンと肩を叩く。小さな声で歌を唄っている。相変わらず調子が外れてやがる。
歌もちぃとも上手くならねぇな!
「“てんてんて〜ん”か? クククッ、優曇華、そりゃあ手毬唄だろう?」
「手毬をつくのと肩を叩くのは似てるじゃろ?」
「そういやぁ、そうだ。違えねぇな!」
ふへへ、クククッ、と笑い合って席を立つ。
「しばらく来れねえが、達者で暮らせよ」
そう言って背を向けたら、優曇華が背中におぶさって来た。
「どうした? 童みてぇだぞ?」
「久しぶりにお爺の背中に乗って飛んでみたい!」
そう言ってにへらと笑う。俺は昔からこの顔に弱い。どんな願いも叶えてやりたくなる。
「全く……しょうがねえ娘っ子だな。ほんの一回りだぞ」
尽きかけた霊力だが、そのくらいはなんとかなるだろう。明日は朝から高く飛ぶ。どこまで飛べるか一度試してみたかったからな。
仙爺は見送らせろと言ったが、それは出来ねぇ相談だ。寝床で仙爺に見送られて消えるなんぞ、俺の性には合わねぇ。
俺ぁ空の妖だ。空に生きて、空に消える。それが本望だ。
何も持たず、何も残さず、高く高く舞い飛ぶ。それで、本望だ。
「お爺、天狗のお爺! 夕焼けがきれいじゃな!」
ああ……。お山に夕陽が落ちる。鷲尾のお山は良い山だ。数え切れねぇほどこの山に沈んで行く夕陽を眺めたが、今日はまた格別だ。
優曇華、達者で暮らせよ! 俺ぁ先に行くが……。
空から見てるからな!




