第十三話 初恋
「お爺、わっしは人と目具合うことが出来るんかいな?」
うっ、う……優曇華や……! 朝っぱらから、何を言うておる。わし、梅干しの種を、呑み込んでしもうたじゃろうが!
「確認してみたんじゃが、どうやら穴はあるようじゃぞ?」
…………優曇華や。そこに座らんかい。
いんや、ちゃんと膝を折って座るのじゃ。そう、手は膝の上じゃ。
「お前さんは立派な精霊になるんじゃろ? だったら恥じらいは、忘れてはならんよ……!」
「恥じらいって、どんなじゃ?」
ううむ、そこからかいな。
優曇華は里に下りる時以外は、素っ裸で過ごしておる。まずはそれがいかんかったか? 肌を隠すことを教えねば、恥じらいなどは芽生えんかも知れん。
しかし知らん者に、そういった気持ちを教えることは、なんとも難儀なものじゃ。うむ……。
「優曇華や、恥じらいとはな……ただで見せたら勿体ないということじゃ」
はて、これで良かったかいの?
「阿呆か⁉︎ 仙爺は何を言うておる!」
この声は……古狐の大婆か⁉︎
「縫い上げた優曇華の家着を持って来てみれば……! この唐変木が! 仙人の看板の名折れじゃぞ!」
……わし、えらい言われようじゃのう。
「よしよし、優曇華、婆が教えてやるからのう。女の身体のことも、男と女のことも、どこぞの朴念仁の仙人より婆はよう知っとる。任せんしゃい!」
男前な物言いに何故か身の毛がよだつ。大婆ほどの大妖怪がこんなことで戦意を滾せるのはやめて欲しいのう。
優曇華はその大きな妖気の揺らぎを物ともせずに、上機嫌で両手を挙げて応えた。
「あい! あいあいあい! お婆!」
その嬉しい数だけ返事をする癖、治らんのう。
* * * *
『なんじゃと⁉︎ そんなことをするのかいな! ……壊れんのか? ううむ、人は思ったより頑丈なんじゃな』
『お婆、じゃあ、わっしは人とは…………それで……作れんのか……? そうか、やってみんとわからんのか』
『お婆は…………そうか……なるほど脱いだら…………だから着物を…………!』
わし、枯れ果てた爺いじゃから……なんかもう、そういうの……胸焼けするから……!
* * * *
「仙爺、優曇華は好いた人間の小僧がいるらしいぞ」
色々話が済んだあと大婆が言った。
ああ、もしやとは思うとったよ。お加代坊が居なくなって、ポツリポツリとしか里に下りんようになっとったが、近頃また足繁く通っておるからのう。
「どうするつもりじゃ?」
どうするもなにも。どうしろと言うんじゃ?
「止めんのか?」
気持ちなんぞ止められるかいな。
「傷つくじゃろうが」
ああ、そうじゃな。また泣いて鼻水垂らして帰って来るんじゃろうな。
「止めんで良いのか」
人や他者と心通わせることは、止めるようなことでもありゃあせんじゃろう?
赤子が歩き出したら転ぶもんじゃろうて。膝から血を流したら尖り草の葉を揉んで貼ってやれば良い。青痣を作ったら、薄荷大根を擦り下ろして塗ってやれば良い。
恋をしたら……好物でも作って帰りを待つ以外に、何が必要なんじゃ? 優曇華は強い娘じゃ。転んだらそのうち自分で立ち上がるじゃろうて。
さてと……大婆。一緒に草餅でも作らんかいな? 甘い餡をたんと入れてのう。優曇華はようく濾した餡が好きじゃからのう。餡を濾しながら、賭けでもしながら待ったら良かろうよ。
さてさて。泣いて帰るか……笑うて帰るかのう……。
「何を良い話みたいに……! この平和ボケ仙人が!」
大婆の剣幕に、たっぷり一寸は飛び上がった。老いぼれを驚かしたら、心の臓が止まってしまうぞ!
「優曇華を都の狒々爺にでも売れば蔵が建つ。里の者がいくら呑気者が多いとて、そう考える者がおらんと本気で思うておるのか⁉︎」
「ああ、俺なら……優曇華を騙くらかして、都まで連れて行くくれぇは赤子の手を捻るようなもんだ」
天狗が暖簾をひょいと分けながら、意地の悪い顔を覗かせた。なんじゃいるなら早く入ってこんかいな。盗み聞きみたいなことをしおって。
「じゃあどうしろと言うのじゃ。里に下りるのを禁じて、閉じ込めて暮らさせるつもりか?」
「莫迦垂れが。主は仙人じゃろう? 身隠れの術くらいお手の物じゃろう?」
「隠れて後を付けるつもりか?」
「わしは行くぞ! 優曇華に何かあったらと考えるだけで里村のひとつくらい、焼いてしまいたい気分になるわ!」
「俺も行くぜ。優曇華を誑した小僧なんぞは、岩を降らせ潰してしまいてぇなぁ」
そんな物騒な……。此奴ら、野放しにしておいたら里村が滅ぶんじゃなかろうか?
「わかった、わかった! だが、見定めるだけじゃぞ。優曇華が好いた人間の小僧の心根を見定めるだけじゃ。話はそれからじゃ!」
相手の小僧が悪い奴じゃったら……。わし、此奴らを止められるんかいのう。
わしは草餅作って待ってる方が良いと思うぞ?
ああ! 待て待て! わしも行く! わしも行くぞい!




