第十二話 小雪
優曇華は今日も外で小雪と遊んでいる。
『一日に半刻のみ』という約束を守っているので良しとするしかない。優曇華の体調を気にしながら、二人の転げ回る様子を眺める。
今日は二人で雪の像を作っている。南天の赤い実を目にしたウサギや、どんぐりを抱えたリス……。小雪はどうして、なかなかに器用だった。
「優曇華、それはなんの像じゃい?」
「それは芋じゃ! こっちは饅頭、これは握り飯じゃ!」
なるほど……。お前さんの食い気と不器用さがよう表現されとる。
「おお、これは大作じゃな! 猿か?」
「これは小雪と一緒に作ったお爺じゃ! 上手く出来た!」
そうか、わしか! 嬉しいが……切ないのう。
照れ臭そうにふへへと笑い、褒めてもらうのを待つ優曇華……。潰れたひょっとこのようなわしの雪像。
「ううむ。なかなか味のある出来栄えじゃな!」
小雪がぺしぺしと踊りながら拍手した。花びらのような幅広六花、伸びた枝のような樹枝六花……。見事な雪の結晶が、雲間から射して来た薄日にキラキラと輝く。
「小雪、天狗のお爺と、狐のお婆も作ろう!」
「ぴゅーい、ぷいぷい」
「なに? もう約束の半刻が過ぎる? それは残念じゃ」
「ぴゅ、ぴゅ、ぴゅーい!」
「そうじゃな! また明日な!」
優曇華には小雪の言っていることがわかるらしい。わしにはさっぱりじゃ。口のある場所すらわからん。
小雪はずいぶんと自我がしっかりして来た。出会った頃は獣の子供のようだったが、今は自制心すら見て取れる。
だが小雪が春を越す方法が思いつかない。このままではじきに辛い別れが来てしまうだろう。いつもの年は、雪解けを指折り数えて過ごすが、この冬は矢のように過ぎてしまう。
優曇華ばかりか、わしもすっかり小雪に情を持って行かれてしもうたのう。
赤くなった指の先に、優曇華がふうふうと息をかけながら小雪を見送る。
「さあ、はよう中にお入り。芋汁を煮てあるでな。手をちゃんと拭んじゃぞ。ああ、霜焼けが出来てしもうたのう」
「お爺、小雪は……。春になったらどうなるんじゃ?」
優曇華がうつむいたまま言った。鼻の頭を真っ赤にしている。
「狐の大婆のところにでも、相談に行ってみるかいのう?」
「そうじゃな! 大婆は気象を操る大妖怪じゃ。きっと小雪が溶けない方法を知っておる!」
優曇華がようやく顔を上げた。
* * * *
「婆の術で春を寒くすることも出来るが、それでは山の動物や里村の者が困るじゃろう?」
大婆が優曇華の指先の霜焼けに、軟膏を塗りながら言った。
その通りなんじゃが……。例えば、洞窟の中だけといった具合に、冬を留まらせることは出来なんだか?
「まあ、出来なくはないな」
「お婆! 本当か⁉︎ それなら、小雪は溶けずにおられるな!」
「だがのう、優曇華。自然を捻じ曲げるのは、婆は賛成できん」
大婆は渋い顔だ。それでも優曇華の髪の毛を整える手は止まらない。茶色く変色した部分を切り揃えてくれている。
「人間もわっしらも、冬は暖かい家の中で過ごすじゃろう? それとは違うんか?」
「誰かの思惑で天気や季節を変えてしまうなど、あってはならん事じゃ。それは囲炉裏に火を焚くこととは話が違うておるじゃろう?」
大婆にとっては雪が溶けるのと、ゆきんこが溶けるのは同じくらい自然なことなのだ。
「これは婆の決めごとじゃ。気象を操る術を持つ者の、譲ってはいかん大切な決まりごとじゃ。すまんな。いくら可愛い優曇華の頼みでも、聞いてやることは出来んよ。それに野の者を閉じ込めたりするのも好かん」
「婆の言う通りじゃ……。わっしは小雪を囲い者にするところじゃった……」
優曇華が、がっくりと頭を垂れて言った。
帰りの道すがら。優曇華はまた頭を垂れたままだった。トボトボと歩き、時折り立ち止まってはしゃくり上げる。
「優曇華、小雪を寒いお山へ連れて行くのはどうじゃろう? 遥か北の方なら夏でも涼しいお山がある。それなら時々遊びに行けば良いし、また雪が降る頃に迎えに行けば良いじゃろう?」
「お爺、それはわっしも考えたんじゃ。小雪にそれとなく聞いてもみた。でも小雪は鷲尾のお山のゆきんこじゃ。お山を離れることは出来ん言うとった」
「そうか……。それも、もっともじゃなぁ」
「わっしは諦めん! 小雪が暑さに負けん、強いゆきんこになる手伝いをする! わっしも寒さに負けん、強い花精霊になる!」
それから優曇華と小雪は、毎日の遊びもそこそこに修行をはじめた。お互いに霊力を練る練習をしたり、そこらを走って身体を鍛えたり。
わしとの修行よりもよほど熱心で、目的というのが肝心だと思い知らされたものじゃ。
だが春の足音は、その場に留まることすらしてくれない。ドン、ドン、ドドンと歩を進めて来る。
吹雪く夜が減り、木枯らしがいつの間にか聞こえなくなり、日なたの雪が溶けはじめた。
やがて……。
本格的に雪解けがはじまり、川の氷が溶け東からの暖かい風が吹く。
山に春の気配が満ちるごとに、小雪はだんだんと元気がなくなっていった。精をつけさせようと好物の蜂蜜飴を渡しても、ペロリと舐めるだけでもういらんと首を振る。
わしと優曇華はお山中を駆けまわり、谷の吹き溜まりや木陰に溶け残った雪を集めて運んだ。だがやがて、探してもひと掬いの雪も見つけられんようになった。
そしてある朝。
ぺしぺしと柏手が聞こえて来た。
小雪が出会った冬の最中の頃のように、元気いっぱい宙を舞っていた。
『ぴっ! ぴっ!』と掛け声をかけながら、ぺしぺしと楽しそうに柏手を打つ。
だが小雪の身体は、儚く透けている。
優曇華ははたはたと涙を流しながら小雪と一緒に空を舞った。『ぴっ! ぴっ!』と、一緒に手を打ち鳴らし舞い踊る。
小雪の小さな小さな掌から、ハラハラと雪の結晶が舞い落ちる。朝の陽ざしにきらきらと輝き、すぐに消えてゆく。
「ぴゅーい、ぴい、ぴゅーい」
小雪は最後に一声、唄うように高く鳴き、天高く昇って行った。
「小雪、行くな! 戻って来い!」
叫んだ優曇華の頬に、ちらりと結晶がひとつ舞い落ちた。幅広六花……。花びらのような形のその雪の結晶が、優曇華の頬に刻まれる。
小雪が最後になんと言っていたのか……。
それはわしにもわかる気がした。
『さようなら』
そして……。
『きっと、また会える』
小雪が最後に残した雪の結晶は、消えることなくずっと優曇華の頰を彩った。
そしてそれ以来、優曇華は寒い冬にも凍えることがなくなったとさ。




