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第十一話 雪の精霊

 鷲尾(わしお)のお山に、今年も冬がやって来た。


 重く垂れ込めた雲からは、引っ切りなしにハラハラとおしろい粉のような雪が舞い落ちる。

 優曇華は寒いのが苦手じゃ。花の精霊だからのう。冬になると、一日のほとんどを、とろとろと眠りの中で過ごすようになる。


 囲炉裏端やわしの膝の上……時には狐の大婆の尻尾に包まれたり、天狗の背で翼に隠れたりして、手足を縮め赤子のように眠る。

 わしらはそれが嬉しくて、冬の間はよう集まった。一本杉の庵で思い思いに静かな時を過ごす。


 狐の大婆がちくちく縫い物をして、天狗は珍品を眺めたり手入れをする。わしは調べものをしたり、書物を読んだりする。


 囲炉裏でヤカンが、しゅんしゅんと湯気を上げ、時折りどさりと枝から雪が落ちる音がする。

 優曇華がむにゃむにゃと寝言を言うと、三人で顔を見合わせてふふふと、声をひそめて笑った。


 家族なんぞというものには(つい)ぞ縁のなかった身だが、三人と優曇華で過ごした冬はやけに暖かく感じたものじゃ。

 寒い時に身を寄せ合うことに、こうも心をつかまれるというのは、厳しい季節を生き残るための太古の記憶なのかも知れんのう。


 鷲尾のお山の冬は厳しい。お山も里村も雪に重く閉ざされる。動物も物の怪どもも(ねぐら)に籠もって丸くなり、雪解けを待ち侘び夢を見る。今はまだ遠い春の足音に、耳をすませて過ごす。



 そんなある冬の朝のことじゃ。


 珍しく雲が晴れ、お天とうさんが顔を出した。優曇華の目も朝からぱっちりと開き、外へ出たくてうろうろとしはじめる。


 何もかも雪に埋もれて、面白いもんなんぞありゃせんがのう。


「ふわぁ〜、真っ白じゃ。お爺! 全部真っ白で、目がちかちかするぞ!」


 なるほど。ほんに見事な雪景色だ。


「うむ、こんな日は、温泉でも行ってみるか? 温まりながらの雪見酒は、格別じゃからのう!」


「風呂か? 行きたい! 双子岩の温泉なら、今日はお猿が来ているじゃろか?」


 猿と一緒じゃ落ち着かんが、双子岩のあたりなら、そろそろ蕗の薹(ふきのとう)が芽吹いているかも知れん。味噌と()えると、良い酒のツマミになる。


 わしと優曇華はそれぞれの思惑で、鼻歌を口ずさみながら風呂の身支度をして雲を呼んだ。

 雲の上から見る雪景色は、それは見事なものじゃった。


 雪が積もると尖ったものや角張ったものが、雪をかぶってほっこりと丸くなる。柔らかい輪郭となった景色、上等の絹織物のような雪。

 全ての生き物のそっとひそめた息遣いが、しんと静まり返ったお山に深く染み入る。


 厳しい季節だからこその、美しさがある。


『ほれ、見てみい』と振り向くと、もこもこに着膨れた優曇華が、がちがちと歯を鳴らして座り込んでおった。


「しもうた! お空の上は、花精霊に空の上は寒すぎたか⁉︎」


 急いで双子岩まで飛び、優曇華を温泉に放り込む。


「ふう……お爺、わっし、しばらく凍っておったかも知れん」


「いやいや、凍ってはおらんかったよ。危なかったがのう」


 優曇華はぬる目の湯にゆっくり浸かり、元気が出て来るとさっそく子猿を呼び、ちゃぷちゃぷと遊びはじめた。背中を洗ってやったり、一緒に泳いだり。


 わしもひとしきり温まったので、蕗の薹(ふきのとう)でも探してみることにした。今年の雪は粘りがある。こりゃあ雪解けが遅れるかも知れん。


 雪の緩んでいる場所にあたりをつけ、杖でほじくり雪を退かす。


 むむ、手応え有りじゃ!


 蕗の薹は軽く湯がいてから味噌と胡麻で和え、朴葉(ほうば)に乗せて燠火(おきび)で焼く。茄子やキノコを加えても旨い。握り飯にも良く合う。


 独特の風味を思い出し、喜び勇んでごりごりと雪を掘っていたら……。


「ぴゃう‼︎」


 けったいな声がして、丸くて白いものが雪の中から飛び出して来た。

 ぽんぽんと雪の上を弾み、ころころと転がり、ぼちゃんと温泉の中に落ちる。


「ぴぎゃー!」


 またもや奇妙な叫び声を上げて温泉から飛び出し、雪の上にぱたりと倒れた。


 なんじゃ? 雪玉に手足がついたような姿……。雪か氷の精霊かいな?


 すると……温泉に落ちたのは、いかんだろうか⁉︎


 慌てて雪をかける。なんじゃ、今日は慌ただしい日になりおったな。


 しばらく待つと、もぞもぞと雪から這い出して来た。まだ元気がないが、溶けてしまわなくて良かったわい。


 蜂蜜をとろりと雪の上に垂らし、パリッと凍ったものを渡すと上機嫌でパリパリと齧った。


「お爺、これはなんじゃ? 物の怪か?」


 優曇華が濡れた身体で、ふよふよと漂って来て言った。


 これこれ、身体が冷えたら、また動けんようになるぞ?


「うーむ。ゆきんこや、雪わらしと呼ばれとるやつじゃな。物の怪と精霊の中間くらいかのう」


「精霊! わっしの仲間か⁉︎ 初めて会うたぞ!」


 精霊は自然界の気が集まって生まれるもの。物の怪は生き物の感情が固まって変化するもの。


 似ているようで、実は大きくかけ離れている。


 だがこの手の連中は精霊として生まれ、育つと物の怪になるものも多い。確かゆきんこは、美しく人を(たぶら)かす雪女か、雪崩や吹雪を起こす雪男になるはずじゃ。


「お爺、触っても、平気かの?」


「それは本人に聞いてみたら良かろう?」


「わっしは優曇華。花精霊じゃ。白い雪のお前さま、名を何と言う? 触れても良いか?」


 わかっておるのか、おらんのか。ゆきんこはぴょんと飛び跳ね、優曇華の頭に乗った。


「ぴっ! ぴっ!」


 嬉しそうに頭の上で、ぺしぺしと手拍子を打つ。


 するとその小さな掌から、はらはらと小雪が舞った。


 ほほう、小さいながらも、なかなかやりおるな!


 優曇華も喜んで、一緒に手拍子を打って踊るように漂う。ところが、徐々に動きが鈍くなり、やがてガタガタと震え出した。


 いかん! 凍る寸前じゃ!


 頭の上からゆきんこを下ろし、また急いで温泉へと放り込む。わしもすっかり芯まで冷えてしもうたわい。


 湯の中で手足を伸ばし、優曇華と二人、そろって『ふい〜』とため息をつく。


 全く今日は慌ててばかりじゃよ。冷やしたり、温めたり、忙しい日じゃのう。


 ゆきんこは、温泉の湯気が及ばんあたりで『ぴゅう〜ん』と鳴き、寂しそうに佇んでおる。


 これは……懐かれてしもうたかいのう。


 優曇華もいじらしい様子にほだされておるようじゃ。いそいそと服を着込んで、近寄ってゆく。


「あまり長く触れ合ってはいかんぞい。お互いのためにならんでな」


「わっしが名前を付けても良いか? “小雪”はどうじゃろう?」


 おうおう、名前を付けたらあっという間に情が湧くぞ?


「ふへへ!  気に入ったか! そうか! ふへへ、小雪は冷やっこいの! ふへへへ!」



 小雪が嬉しそうに、優曇華の髪の毛にじゃれついた。空色の髪を半分凍らせて、笑いながら一緒に雪野原を転がる。優曇華はすぐにガチガチと歯を鳴らして温泉に飛び込み、また小雪の元へと駆けてゆく。


「優曇華、たいがいにせんと風邪をひくぞ!」


 はて……。精霊も風邪をひくんかいの?




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