第三話 残された生、その意味
浩也に与えられたのは今は使われていないらしい学生寮の一室だった。六畳ほどの空間に寝台とシンク。必要最低限の生活空間が与えられているあたり並みの奴隷よりは大切にされていそうだ。
部屋に入った段階でやっと口枷が取れ、やっとの解放感。寝台に突っ伏した。
だが、気分は楽にはなり切れなかった。今でも目を閉じればすぐに死に際の光景が蘇る。
浩也の感じる不安は異世界転生以上のものがあった。自分を裏切った兄弟そして自分の入っていた組はどうなったのか…自分のことなんかよりそちらが気になって仕方がない。
気が付けば眠っていた。窓からは月あかりが差し込んでおり、世話係が運んできただろう冷え切った料理が机に並べられていた。
状況をいまだに飲み込めてはいないが、自分の生は確かなもの。味気のない料理をほおばる。。
と、その時。日中は開けようにも開けれなかった扉からノック音。扉に近寄ってみると下の隙間から手紙が差し込まれていた。
「私の部屋まで来い。経路はここに示しておく」
何者かが浩也に呼び出した部屋への手引きをする文面。
誰が投かんしたか確かめようとドアノブに手をかけると扉はすんなりと開いた。日中みじんも動かなかったのが嘘のようである。
廊下には…誰もいない。誰がこの紙を置いていったのかはわからない、がこのまま謎のまま終わるのも釈だ。此処は手紙の指示に従うことにした。
夜間静まり返った学院内。現代日本のように監視カメラもない、警備員の順路さえ避ければ部屋まで到達するのは容易だった。呼び出された先はとある研究室。校舎の隅で隔絶されたような場所だった。
中で待っていたのは眼鏡をかけた壮年の女性。耳の形状からしてもエルフの血を引いているように見える。部屋は研究道具でごちゃごちゃしていてまるで足場がない。
「あんたか?俺を呼び出したのは」
「おっ、来てくれたの!ようこそようこそ、ささ、ここに座って!」
女性は書類を椅子から地面に叩き落としたかと思うと浩也の手を引いてそこに無理やり座らせた。
「大丈夫、ここにいることはバレやしないよ。ほら、ウルシ茸から挽いて作ったお茶だ。飲んでみて」
「おい、そんなことより要件はなんだ、先にいってくれ」
「ちょっとくらい口をつけてくれてもいいじゃないか、人間ってのはせっかちな生き物だね」
「状況が状況なんだ、早く教えてくれ」
こんな紫色の飲み物そもそも飲みたいとも思わないが。
せかす浩也を散々たしなめた後、女は語り始めた。
「ここに君を呼び出したのは君を救うためだ。このままじゃ君に待っているのは死よりもつらい人体実験だよ。君、魔力なんて一つも持ってないしね」
「!?なんでそれを…!?」
思わず叫びだしそうになる浩也の唇を指で制する。
一つも口をつけていない浩也の茶を奪うと女は浩也の真正面に坐りなおした。
「馬鹿言うなよ、僕はこの学院随一の魔力眼の持ち主。君を一目見た段階でそのことには気づいていたさ」
「じゃあどうして…」
「『どうして』?どうして誰にも言わなかったのか?どうしてそんな魔法の使えない木偶の坊を助けるのか?ふふっ、あいにく僕はそのどちらにも答えられないな」
「どういう、意味だ?」
「しいて言うなら恩返し…かな?」
「はぁ?」
「君の救出劇は依頼された者、依頼主に僕はただならぬ恩を感じていてね。とてもとても彼を私は裏切れないんだよ」
どこかで聞いたような話だ。浩也の知る話ではそいつは恩返しの途中で裏切りに遭って失敗したわけだが。
「だからね、依頼主のためにも君には脱出してもらわないといけない」
残りの茶を一気に飲み干した女は研究器具で山積みのデスクの引き出しから小袋を引っ張り出し、浩也へとそれを放った。ジャラジャラと音のするそれの中を見てみると地図と硬貨が数枚入っていた。
「脱出経路と当面の資金だよ。確か帝国地下水道を通って郊外に出るルート…だった気がする。まあ詳しいのは自分で見てね」
どうやらこの街では蜘蛛の巣のように放射状に水道が配備されているらしい。学院の地下から円周をなぞるように動けば脱出のルートになる。途中の過程も事細かにしるされており、これがあればかんたんに抜け出すことはできるだろう。
だが、浩也の思いはそうではなかった。
「悪いがこれは受け取れねえ」
「えっ?どうしてだい、君にとっても悪い話じゃないだろ?!」
「俺も悪党ではあるけどな、あんたみたいな見ず知らずの女に罪背負わせて脱出ってのは男じゃねえよ。それにな、俺はもう死んだ身なんだ。此処から解放されて逃げたところで生きることに価値なんか見出せねえ」
浩也はむしろ死にたがってさえいた。自分のことを面倒見てくれた極道のおやじ、その恩返しに最悪の形で失敗してしまった。極道社会で失敗は自分の身をもって補填するもの。これ以上ない失態を起こしたのに生き延びていることは至上の恥なのである。
それに加えて浩也が脱出しようものなら加担したこの女も当然罪に問われる。
脱出して生き延びるなんて恥に恥を上塗りするようなものである。
「もう死んだ身…?」
「!!ああいや、それはなんでもない忘れてくれ」
うっかり口を滑らした浩也のことを女は怪訝そうに見つめた。女はその言葉にただならぬ意味があることを感じ取った様子で目を伏せた。
「……君がそう言うなら深くは追及しないよ。自分のことを死んだとまで思いこむことならそれだけ重大なことがあったんだろ?でもさ、せっかく今生きてるんだったら何かできることはあるんじゃないかな。君は自分の死後を見届けることができるんだから」
自分の死後を、見届ける。考えたこともなかった。今ここにある自分の命は死にきれなかった命の残りかす、そこに意味などないと感じていた。
「君の死によって何かが変わっているはずだ。良くも悪くもね、けど生きているならそれを見届けるだけじゃなく是正だってできる」
だが、女は浩也の言葉の意味を真には理解していない。浩也は文字通りの意味で死んでいる。この世界では生きれても現実での自分の死後を見届けることはできないのである。
「うるせェよ…あんたが恩を返したい気持ちは俺にだってわかる。けどな、死にたがる人間を自分のエゴで引き留めるんじゃねェ」
「ふふ、随分子供っぽいんだね君は」
憤怒。自分だってこの世界ではなく日本で生きているならば今すぐにでも走り出して親父のもとへ向かう。だが、それはどうあがいても叶わない…
女の言葉は浩也の神経を逆なでするばかり。浩也の体は勝手に動いていた。女の頬を紙一重ですり抜けた浩也の拳は壁にひびを入れた。
「ここから逃げ出したって俺にそれは叶わないんだ!現実的に不可能なんだよ!」
だが女は冷静だった。
「僕が子供っぽいって言ったのはその諦めの良ささ。君は諦めが良すぎる。いいかい、この世界は魔法の世界。毎晩のように新しい魔法が生まれ、不可能が可能へと変わっている。君が元居た世界に戻ることだって可能になるかもしれない|」
「なっ?!」
この女は浩也がこの世界の人間でないことを知っていたかのような口ぶりである。耳を疑うような発言にまくし立てて追及するが女はそれをすべて拒絶。浩也にもう一枚紙を手渡した。
「これは僕の知り合いの次元転移魔法を研究している魔術師の住所だ。安心しろ、彼は差別はしない」
「【マリク・スタローン】…こいつが?」
「多分まだ耄碌はしてないと思うからさ、行っておいでよ」
次元転移…確かに世界線をも超越することが可能と思わせるかのような響き。彼を頼れば自分を弾いた後の兄弟、そして黒田親忠会について知ることが可能になるかもしれない。
浩也の中で、自分の生への考えはひっくり返された。女の言うとおり、まだあきらめるには早かったのかもしれない。
「どうだい、まだ死にたいかい?」
「いや…だけどな…」
「はは、もしかして僕のことを心配してくれてるのかい?大丈夫だよ、君にはこの学院がもう一個建てられるほどの額がかかってる…そんな人間を逃がしたなんて周知はさせられないだろう?だとしたら真っ先に行われるのは君の捜索、犯人探しなんて二の次さ」
…うまく言いくるめられたような気がする。だが、女へと抱いていた不信感はいつしかどこかに消え去っていった。浩也は再度ソファに腰を下ろし、茶をすすった。
「よし、じゃあ脱出前の最後の準備だ。楽にしていてくれよ、いまから君にかかっている呪いを解く」
女は浩也の後ろへと回り込み手をかざす。魔法陣が空中に描かれたかと思うと浩也の体内に張り巡らされていた鎖のような呪いがどんどんと吸い出されていく。
「あんた、ほんとにすげえんだな」
「これが紋章の力さ。僕には聖マーレ公の紋章がある。確かに学院長の呪いもなかなかだけど呪術に加護を受けた紋章があれば解呪は朝飯前さ!」
「これが紋章の力、なのか」
「ああ、だから君の背中のそれはたいそうな力を持ってるんじゃないかな。そんな立派なのは見たことがない」
この女はどこまで勘付いているのか。浩也の背中にそんな力がないことも見通しているのか。
女の真意は読めなかった。
浩也は鈍い返事を返した。
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あれから三十分弱。学院長のかけた呪縛を何とか解呪することに成功した女と浩也は固い握手を交わしていた。
「その、すまねえな。あんたのおかげで俺は自分の命の使い方を知ることができた」
「お安い御用さ、言ったろ?これは僕の恩返し。君に感謝される筋合いなんてないさ。それと…僕はドリー、【ドリー・スコッチャー】だ」
「そうか、ありがとうなドリー。俺は閑谷浩也だ」
「…いい名前だね、ヒロヤ」
「意味も分かってねえくせに」
ほんの数十分前に出会った二人だが、両者の間には確かな縁ができていた。二人は旧友のように言葉を交わし、笑顔で別れを告げた。
浩也はもう振り返らなかった。ドリーに受けたその恩、無駄にするわけにはいかない。
走り出した足は止まらない。
今ここに、極道・閑谷浩也の【生の事後処理】が幕を開けたのである。




