08 憶測
「どうしたんですか、これは」
反射的な行動だったと思う。考えるより先に体が動いていた。
僕は体を屈め、一色さんの右手首を掴んでいた。そして、そこに浮かぶ赤い痣を凝視していた。
赤く腫れあがった患部を見られて、彼女ははっと表情を強張らせた。
「違うんです」
何が違うというのだろう。僕の手を振り払い、一色さんは自身に言い聞かせるように説明した。
「この前、料理中にちょっと火傷しただけなんです」
「……火傷?」
僕は首を傾げたい気持ちだった。
なるほど、自炊していて火傷するというのはよくある話だ。けれどもそれは通常、指が熱いものに触れるケースが多いのではないか。手首だけが真っ赤に焼けるといった事態が起こり得るのか。
手首から先を熱湯へ突っ込んでしまった、というようなケースも想定は可能だ。しかし、一色さんの手は細く、色白で綺麗なままである。そのような可能性は当てはまりそうになかった。
そこへちょうど米田が戻ってきて、僕たちの会話は中断された。手首の痣のことはうやむやになった。一色さんも触れてほしくない話題のようなので、僕も口にはしなかった。
米田は先刻自分のとった態度を反省し、一色さんへ何度も詫びた。彼女の機嫌を取ろうとするかのように、お菓子や飲み物を次々に運んできた。
とりあえず形式的に謝っているようにしか見えなかったが、一色さんは彼の謝罪をすんなりと受け入れ、あろうことか「私の方こそ、すみませんでした」と頭を下げた。ことを荒立てるよりは、その場しのぎの和解を選んだのだろう。
ともかく、関係の悪化はそこで食い止められた。米田の知人は呼ばずに、三人で麻雀を楽しんだ。
でも、僕はちっともゲームに集中できなかった。鳴かない方が有利になる場面でもむやみに「ポン」「チー」と叫んでしまったし、自分がどういう役を目指してプレイしているのか、よく分からないままだった。
僕はずっと、一色さんの手首の痣について考えていたのだ。あれは火傷なんかじゃない。打撲による内出血に間違いなかった。
何故、彼女がそんな傷を負わなければならないのか。いくつかの推測が成り立つが、僕はやがて、その中で最も現実味があり、なおかつ最も想像したくない結論へ辿り着いた。
あくまでも一つの可能性だが、米田は一色さんへ暴力を振るっているのではないか。手首の痣も、その際にできたものなのではないか。
さっきの二人のやり取りを見る限りでは、日常的に暴力が振るわれていても決して不自然ではなかった。桐木への仕打ちよりもさらに酷いことを、米田は今付き合っている一色さんへしているのではないか。
牌へ手を伸ばす二人の姿を見ながら、僕は自分の推測が当たっていないことを祈った。
夜が近づき、僕は米田の家をお暇することにした。
線路沿いの一本道を歩きながら、ふと思い出した。この道は以前、桐木と一緒に帰ったときのものだ。
一色さんのことも心配だが、彼女はあの件から上手く立ち直れているだろうか。
桐木から電話がかかってきたのは、そんな折だった。