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07 不穏な傷跡

 後日、僕は再び米田の家を訪ねた。この間書き上げた恋愛小説を、一色さんに届けるのが主目的だった。

 桐木の一件以来、僕は米田の人間性をあまり好きになれないでいる。しかし、数少ない読者に会うためだと思うと、駅から彼ら二人の住むアパートまでの道のりは短く感じられた。


「よし、麻雀でもするか」

 僕と一色さんが小説の受け渡しを終えるのを待っていたように、米田がソファから腰を上げる。彼は文学にさほど興味がないらしい。


「いいね。やろう」

 早速牌を並べようとした僕を見て、米田は何故か、僅かに表情を曇らせた。

「……でも、三人でやってもしょうがないよな。やっぱり麻雀は四人じゃないと」


 そういうものなんだろうか。僕にはいまひとつ感覚が分からないが、東西南北四つの方位を使うゲームの特性上、四人で遊ぶのが醍醐味なのかもしれない。

 まさか、また桐木を呼ぶつもりか。ひやひやしている僕をよそに、米田はテーブルに置かれていた携帯を拾い上げた。

「大学の先輩に電話して、誰か呼んでみるよ」



 いよいよ妙なことになってきた。

 僕は今、親友とその彼女さんと、親友の先輩とで麻雀をしようとしている。しかも、その先輩とは全く面識がないのだ。あまり場が盛り上がるとも思えなかった。


「やめようよ、米田君」

 A4用紙の束から視線を上げ、一色さんが困ったように言う。それまでは僕の小説を熱心に読んでくれていたようだが、米田の勝手な行動が目に余ったのだろうか。


「最近、毎日のように知り合いを連れてきて、麻雀ばかりしてるじゃない」

「それがどうかしたのかよ。俺、何か悪いことしたか?」

 とぼけた様子で反論する米田に、さすがの一色さんもむっとしたようだ。


「私の気持ちも考えてほしい。色んな人に気を遣うのって、結構疲れるんだよ。浅井さんだって、米田君の先輩とは初対面なわけだし」

「……あ?」 


 途端に、米田が怒りの形相になった。つかつかと歩み寄り、凄みを効かせて一色さんを睨む。

「舐めた口を利くなよ。誰のおかげで、この家で暮らせてると思ってんだ」

 一色さんの目が、たちまち恐怖に見開かれた。



「おい、よせって」

 尋常ではない雰囲気になってきたのを、見過ごすことはできなかった。僕は咄嗟に二人の間に割って入り、仲裁役を買って出た。


 米田は僕を苛立たしげに睨んだが、特に何も言わなかった。彼の中では、恋人との喧嘩よりも友人との対立の方を優先的に避けたのかもしれない。

 ちょっとトイレ、とだけぶっきらぼうに告げて、米田は手洗いに立った。


「……ごめんなさい」

 一色さんは俯いたまま、謝罪の言葉を並べ続けている。しかし、それが米田へ届くことはなく、手洗いの扉は閉ざされた。

 彼の姿が視界から消えてもなお、彼女は目に涙を受かべて謝り続けていた。


「生意気なことを言ってしまって、ごめんなさい。私が悪かったです」

「……一色さんは悪くないよ」


 険悪になったムードをどうにか元へ戻そうと、僕は努めて明るく言った。

「今のは、米田が強引すぎたのが悪い」

「そうでしょうか……」

「うん」

 自信なさげな一色さんへ、僕は無理に笑顔をつくってみせた。けれども、内心では気になることがたくさんあった。



 どう考えても、さっきの米田の態度は異常だ。恋人と接する態度とは思えないし、もしあんな風に日頃接し続けているのなら、二人が破局しない方がおかしい。


 本人が手洗いに立っているのをいいことに、僕は今の状況についてあれこれと推測を巡らせた。

 米田の人格に問題がないと言えば嘘になる。事実、高校時代の彼は桐木と遊び感覚で付き合い、まるで遊び飽きたおもちゃを放り投げるように、無慈悲に捨てたのだ。


(万が一、桐木にやったようなことを、あいつが一色さんにしようとしているのなら……)

 そのときは、米田を止めるしかないだろう。たとえ友情を犠牲にしても構わない、とさえ僕は思った。



 そこでようやく、一色さんは自分が泣いていることに気づいたらしかった。慌てて手の甲で涙を拭おうとする。

 泣いている姿を、米田に見られたくないのだろうと想像する。一見すると健気な様子だが、涙を流したことで米田からさらに叱られることを恐れている、と解釈できなくもない。どちらなのか判断するのは、困難をきわめた。

 だが、僕としても米田と対立することはなるべく避けたい。


「あいつは、ちょっと自分本位なところがあるからさ。本当に嫌なときは、はっきり言ってやった方が良いと思う。それか、誰かに相談してみるとか」

 さりげなく差し出したポケットティッシュを、一色さんは儚げな笑みを浮かべて受け取った。泣き顔と微笑が入り混じって、何だか幻想的な表情に見えた。


「ありがとうございます、浅井さん」

 ティッシュを握った右手で、目元をぐいと拭う。


 その拍子に、彼女の着ていたチュニックの袖が少しめくれた。露出した手首には、丸い形の真っ赤な痣があった。

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