06 泥酔
何杯目になるかも分からないビールを飲み干して、桐木は大ジョッキをカウンターへ叩きつけるように置いた。
「ちくしょう、米田の馬鹿野郎。あたしの気持ちも知らないで」
彼女は元々男っぽいたちだが、ここまで荒っぽい言葉遣いになるのは珍しいのではないだろうか。
さらに悪いことに、少しずつ呂律が回らなくなってきている。酔い潰れる寸前かも、と僕は思った。
「桐木さん、今日はこの辺にして帰らない?」
焼き鳥や枝豆が盛られていた皿も、今はほとんど空になっている。そろそろ潮時だ。
「帰るのもいいけど……」
ふと視線をさまよわせ、桐木はぼんやりとした目で言った。それから急に僕の腕を掴み、体をすり寄せてくる。彼女は上目遣いにこちらを見ていた。
「どこかで休んでからにしない?」
思わせぶりな態度。意味深な台詞。
もっと違った状況ならば、僕は誘いに乗ったかもしれない。けれど、精神的に弱った相手につけ込むような真似はできなかった。
今の彼女はただ、自暴自棄になっているだけだ。
「そういうのは、駄目だよ」
ごめんね、と彼女の手を優しく払い、僕は言った。
「今の桐木さんは、寂しさを埋めたいだけだろう。もっと自分を大切にしなくちゃ」
誘いを拒まれると、桐木は我に返ったように体を離した。少し酔いが覚めたのかもしれない。ぷいっと明後日の方向を向き、微かに頬を染める。
「別に、あんたなんかに心配されなくたって。余計なお世話」
「悪かったよ」
突っかかってくる桐木を上手くかわし、僕はさっさと会計を済ませた。
今回は僕が奢ることにした。彼女の精神状態が回復するには、今しばらく時間がかかるかもしれない。僕なりの見舞いのつもりだった。
駅が近づくと、桐木の顔色が悪くなった。
改札を通り抜けるや否や、お手洗いへ駆け込む。戻ってきた彼女はぐったりしていて、歩くのがやっとだった。
悪い予感が当たってしまった。激しく嘔吐した跡が窺える。
「……桐木さん!」
僕は彼女に肩を貸し、体を支えてやった。この状態で電車に乗るのは難しいと判断し、改札から出て引き返す。桐木の具合が悪くならないよう、ゆっくりと一歩ずつ歩いた。
「ごめん。あたし……」
「まだ喋らない方がいい」
コンビニでミネラルウォーターを買ってから、タクシーを呼ぶ。幸い、彼女とは帰る方面が同じだった。大体の目的地を告げると、初老の運転手はただちに車を発進させた。こういう事態には慣れているらしい。
三人掛けの後部座席の隅に、僕は体を押し込んだ。そして残りの二席を桐木に使わせ、横にならせた。微妙にスペースが足りず、上半身を僕にもたせかけるような体勢になる。
ミネラルウォーターを渡すと、桐木は少しずつ飲み始めた。苦いものが残る口内を洗い流せば、少しは楽になるだろうと僕は考えていた。
タクシーが走り出してからしばらくして、彼女は口を開いた。
「馬鹿なのはあたしも同じだ」
弱々しい声は、消えかけの蝋燭を連想させた。
「あたし、酒に強くなんかないんだ。それどころか全然飲めない。なのに、米田とのことを忘れたくて、無理してまで飲んで……浅井にも迷惑かけまくって、変なことも言っちゃったし。本当に馬鹿だったよ」
黙って頷きながら、僕は桐木の話に耳を傾けた。
「どうして、こんなあたしに優しくしてくれるの。こんな、どうしようもなく愚かなあたしに」
襲ってきた悪寒に体を震わせ、桐木が囁く。その体を温めようとするかのように、僕はそっと彼女の肩を抱いた。普段は男勝りな面が目立つ桐木が、いつになく儚げに見えた。
「友達だからさ」
シンプルな答えを返す。
薄暗い車内で、桐木がうっすらと笑みを浮かべた気配があった。何かを受け入れたような悲しい笑い方だった。
彼女が下宿しているというアパートの付近で、タクシーが停まる。
その頃には桐木の状態はだいぶ良くなっていて、何とか一人で歩けるくらいにはなっていた。あたしが出す、と言って聞かず、運賃の八割方を自分で払った。さっきの居酒屋での会計と合わせると、これでちょうど割り勘くらいだ。
「あとは大丈夫だから。心配かけてごめん」
開いたドアから降車し、手を振って歩き去ろうとしてから、不意に桐木はこちらを振り返った。その瞳には強い意志が宿っていた。
「……また米田に誘われても、あたしは行くつもりないから」
僕が何か言う前に、タクシーのドアは閉められてしまった。間もなく車が動き出し、桐木の姿は見えなくなる。
彼女なりに、過去と決別しようとした結果なのだろう。
結局、僕たちが四人で麻雀をしたのは、あの日が最初で最後だった。