05 同情と慰め
そんな話は初耳だった。
あるいは当時の僕の交友関係が狭くて、ゴシップの類が流れて来づらかったのかもしれない。とにかく、僕が桐木の告白から受けた衝撃は相当なものだった。
「まあ、付き合ってたって言っても、ほんの一、二か月だったけどね」
目尻を拭い、桐木が声を震わせる。
「多分、あいつは本気じゃなかったんだと思う。彼女がいない間のつなぎ程度にしか考えてなかったのかもしれない。でも、あたしは彼のことが心から好きだったんだ」
紡ぎだされた言葉はとどまることを知らず、感情というダムが決壊したように溢れ出た。
「ある日突然、あたしは米田に捨てられた。他に好きな人ができたって言われて、一方的に別れを告げられた」
「桐木さん……」
かけるべき言葉が見当たらず、僕の台詞は虚空を漂い、やがて霧散した。普段はアマチュアなりに頑張って執筆しているというのに、肝心なときに的確なフレーズが出てこない。自分で自分に腹が立った。
「あのときのことは、忘れようとしてたのに。まるで見せつけるみたいに、米田はあたしの前で彼女といちゃついた。それを見たら、劣等感と悔しさで頭の中がいっぱいになって」
暗くなり始めた小道で、桐木は嗚咽交じりに喚いた。
「幸せそうで、楽しそうで。あたしは、彼にあんな風に愛されたことなんて一度もなかったのに」
「……打ち明けてくれてありがとう。辛かったね」
そう言って肩に手を置くのが、僕にできる精一杯のことだった。
高校生の恋愛など、大学生に比べれば幼稚なものだ。手を繋いだり一緒に帰ったりすることはできても、一夜を共にしたり、二人で遠くへ出かけたりするのには色々な制約が生じる。
推測するに、桐木と米田の間には深い関係はなかったのだろう。付き合った期間も短いのなら、さほど関係が発展する余地もなかったに違いない。
心の奥深くに眠っていた記憶が、米田、そして一色さんとの接触を通じて呼び覚まされてしまった。桐木の気持ちが、僕には痛いほど分かった。
(……米田はどう思っていたんだろう)
桐木のことは元カノの一人、ずっと昔に終わった恋くらいにしか捉えていないのかもしれない。過去の関係は清算済みだと認識し、古い女友達を呼ぶ感覚で家に呼んだのかもしれない。しかし、その結果桐木は深く傷つけられた。
一色さんへさりげないボディタッチを繰り返す米田と、恥じらいながらもそれを拒まない一色さん。また、同棲しているということはすなわち、肉体関係もあるということだ。彼らのささやかな愛の証を見せられ、桐木は劣等感にさいなまれた。
高校時代の失恋を引きずっている様子を見るに、彼女はいまだ良い出会いに恵まれていないのかもしれない。同性の比率が高い看護学科に在籍しているのなら、あり得なくはない。
色々な観点から状況を検討してみたが、やはりこの件に関しては、桐木に同情の余地がある。同時に、桐木の気持ちを思いやらなかった米田の責任は重い。
一色さんに家事全般を押しつけたりと、彼には自分本位なところがあると薄々感じていた。だが、今回の彼の行動はあまりにも酷い。
なおも涙を流し続ける桐木を前に、僕はどうすべきか迷った。偉そうに推測を並べ立てては見たものの、僕は恋愛に関してはかなり奥手な方だ。こんなとき、何と声を掛ければ良いのだろう。
「一件くらいなら、付き合うよ」
さんざん考えた末に出てきたのは、ありきたりの台詞だった。それも、普通は男友達に対して使うような。
でも、あのときの僕にはそれくらいしか思いつかなかった。根本的な解決にはならないかもしれないけれど、酒に酔って嫌なことを忘れれば、桐木も少しは楽になれるんじゃないかと思った。
「何で、あんたみたいなパッとしない男と……」
目元をぐいと拭い、彼女は強がってみせた。僕の力など借りなくても大丈夫だと、虚勢を張ってみせた。
「桐木さん、同窓会に来なかったでしょ。その代わりだと思えばいいさ」
このまま解散するのもいたたまれず、僕はもう少しだけ粘ってみることにした。やや間があって、桐木が苦笑する。
「……二人だけの同窓会なんて、あり得ないんだけど。まあ、でも悪くない考えかもね」
結局のところ、彼女は助けを求めていたのだ。
かくして、僕たちは電車に乗る前に居酒屋に寄った。