22 告白
きまり悪げに、桐木は目を逸らした。微かに顔を赤らめている。
「……この前、イタリアンを食べに行ったときのこと、覚えてる?」
「もちろんだよ」
たちまち、苦い思い出がよみがえってきた。僕は彼女の方を向き、深く頭を下げた。
「あのときは、感情的になってしまって悪かった。僕は一色さんの思い通りに操られていて、桐木さんの忠告に耳を貸そうとしていなかった。悔やんでも悔やみきれないよ」
「謝らなくていいよ。あたしも、ちょっときつい言い方しちゃったなって反省してる」
顔を上げると、桐木と視線が合った。頬を朱に染めて、彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。
「……あの日、あんたが店を出て行ってから、すぐに後を追いかけたの。最初はすぐそこで呼び止めるつもりだったんだけど、女のあたしの足じゃ、なかなか追いつけなくて。気づいたら、浅井の家の前まで来ちゃってたんだ。アパートの場所が分かったのは、そのせい」
「そういうことだったんだ」
筋の通った説明で、疑いを挟む余地はなかった。けれども、解けない疑問はもう一つある。
「じゃあ、二つ目の質問に移ろう。今日、この時刻に僕を訪ねてきたのはどうして?」
「あんた、本当に鈍感なんだな。普通、それ女性に言わせる?」
呆れたように呟いて、桐木はベッドから立ち上がった。床に落ちたままになっていた、小さな紙袋を拾い上げる。
袋の中から、綺麗にラッピングされた包みを取り出す。顔を真っ赤にして、桐木はその包みを僕へ差し出した。
「……良かったら、受け取って欲しい」
半透明の包みから覗くのは、個包装にされたチョコレートの数々だった。
それを見て僕は、今日がバレンタインデーであることを思い出した。
桐木が今日、僕にチョコレートを渡すために訪ねてきた。それは明らかだった。
「高校一年のとき、あたしが米田に捨てられたって噂は結構広まってた。仲良くしてた子に急によそよそしくされて、クラスで陰口を叩かれるようになった。あの時期、あたしは学校で孤立してた」
彼女から真っ直ぐに見つめられて、僕はどきりとした。
先刻、バスタオル一枚のみを纏った一色さんに抱きつかれたときも、驚きはした。しかし、今覚えている高揚感はそれとは全く別物だった。嘘偽りの愛ではない、純粋な想いが目の前にあった。
「そんなとき、あたしを助けてくれたのが浅井だった。いつもと変わらず接してくれたし、文化祭の実行委員の仕事にも一緒に取り組んでくれた。二人でいるときだけは、嫌なことも忘れられたの」
ふと、桐木が恥ずかしそうに目を逸らす。
「あのときにあたしが渡したチョコ、本命だったのに。あんた、全然気づいてくれなかったもんね」
「ごめん」
反射的に謝りながら、僕はチョコレートの包みを受け取った。
「でも、知らなかったな。高校時代、桐木さんについてそんな噂が流れてたなんて」
「やっぱり知らなかったんだ」
浅井らしいな、と桐木は苦笑した。
鈍感でゴシップの類に疎いことも、ときには役に立つらしい。
僕のこれまでの人生は、楽しいことばかりではなかった。人を信じた結果、裏切られて傷ついたことは一度や二度ではない。
その度に何とか立ち上がってきたが、次第に他人から距離を置くようになった。
他者と親密になりすぎないようにしよう、と思うようになった。
そうすれば、得られる快楽は少なくなる。けれども、代わりに失うものも少なくなる。傷つくこともなくなる。
そうやって自分の殻にこもろうとして、小説を書くようになった。
一色さんに騙され、利用されていたことを知ったとき、僕はまた少なからず傷つけられた。けれども、挫けずに生きていこうと思う。
この世界には、不条理なことも理不尽なこともたくさん転がっている。現実は厳しく、ときに残酷だ。
だが、自分に手を差し伸べてくれる人だっている。こんな僕を好きになってくれる人だっている。
「一応聞くけど、今回のチョコは義理? それとも」
「……本命に決まってるでしょ」
むっとした表情で桐木が応じる。その頬は朱に染まっている。
「誰からも蔑まれていたあたしを、あのとき、浅井は救ってくれた。米田のことで自暴自棄になっていたあたしを、あんたは嫌な顔一つせずに介抱してくれた。あたし、浅井には本当に感謝してるんだよ」
それから彼女は俯き、緊張した声音で言った。
「高校のときから、ずっと好きだった。こんなあたしで良かったらだけど、その……」
「分かってる」
皆まで言わせるつもりはなかった。僕は前へ一歩踏み出し、桐木をそっと抱き締めた。
「答えは、イエスだ」




