02 訪問
控えめにドアを二度ノックし、手前に引いて開ける。
「お邪魔します」
まず目に飛び込んできたのは、長い廊下。その先に、ソファベッドと本棚が置かれたリビングらしき空間がある。
「おう、いらっしゃい」
米田はソファに腰かけ、のんびりとテレビを見ていたところだった。首だけをこちらに向けて、軽く手を振ってくる。
親友の元へ駆け寄ろうとしたのだが、廊下の右方から漂ってくる良い匂いが気になった。ついついそちらへ視線を向けると、髪をポニーテールにした小柄な女性が、一人でキッチンに立っている。
僕に気がつくと、彼女は野菜を切る手を止め、遠慮がちに微笑んだ。
「……一色遥。俺の彼女だ」
リビングから米田の解説が飛んでくると同タイミングで、遥はぺこりと頭を下げた。礼儀正しく、優しそうな人だなという第一印象を受ける。
進められるがままにソファに腰を下ろし、僕は改めて室内を見回した。一階にはキッチンとリビング、 さらに梯子を上った先にはロフトがあり、ベッドが置かれている。都内に僕が借りている学生マンションと比べると、倍近い面積があるのではないだろうか。
「随分広いんだね」
「まあな」
意味ありげに笑う彼を見ていると、何となく察した。
おそらく、異性を家に呼ぶことを念頭に置き、都合のよい物件を探した結果なのだろう。二人で住めなくはない広さだし、一階のソファベッドとロフトのベッド、寝られる場所も二か所に用意されている。
色男、米田直樹のやりそうなことである。
「浅井、このアニメ知ってるか。面白いぜ」
当の本人は僕の邪推などいざ知らず、テレビ画面に釘付けになっている。彼が見ているのは、週刊コミック誌で連載中の人気漫画を原作としたアニメだった。僕はあまり詳しくないのだが、主人公が武闘家を目指して旅に出る、といった内容だったような気がする。
適当に話を合わせながらそのアニメを見ていると、ふと違和感を覚えた。今の、この状況についてだ。
米田はソファに座り、テレビを楽しんでいる。一方で、彼女の一色さんは料理を頑張っている。
一色さんがつくっているのは、彼女たち二人の昼食だろう。僕は食事を取ってから訪ねてきたけれども、二人は今から遅めの昼ご飯にするつもりらしい。
家庭的な人を彼女にするのは良いことだ。しかし、家事を一色さんに任せきりにし、自分は何もしないというのはいかがなものか。いそいそと動き回る彼女をよそに、米田は手伝う素振りを見せなかった。
ほどなくして、料理が出来上がる。運ばれてきたメニューは、親子丼と野菜炒め、それから味噌汁。微かに湯気を立てている純和風の食事は、どれも美味しそうに見えた。
「失礼、飯がまだだったんでね。いただきます」
一応断りを入れてから、米田が親子丼をかき込む。一拍遅れて、一色さんも味噌汁の注がれたお椀を持ち上げ、そっと口元へ運んだ。
鼻筋の通った、美しい顔立ち。優雅な所作と相まって、彼女は非常に魅力的な女性に見えた。
「……良い人を彼女にしたね」
しみじみと呟くと、案の定彼らは照れ臭そうに笑った。米田が僕を一瞥し、また視線を一色さんへと戻す。
「紹介してなかったな。こいつは俺の高校の同期で、浅井凌っていうんだ。地味だけど、すげえ良い奴なんだぜ」
「一言多いよ」
苦笑しつつ、僕は一応訂正を入れた。
けれども、米田の紹介の仕方も間違ってはいない。これといって特徴のない平凡な顔立ちに、やや角ばったデザインの眼鏡。中肉中背で、特に体格が良いわけでもない。少なくともルックスにおいて、僕にはさほど男性的な魅力がないのかもしれない。
男同士のノリにちょっぴり困ったように笑ってから、一色さんが会釈する。
「初めまして、一色遥と言います。米田さんとは同じ大学で、演劇を専攻しています。よろしくお願いします」
花開かんとする蕾のような儚さと可憐さを、その所作は内包していた。
米田の前でなければ、見とれていたかもしれない。