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15 警告と喧嘩

 高校時代の思い出話に花を咲かせても良かったのだが、バレンタインデーの話題を出すと桐木は恥ずかしそうだった。それに、本題からどんどん離れていくのはまずい。


 観念して、僕はありのままに話した。米田と一色さんと、三人で池袋の百貨店に行ったこと。わけあって一色さんと二人になる時間ができ、彼女から、米田から暴力を振るわれていることを聞き出したことを。



「と、いうわけなんだ」

 話しているうちに、僕は知らず知らず興奮してきていた。一色さんを米田の元から助け出さなければ、との使命感に突き動かされていた。


「桐木さんにひどい仕打ちをしたと知ったときから、あいつのことは正直疑っていたよ。でも、まさかここまで最低な奴だとは思わなかった。何とかして一色さんを助けたい」

「……ふーん。信用してるんだね、彼女の話を」

 だが、桐木の反応は思いのほか、白けた感じだった。


「何だよ。その言い方はないだろう」

 思わず言い返すと、彼女は柳眉を逆立てて続けた。

「あんた、いい加減にしなよ。あたしが注意したにもかかわらず、あの人の言うことを鵜呑みにして。米田は疑うけど、一色さんは清廉潔白だから全面的に信用するってわけ?」



「桐木さんの警告を忘れていたのは、謝るよ」

 ひとまず、僕は譲歩した。頭を下げ、反省の意を示してから自分の主張を述べる。


「でも、一色さんが嘘をついているとは思えないな。彼女はとても優しい人なんだ。米田のことを心から愛していて、だからこそ、暴力を受けても我慢しているんだと思う」

「……一色さんが暴力を振るわれているって、どうして分かるの?」

 けれども、桐木の態度は軟化しなかった。むしろ、ますます機嫌を損ねてしまったようだ。


「それは、前に電話でも説明しただろ? 右手首に真っ赤な痣があったんだ。彼女自身、米田から日常的に暴力を受けていると言っていた」

「あたしが疑問に思ってるのは、むしろそのことなの」


 フォークを皿に置き、桐木は片手を顎に添えて考え込んだ。ひどく真剣な表情だった。

「普通、人が誰かを叩くとき、手首なんかを狙ったりする? 顔や腹を殴るのが一般的なんじゃないかな、って」

 彼女の指摘したことは、完全に盲点だった。



 確かにそうかもしれない、と僕は思った。


 暴力の痕跡が残らないよう、顔を避けるのは分かる。ましてや相手が女性であれば、目に付く部分に傷をつけたくはないはずだ。

 裏を返せば、服で隠れる部分ならどこを狙っても構わないことになる。もちろん、右手首に限らずだ。



「だけど、彼女が手首に怪我をしていたのは事実なんだよ。どういう経緯でそこを痛めることになったのかは、分からないけど」

 僕の言葉は、徐々に説得力を失っていった。一色さんを信じて良いものかどうか、このとき初めて迷いが生じたのだ。


「……あたし、授業で看護実習をしたことがあってさ。色んな症状の患者さんを想定して取り組むんだけど、手首を打撲したケースなんて一度もやらなかった。不自然すぎると思う」

 対照的に、桐木の主張が少しずつ現実味を帯びていく。しかし、僕はそれを受け入れられなかった。受け入れたくなかった。


「そんなの分からないじゃないか。あるいは、米田が一色さんの手首を強く掴んで、それで痣ができたのかもしれない」

「女性のあたしから見ても、彼女はかなり華奢な方だよ。骨格も太くはないと思う。仮にそんなことをしたら、痣がつくより前に手首が折れる可能性が高い」


 頑なに疑問を呈し続ける桐木を前に、僕はだんだんと苛立ちをつのらせていた。

 桐木は、一色さんと直接会って話したことが一度しかない。だから、分からないのだろうと思う。彼女が、どれほど一途に米田のことを思っているのかを。彼女がどれほど優しく、慈愛に満ちた人物であるかを。



「……じゃあ桐木さんは、このまま放っておけって言うの? 一色さんが米田から本当に暴力を受けているかもしれないのに、黙って見てろって言うの?」


 ガタリ、と音を立てて、僕は椅子から立ち上がっていた。

 周りの客から迷惑そうな目で見られたが、どうにも怒りが収まらない。テーブルに手を突き、僕は強い口調で言った。


「あの人は助けを必要としている。僕が支えてやらないといけないんだ」

 僕の剣幕に気圧されたのか、桐木は先ほどまでの余裕と冷静さを失っていた。怯えたようにこちらを見上げている。


「ごめん。今日はもう帰るよ」

 テーブルに千円札を置いて、僕は席から離れた。そして、逃げるようにイタリアンの店を出た。カルボナーラはまだ半分くらい残っていたが、食欲は失せていた。


「……待って、浅井。待ってよ」

 背後から、縋るような桐木の声が聞こえる。けれども僕は訴えに耳を貸さず、足早に歩き続けた。


「お願いだから、もう一色さんとは会わないで。あたし、あんたのためを思って言ってるんだよ」

 声は徐々に遠ざかっていく。最後に聞こえたこの台詞にだけは、さすがに罪悪感を覚えた。嗚咽交じりだったようにも聞き取れた。



 だが、今さら引き返して謝るなんて真似ができるだろうか。無理だろうな、と僕は思った。

 ひどい別れ方をしてしまった、と自分でも思う。今度会うときに、どんな顔をして会えば良いというのだろう。


 もしかすると、僕が今後会わなくなるのは、一色さんではなく桐木かもしれない。

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