初登校
週明け、一月七日が三学期のスタートであった。
始業式のこの日は知香は学校に行かず、翌日から登校する事になった。
他の生徒の通学に重ならない様、八時四十分頃に自宅を出て学校には五十分頃に到着。
校門には九時まで警備員が居てその後施錠するが、話は通すとの事である。
初日だけ仕事前に母が車で送ってくれ、校門には山本先生が出迎えてくれた。
母とは別れ、香奈子と知香は一緒に校内に入りそのまま職員室に向かった。
職員室の隣に応接室がありそこで待つ様に言われ十分程一人で待たされた。
『寒い……』
暖房は入れたばかりで一人しか居ない空間は寒かった。
やがて部屋の暖房が効いてきた頃先生たちが部屋に入ってきた。
『おはようございます。』
山本先生と担任の佐藤先生、学年主任の井沼先生の三人だった。
佐藤先生は三十歳の男性教諭で井沼先生は五十前後位の女性である。
『おお、白杉。先生、びっくりしたぞ。』
この言い方がまず知香は好きでは無かった。
ここはびっくりでは無く心配だろうと思う。
この先生がもう少し思慮深ければ不登校は回避していたかもと知香は感じる。
『昨日、先生たちで白杉さんのこれからについて話をしました。』
井沼先生は一見冷たい感じでちょっと怖いが、喋り方は柔らかかった。
『暫くは八時五十分から九時迄の間に直接保健室に来て下さい。』
ホームルームの時間帯なので基本他の生徒とはかち合わない。
『保健室では自習になりますが、出来るだけ一組の時間割に合わせて勉強して貰います。なるべくプリントや教材を用意して山本先生に渡しますので頑張って下さいね。』
『はい。』
勉強は嫌いでは無いだが不登校中はやっていなかったので課題があるのは助かる。
『クラスに戻っても良いと判断出来た時点で戻って戴く形ですけど、ダメなら卒業まで保健室に居て良いからね。焦る事は無いから。』
山本先生が話を繋いだ。
『クラスで白杉さんが女の子になりたいという事を知っているのは何人か居るの?』
『はい、松嶋さんと大森さんだけです。二人とも誰にも言わないって言ってくれたから他には居ないと思います。』
『白杉、なんか変わったなぁ。……いや、格好とかじゃなくて喋り方とか。』
佐藤だけで無く山本も井沼も驚いていた。
ほとんど無口で、喋る時も自信が無く良く聞き取れない位小声だった知之の姿とは全く別人に思える。
『昼休みにでも松嶋さんと大森さんに保健室に来て貰いましょう。クラスに馴染める様に少しづつ環境を作る事も必要ですから。白杉さん、大丈夫ですか?』
井沼が尋ねる。
『はい、大丈夫です。』
知香ははっきりと答えた。
知香は山本先生と共に保健室に向かった。
『白杉さん……知香さんだっけ。名前に慣れる様にここでは知香さんって呼びましょう。宜しくね、知香さん。』
『はい、先生。宜しくお願いします。』
本当に以前保健室に来た時と全然話し方が違ってはっきりと返事をする知香に山本香奈子は興味を持った。
『保健室に入る時は必ず手を洗って消毒して下さい。特にこれからインフルエンザの生徒さんもたくさん来ますからマスクは必ずしてね。』
保健室はそういう場所である。
『この棚の隣の机で勉強してね。普段はカーテン開けといて良いけど他の子が来たらカーテンで隠せるから。』
『分かりました。』
『九時から始めて五十分経ったら休み時間十分ね。お昼は十一時五十分だから少し早いけど遅くなると給食室にも生徒が来ちゃうから。』
午前中三時間、午後は一時間若しくは二時間と普通の授業より短いが、体育や音楽などは出来ないので問題は無い。
『でも知香さん真面目だから誰も居ない時はのんびりやりましょ。学校に来るだけでも大変な事なんだから。』
二時間目から勉強を始めると早速具合が悪くなった生徒が保健室にやって来る。
カーテンを閉めるとかなり狭い空間となり話も出来ないから孤独だ。
香奈子は具合の悪い生徒の検温をしてベッドに寝かせるとカーテンを半分ほど開けてくれた。
『いつもこんな感じよ。インフルエンザが流行るとベッドが足りなくなるから。』
ベッドは二つしかないが、生徒は次から次へとやって来る。
ベッドで寝ていた生徒は昼前に家族が迎えに来て自宅に帰った。
お昼休みになり給食を食べ終わり、のんびりしていると松嶋はずみと大森のぞみが保健室に顔を出した。
『白杉さ〜ん。』
『スゴいね、ちゃんと学校に来たんだ。』
二人は知香の姿を見て興奮した。
『あなたたち、今は居ないけどここには病人が寝ている事があるんだからあまり騒がないでね。騒いだ人は出入り禁止にするから。』
香奈子が釘を刺した。
『誰にも言ってないの?』
『大丈夫よ。保健室に行くって言うと付いて来る人がいるから黙って来た。』
保健係の原田美久の事だ。
知香は美久にならバラしても構わないと思った。
『あの子、用が無い時でもここに来る事があるから隠しきれないかもね。』
そう言った矢先、ノックの音と同時に保健室の扉が開き、くしゃみをしながら美久が入ってきた。
『先生、風邪引いたかも……え?なんであなたたちここに居るの?』
普通、六年一組の人間が具合が悪くなって保健室に行く時は美久が必ず付き添っていく。
だから、勝手に保健室に行くと言う事はあり得ない筈である。
ただ、はずみとのぞみが囲んだ机の席に座っていた少女を見て美久は誰か分からなかった。
『誰だっけ……?見た事ある様な無い様な……?』
美久が[知之]に最後に会ってから一ヶ月半が経ち、だいぶ髪が伸びていた知香は学校に行く前に美容室でセットしていた。
女の子らしくボブカットの知香を見た美久は知之だったとは思えない。
『原田さん、白杉です。』
『し、白杉くん?まさか……』
良く見ると白杉知之だと分かった。
前回保健室に連れて来た時に何かそんな話をしていた様な気がする。
『あなたの噂をしていた所だったけどすぐだったわね。』
香奈子はやれやれといった感じだった。
あのくしゃみは自分の噂話だったのか?と美久は思う。
『改めまして、白杉知香です。暫く保健室で勉強する事になりました。宜しくお願いします。』
これがあの白杉知之かと美久は驚いた。
『知香ってさ、どう書くの?』
『知之の知だから知るって言う字に香りだよ。』
机の下からノートを出して書いてみる。
『ちかだね。これからチカって呼んで良いかな?』
美久が提案した。
『そだね、ともかよりチカの方が呼びやすい。』
はずみとのぞみが賛同した。
『だから私たちもはずみん、のぞみんで良いから。』
今まで雪菜以外友だちが居なかったため、クラスの人間に対して苗字で呼んでいた。
下の名前や愛称で呼び合うのは少し恥ずかしい。
『でもさ、志田さんチカの事ともちーって言ってたよね。』
『保育園の頃から一緒だったからね。』
知香が雪菜の事をユッキーと言っていた事は知香もはずみも言わなかった。
『さあ、そろそろお昼休み終わるわよ。教室に戻りなさい。』
香奈子に促されて美久たちは保健室を後にした。
『チカちゃんかぁ。これなら教室に戻るの早そうね。』
知香自身はあまり実感が無かったが、どんどん友だちが増えていく状況に香奈子は感心した。