小さな膨らみ
その晩、大人たちはだいぶ遅くまで飲んでいた様だった。
九時を過ぎて知香は泊まっている部屋に戻り、自分と由美子の布団を敷いた。
持ってきたパジャマに着替えると、祖母の佐知子が呼んだ。
『伯父さんたち、今日帰れそうに無いから今日いっちゃんと一緒に寝られる?』
男子同士の着替えに嫌悪感していた知香だったが以前は[知之]として一郎とよく一緒に寝ていた。
ただ、従兄弟とはいえ今のどっちつかずの立場で他人が隣で寝るのは微妙な気分だった。
『今日はいっちゃんもみんなに遊ばれて大変だったでしょ。お話でもして慰めてちょうだい。』
一郎の女装作戦に加担した負い目もあるし、祖母にそう言われたら断る訳にもいかない。
『うん、良いよ。』
『じゃ、おかあさんは別の部屋に寝てもらうから。いっちゃん、来なさい。』
既に浴衣を着ている一郎が入って来た。
二人、枕を並べてお喋りをする。
『久しぶりだね、こうして一緒に寝るの。』
知香はいつ以来か思い出してみる。
『でも、お前昔はあまり喋らないで直ぐ寝てたじゃん。なんかお喋りになったよな。』
『うん、みんなに言われる。』
昔の[知之]を知る人はみな異口同音に言ってくるので慣れた。
『どうして女になりたいって思ったんだ?』
『どうしてかな?男の子だと自分の居場所が無かったのかもしれない。』
しみじみ語る知香。
『居場所ねぇ……。ていうかさ、お前たまに難しい事言うよな。』
『学校休んでいた時いろいろ考えたし調べたからね。』
単に引き篭もっていただけでは無く、知香になる為の準備期間だったと今なら思う。
翌日はみんな遅い朝を迎えた。
早めに寝た知香と一郎は祖母が作る朝食の準備を手伝った。
エプロンでは無く割ぽう着を初めて着たが、少し大きかった。
最近は自宅で知香もごはんを炊いたり簡単な料理は出来る様になっていたのでみそ汁を作らせてもらう。
『ホント、良いお嫁さんになりそうね。ともちゃんは好きな男の子居るの?』
好きな女の子は居るとは言えずに苦笑いをする知香だったが将来、男の人を好きになる事があるのだろうか?
朝食を食べ終わると、俊之が読んでいた新聞紙を閉じて口を開けた。
『これから温泉に行くぞ。』
(温泉?私入れないよ!)
食器を片付けながら知香は思う。
泊まりがけなら部屋のお風呂くらいは入れるだろうが大きさなんか家のお風呂と同じくらいだ。
温泉が好きな[知之]であったが、知香になってからは諦めた。
『貸し切り風呂を予約してあるから知香はそこに入れば良い。』
貸し切り風呂でも大浴場と比べるとかなり小さいけれど、少しは温泉に行ったという気分には浸れるだろう。
『ありがとう、おじいちゃん。』
一行が向かったのは隣の村にある温泉地であった。
温泉地と言っても広いエリアに数件の旅館が点在するだけであるが硫黄臭が強くたくさん効能がある温泉だ。
向かったのは旅館と民宿の違いがあるものの俊之とその旅館の主は旅館組合での顔見知りという事もあり融通を利かせて貰っている。
知香は由美子の他祖母の佐知子、伯母の瑞希と一緒に貸し切りの家族風呂に入る事になった。
だが、親戚ばかりとは言っても男の身体である知香は裸になる事は出来ない。
『大丈夫よ。みんな男の子の裸ずっと見てきた経験者だから。』
しぶしぶ服を脱いで由美子にバスタオルを巻いて貰った。
女の子らしい髪や身体の洗い方を3人に教えて貰い、洗った髪を巻いて湯船に浸かる。
狭い内湯であったが諦めていた温泉だけに嬉しさもひとしおだ。
『あらっ?』
由美子が不思議そうに声をあげる。
『ともちゃん、胸が少し出てきたんじゃ無いの?』
『えっ?』
佐知子と瑞希が知香の胸に目を向ける。
よく見るとほんの少し盛り上がっている様に見えた。
『そう言えば最近ちょっと痛い事があるけど。』
『張ってきているみたいね。』
まだ知香はアンチアンドロゲンで男性としての第二次性徴を抑えているだけである。
本来、黄体ホルモン等との併用で豊胸していくのだが単独では胸が膨らむ事効果は薄い。
しかしアンチアンドロゲンは前立腺ガンや薄毛といった男性特有の病気の治療中に胸が膨らんでしまったという例はあるという。
知香はほんの少しだが初めて女性の身体に近づけた事を喜んだ。