長い幸せ
翌日、知香は楓を連れて長野に向かった。
『トンネルばっかり……。』
後部座席のチャイルドシートのため声はよく聞こえないが、川が見えたり新幹線が走っていたりしていると、その都度喋っている。
『じいちゃんたち、喜ぶかなあ?』
楓の事は一郎・はずみ夫婦には伝えてあったが、俊之たちには内緒にしていた。
『お昼、おそばで良い?』
『うん、楓、おそば好き。』
そば屋の屋号は近くを流れる川の名前から松川庵と名付けられて、繁盛店に成長していた。
『いらっしゃいませ!あ、ともちゃん!』
一郎の母・瑞希が出迎える。
『ご無沙汰しています。はずみは?』
一郎と結婚してから知香と親戚となったはずみとはお互い名前で呼ぶ様になった。
『今日はテレビの仕事よ。週一だけど、結構出てんのよ。』
はずみは結婚して男の子を出産したが、テレビのリポーターは辞めて暫くしてオファーがあり、今も続いている。
『楓ちゃん、こんにちは。』
『こんにちは。』
『あら、ちゃんと挨拶出来て偉いわね~。』
『昨日実家に寄った時は父にも母にも懐かなかったんです。』
『あら、唐変木の博之はともかく、由美子さんにも?珍しいわね。』
確かに唐変木だが、凄い言われようだ。
『この子、おそばが好きみたいです。だからかも?』
『まあそれは嬉しい。お座敷空けてあるから座って。』
これから忙しくなるのにわざわざ6人が座れる座敷のテーブルを予約席にしてくれていた。
『とも、ごめんな。せっかく来たのにはずみが仕事で。』
一郎が調理場から抜けて知香のところにやって来た。
『うん、仕方ないよ。楓、一郎おじちゃんだよ。』
『こんにちは。』
『こんにちは、楓ちゃん。おじちゃんのうちにも楓ちゃんと同じ歳の志郎って男の子がいるんだけど、友だちになってくれるかな?』
施設でもひとりでいた楓は戸惑いを隠せない。
『良いんだよ、後で連れていくけど無理しなくて大丈夫。』
楓にはお子さまセットを頼み、少量のそばとプリン、ジュースが付いていたが全部は食べきれなかった。
『よく食べたね。お利口さん。』
食べ残した事を叱るのではなく、食べた事を誉めた。
充分な愛情に恵まれなかっただろうこの少女には誉める事が必要だと思う。
『ごちそうさまでした。夜、お待ちしています。』
『ごちそうちゃまでした。』
知香と楓は俊之と佐知子が待つ家に向かった。
『こんにちは~。』
『待ってたわ、ともちゃん。……ってこの子は?』
佐知子が楓を見て驚いた。
『楓っていうの。私の子ども。』
『…高木楓……です。……こんにちは。』
『お祖父さん、ともちゃんが自分の子ども連れてきた!』
知香は頭を抱えた。
『祖母ちゃんには言っとくべきだったかな?』
怒りの表情で俊之が玄関にやって来た。
『とも、人の道に外れる様な事だけはしてはいけないってあれだけ言っただろ?なんだその子どもは?!』
楓が怖がって知香の後ろに隠れた。
『なんなの、勝手に勘違いして!私悪い事してないから!楓が怖がっているじゃない!』
こういう時の知香は凄い。
『……ご、ごめん。……中で話を聞かせてくれるか?』
(ったく、孫を誘拐犯みたいに疑って。)
昔観た八日目の蝉という映画を思い出した。
『そうなのか、ともはそういう優しい子だと思ったよ。』
(さんざん人を疑っておいて。)
調子良い俊之に呆れ返る。
『知香、遅くなってごめんね!』
はずみが息子の志郎を連れて来た。
『志郎くん、大きくなったね。知香おばちゃんだよ、覚えてる?』
志郎は黙って首を縦に振った。
志郎も大人しい子どもの様だ。
『いくら子どもが作れないからって新婚早々に養子なんて、健介くん文句言わなかった?』
『付き合ってた時間が長いからね。もともと無口な人だし今さら二人で暮らすっていっても会話が続かないから。』
結婚までの道のりが長いと、それはそれで大変なのだ。
大人しい志郎だったが、意外と楓と仲良くゲームをしている。
『良い雰囲気だね。将来は一緒にしちゃうか?』
いくら血がつながっていないにせよ早すぎる。
もとはと言えばこの夫婦も中学時代から将来を決められて今があるのだから、そういう血筋なのかもしれない。
『という事で、店を閉める前にそば打って来たから今日はみんなで食べよう。』
『おじさん……。』
そばの道を極めるために勉強をした高志の長い講釈が始まる。
『そもそも、そばはなんで節目に食べるか知ってるかい?長く延びるからと長寿にあやかるっていうのもあるが、うどんに比べて切れやすい……。おっと、江戸の人が短気だからって訳じゃないよ。厄災の縁を断ち切るっていう意味があるんだ。楓ちゃんも悪い縁を断ち切って知香ちゃんと長~く……。』
『お義父さん、長すぎ!』
こうして高志の長い講釈が始まるとはずみが途中で切るのが坂井家の定番らしい。
それを見ていた楓が意味も分からずきゃっきゃと笑いだした。
『楓……。楓が笑ってる!』
知香が見た初めての楓の笑顔を見て知香が泣き崩れた。
『楓……、ありがとう。これからもいっぱい笑ってね。』
これから楓とはどれだけの時間を過ごせるだろう?
知香は、厄災の縁を断ち切って長い幸せの一歩を踏み出した楓のために生きていこうと決意した。




