楓という女の子
春が近付き、保育園の卒園式や退職、結婚式の準備に引っ越しと知香は大忙しである。
結婚後の新居は社宅になるが、知香は結婚と同時に里親となりひとりの子どもを養子にしたいと要望を出した。
知香と健介は社宅の所在地の児童相談所で一時保護をされている子どもたちとふれ合う研修を受けた。
児童虐待や育児放棄など様々な事情で一時保護の子どもは年々増えているという。
子どもが作れない知香は、実の親に親権が残る里親委託ではなく、完全に自分の子どもにする養子縁組を希望しているが、育てられなくなった親がいずれは我が元に帰ってほしいと、一時的に育てるだけの里親委託の方が多い。
『虐待された子どもは再び一緒になってもトラウマがあって懐かないし、再び虐待をする親が多いのです。出来れば高木さんの様な若い夫婦が育ててくれた方が子どもにとって幸せになる事が多いのですが、実の親は親権を残したがるのが実情です。』
親が親権を残すと言えばいつかは実の親元に帰る事になる。
一方、里親側の希望は0歳児の赤ちゃんのうちに実の子の様に育てたいというのが一番で、先天的な病気がない女の子というのが多い。
『私は元男性なので早い段階で子どもが実の親でない事が分かるはずです。赤ちゃんから育てたい気持ちも当然ありますが、最初から実の子ではないと自分で分かっている子どもと一緒に新たに家庭を作ってみたいと思います。』
出来れば結婚と同時に子どもを迎え入れたいのだがそれは無理で、児相から紹介を受けた子どもの元に最初は通い、慣れてきたら週末だけ夫婦の元に泊まり、次第にその家庭で生活を共にする事で初めて養子縁組の道が開かれる。
知香たちが紹介をされた子どもは4歳の女の子だった。
母親と内縁の夫から虐待を受け、母親は逮捕され服役中との事だが、なかなか心を開かず、怯えてばかりの子どもである。
『どうでしょう?少し前に不妊の夫婦に紹介しましたが、懐けずに途中で断念した子なので難しいですが、逆に若い新婚さんにはマッチするかもしれないと思いまして。』
児相の職員からその子どもの経歴や写真を見せられたが、どことなく知香と健介に似ている気がする。
『是非、その子に会わせて下さい。』
知香は真剣な目で職員に訴えた。
『まだ里子にするかは別にして、そんな簡単に会うとか言うもんじゃないだろ?』
『健ちゃん、この子の目を見てよ。この子の笑顔、是非見たいの!』
その子どもの目は死んだ様に沈んでいたが、知香は生き生きとした明るい笑顔を見てみたいと思う。
二人は養護施設に行き、その楓という女の子に会った。
『楓ちゃん、こんにちは。』
知香は膝を付いて、楓の目線に合わせる。
楓は俯いたまま、知香たちの方を見ようとはせずにひたすらクレヨンで絵を描いている。
『どんな絵を描いているのかな?おばちゃんに見せてくれる?』
自分の事をどの様に表現するかが難しい。
楓は胸で描いていた絵を隠す。
『見せたくないの?じゃあ見せたくなったら見せてね。』
焦ってはいけないと心に念じ、機会を待つ事にした。
『楓ちゃん、おみやげがあるの。美味しいケーキだよ。一緒に食べよ。』
施設には他の子どもたちもいて、ケーキという言葉に反応する。
『みんなの分もあるよ。一緒に食べよう。』
子どもたちがどの様な思いでここに来たのかは分からない。
出来ればみんな平等にしたいが、今は対象の楓になんとか心を開いてもらいたいのだ。
結局楓はケーキには手を出さず、部屋の隅でずっと絵を描いたままで面会時間が終了した。
『どうですか、難しい子でしょう。』
職員もたぶん知香と健介には無理だという感じである。
『大丈夫です。このまま楓ちゃんとセッティング、お願いします。』
『知香。あまり無理しなくても……。』
知香の性格を熟知している健介はこうなるだろうと覚悟はしていたが、スイッチが入った知香を止める術はない。
『健ちゃん、決めた!楓ちゃんを結婚式に出すの。私たちの子どもとして、みんなに紹介するんだよ。』
『それは無理じゃないか?式は6月だぞ。』
もう日取りは決めて、招待状も出した後だ。
『ごめん!2ヶ月ずらして!楓ちゃんがいなければ意味がないの!』
知香の必死の思いに健介は折れた。
『分かったよ。気の済む様に好きにしたら良い。それが知香らしいところだからな。』
知香は翌日山梨から自宅のある埼玉を通り越して、群馬のK生に向かった。
『ここがこうちゃんの実家か。』
古い三角屋根が特徴の織物工場の跡を使って萌絵と奈々の他、何組かの若いデザイナーたちが競ってブランドを立ち上げている。
『萌絵、奈々!』
二人は県内の同性パートナーシップ制度のある町で事実婚をして、毎日その町から通っている。
『信玄餅、買ってきたよ。』
『今度はなに?』
奈々は相変わらず勘が鋭く、知香が好物の信玄餅を買ってきた時には絶対裏があると思っている。
『実は結婚式、延期する事にしたの。』
『高木となんかあったの?』
奈々はケンカでもして結婚式を延ばしたと思う。
『そうじゃなくて……後、私とお揃いのウェディングドレス、4歳の子ども用のをもう1着作ってほしいの。』
結婚式で着るウェディングドレスは二人がデザインして作っているのだが、楓にも一緒のドレスを作って着てもらおうというのだ。
『知香が子ども作れる訳ないし4歳って事は隠し子?知香そんな子を引き取る気?』
奈々はヒートアップしてろくに話を聞いてくれない。
『違うよ。里親になるんだよ。その子が4歳なの。』
『里親って……。そうか、知香子ども好きだからね。』
萌絵は静かに答えた。
『私と付き合っていた頃も子どもほしいって言った事があったね。良かった。知香に子どもが出来て……。』
『萌絵、ありがと。』
『一生懸命作るから。』
知香は楓が笑顔でドレスを着てほしいと願った。




