アイの家族事情
月日が流れ、知香たちは高校三年生になった。
間もなく18歳の誕生日を迎える知香は晴れて成人となり、性別適合手術を受け戸籍変更も可能となる。
知香は以前にタイ・バンコクの病院に行ってその高度な技術と患者の多さに驚き、夏休みにバンコクで手術を受けて帰国後直ちに戸籍変更の申し立てをする事は決めている。
もうひとつ、知香のクラスには宇野アイという日本人の母とタイ人の父を持つハーフの親友がいて、手術の時は里帰りの傍ら付き添いと通訳をしてくれるという心強さがある。
『ともち、明日か明後日放課後空いてる?』
アイは中学一年の時に日本に来て、それまではほとんどタイで暮らしていたというが日本語が非常に上手い。
『明日は大丈夫だけど?』
『メー、会いたい言ってた。うち来て。』
メーとはタイの言葉で母親という意味だが、アイの母とは文化祭などの学校行事で挨拶を交わした程度だ。
知香は唯一の海外旅行がタイという事もあり、好きな国だが日本人でありながらタイの男性と結婚したアイの母親とは一度話を聞いてみたいと思っていた。
翌日の放課後、知香は紀子たちとは別にアイの住むA尾で途中下車をした。
『アイの家は駅から近いの?』
『少し歩くよ。15分。』
15分なら許容範囲だと思うが、A尾はF谷より都会なのでアイの家まで店が多く、飽きる事はない。
『ここです。』
アイの住む家は普通の一軒家で、祖父母とアイの両親、それに中学生の弟が住んでいる。
4DKなので6人が暮らすには少し狭い気がする。
『いらっしゃい、知香ちゃん。』
アイの母親は祥子という名前でアイに似た細身の美人である。
『お邪魔致します。』
通された居間のソファーにアイの祖父母が座っていた。
『はじめまして。私、アイさんと同じクラスの白杉知香と申します。』
『まあ、固くならずに楽にして下さい。』
アイの祖父に促され、祥子が差し出した座布団に座る。
『あなたがタイで手術を受ける男の子なの?』
祖母は驚いた顔で知香を見るが、いつもの事だ。
『はい。この度、アイさんも付き添ってくれるという事で、本当に助かります。』
『知香ちゃん、助かるのは私たちの方なの。私たち家族は、アイや弟のサクチャイの勉強のために日本に来たけど、バンコクには帰ってないの。バンコクの家は大家族で裕福じゃないから毎月仕送りをしているんだけど帰るとなるとお金も大変だから。』
知香の手術の付き添いを口実に孫娘ひとりでも帰省をさせたいという事なのだ。
『バンコクの家には知香みたいなニューハーフの従兄妹いるよ。』
『それって生活のためなの?』
あまり裕福ではないタイの大家族ではニューハーフの方が稼げるので本人の意思に関わらずニューハーフになる男子もいるという話を聞いた事がある。
『ううん、クラ、本人の意思ね。ともちと同じ。』
その従兄妹はクラという名前らしく、さしずめ一郎と知香の関係の様なものかと思う。
『クラ、パタヤのキャバレーで働いてる。』
タイでキャバレーというとニューハーフショーの事で、お酒を飲む場所ではなく、キャバレーで働いてるという事は、ショーのダンサーなのである。
『へぇー、私も前にニューハーフショー見たけどクラさんの話聞いてみたいな。』
バンコクとパタヤは160キロほど離れていて、クラはそうしょっちゅう帰ってくる訳ではない。
『手術の後は身動き取れそうもないから手術の前の日に会えれば良いな。』
知香たちは手術の2日前にはバンコクに着いて、最初の日にアイの実家に挨拶に行く事になっているが、そう上手くクラが休めるとは思えない。
『ただいま。』
男の子の声なのでアイの弟だと直ぐ分かった。
『こんにちは。……えと、さくちゃん?』
『さくちゃん違う、サクチャイです。』
アイの名前は日本人女性でも多い名前という事で付けたと聞いているが、サクチャイは関係ないみたいだ。
『本当の名前はもっと長いよ。サクチャイはチューレンだから。勝利っていう意味。』
以前にもチューレン、所謂ニックネームで普段は呼び合うものだとアイから聞いている。
『日本の高校に行ったら勝利という名前にするんだ。』
なるほど、その名前なら日本人でも通用すると知香は思う。
『アイのお母さんはなんでタイ人のお父さんと結婚したんですか?』
知香は祥子がなぜ言葉も文化も違うタイの男性と結婚したのかが気になった。
『私とポヮの馴れ初め?私、バックパッカーで大学を出て就職をしないで世界一周を目指してたの。日本を出て台湾、中国、ベトナム、カンボジアと回ってタイに着いたら所持金が尽きちゃって。バンコクの郊外でお店をやっていたポヮの家に頼み込んで世話になっているうちに結婚しちゃったの。』
『メー、いいかげんでしょ?』
アイは母の祥子をいいかげんと言うが、知香はその行動力に感心した。
『私たちもびっくりしてね。帰ってきたと思ったらまたビザ取ってタイの人と結婚するなんて突然言い出すから。』
『ワシなんか海外に行くなんて話も聞いていなかった。』
祥子の両親も呆れ返っている。
それから直ぐにアイが生まれたという話なので[出来ちゃった結婚]だった様だ。
『そういうのも悪くないなぁ。』
実際世界を回るといっても治安の悪い国が多くなにが起こるか分からないので結果としては良かったのかもしれない。
『アイさんが世界一周をしたいとか言ったらどうされるんですか?』
『そうね……私と違ってバイリンガルだから言われたら背中を押すかもね。』
祥子は言葉も分からないのに世界中を歩こうとしていた様だ。
『私は無理……。世界中を見て回りたい気持ちはあるけれど、通訳士になれば出来るかもしれないし。』
将来通訳士になりたいと言うアイは母より現実的である。
『知香の付き添いは勉強になると思う。宜しくね。』
心強い親友だと知香は思った。




