戒め
次の土曜日も知香はテレビ出演を回避したがはずみと一郎と一緒にシナノテレビには出向いて放送前に萩原ディレクターに会った。
『うつ病？……そんな感じには見えないけれど。』
萩原は普段と変わらない知香を見て不思議そうに思う。
『薬と療養のお陰でだいぶ良くなったみたいです。勝手ですが、復帰は先生の許可が必要です。』
週が明けたら一度埼玉に戻り病院で経過報告をする事になっている。
『そうか……。大変だったね。』
『萩原さん、私、降ろされたりしませんか？』
テレビに出られなくなる事に未練はないが、手術代を稼ぐために改めてバイトを探すのは辛い。
『なにを言っているんだ。知香くんにこんなに励ましのメールや手紙が来ているのに。』
早苗がメールと手紙の束を持って来た。
『私も待っているわ。まあ、一郎くんとはずみちゃんのやり取りも見ていて面白いけど。』
知香もでこぼこカップルの司会は見ていて面白いと思うがあまり評判が良いと知香の居場所がなくなる。
『来週は全員で上高地に行って中継をする予定なんだ。知香くんには是非復帰して一緒に行ってほしい。』
『みんなで上高地に行くんですか？』
もともと、年に何回かスタジオを飛び出して中継をする計画はあったが、第一回がちょうど知香の復帰と重なれば局側としても好都合だ。
『スタジオより自然がたくさんある場所の方が精神的にも良いんじゃないか？それにメイン司会は雅世さんにもやってもらうから負担が少ないと思う。』
普段は松本市在住の中川雅世が松本や中信地区をリポートしているので当日は知香とはずみに加え、３人でメイン司会をやってもらうという事だ。
『後は先生の許可次第という事ですね。』
『そうだね、期待しているよ。』
ドクターストップを無視する訳にはいかないのでまずは診断待ちである。
知香は番組が始まる少し前にスタジオを出て、俊之と共に控え室でモニターを見ながら一郎とはずみを待った。
期末試験の時を含めて一郎とはずみのコンビは３度目なのでだいぶ板に付いてきた感じだった。
翌日曜日に自宅に戻り、月曜日はジェンダークリニックで診察の日である。
朝、パートに出た由美子を見送った後、このみが迎えに来るのを待った。
インターホンが鳴り、玄関に出ていく。
『お待たせ。』
『知香さん、元気そうで良かった。』
その前の診察の時はすっぽかしてしまった知香だったので、このみも心配をしていたのだ。
『ごめんね、だいぶ良くなったと思う。』
本当ははっきり良くなったと言いたかったが、先生の診断が気になり［思う］としか言えなかった。
『あれ？この車は……。』
運転するのは上西だがこのみだけの時は黒塗りのセダン車の筈であり、目の前には麗が乗る時のウェルキャブが停まっている。
スライドドアを開けると、案の定車イスに乗った麗が待ち構えていた。
『麗さん……。おはようございます……。』
『おはようございますじゃありませんわ。私もこのみさんもずっと心配していたのです。』
『ごめんなさい……。』
『元気ではない知香さんは知香さんではありませんわ。』
『お姉さま、そのくらいにして下さい。こうしていつもの知香さんが戻ってきたのですから。』
このみが麗を嗜める。
『今日はワタクシも付き添いますわ。』
『麗さん、こうちゃん、上西さん、ありがとうございます。』
クリニックでさっそく診察を受け、院長の山田からはテレビ出演の許可と、引き続き投薬による治療と今回もホルモン注射の見送りが伝えられた。
『母がお昼ごはんを用意して待っておりますので知香さんも一緒に如何でしょうか？』
このみも診察が終わり、帰り際に聞かれた。
『このみさん。如何でしょうかではございません。知香さんはワタクシたちを心配させた罰として一緒にお食事する義務がありますわ。』
知香に有無を言わせず今井家で昼食を食べる事になった。
『知香さん、お待ちしていました。』
『お世話になります。』
食事の支度をしていたこのみの母の康子と挨拶を交わす。
『知香さんにはたくさん食べてもらってもっともっとお元気になってもらいますわ。』
『麗さん、それじゃ太っちゃいます。』
相変わらず麗のペースである。
『これはどの様に作られたのですか？』
知香は康子に珍しい料理の作り方を聞くが、康子は別の事を考えている様でうわのそらだった。
『お母さま、知香さんが聞いてますよ。』
『あ、ごめんなさい。考え事をしていたので。』
康子は知香をじっと見ていた。
『ホルモンの副作用の事でしょうか？』
康子は元気な知香でさえ病気になるくらいだからこのみがホルモン治療を始めたらどうなるのか心配している様なのだ。
『私が言うのもおかしいですけれど……。』
ずっと知香の後を追ってきたこのみは来月15歳の誕生日を迎え、いよいよホルモン治療を始める事になる。
なので康子には知香にこのみの１年後を重ねてしまうのだった。
『男性として成長する時期に無理やり薬で女性の身体にしてしまうのですから少なからず副作用はあるはずです。正直、私は辛くても無理をして両親にも友だちにも黙っていましたが、それが祟って今回の様になりました。こうちゃんには辛かったらお母さんでも麗さんでも良いから必ず誰かに言ってほしいと思います。』
これは自分に対しても戒めという気持ちで知香は語った。
