別れの次の日
萌絵と別れた次の日、知香はいつも通りに登校した。
『チカ、おはよう。』
『おはよう、美久。』
美久は昨日の顛末を雪菜からメールで伝えられていたので心配をして声を掛けたが、明るく挨拶を交わす知香が逆に気になる。
『チカ、大丈夫?』
『なにが?普通だよ。』
美久は知香が強がっているのが分かるだけに痛々しく感じた。
『おはよう。』
雪菜が登校してきた。
『きな…チカ明るすぎて、如何にも無理してるって感じなんだけど。』
知香に聞こえない様に美久は雪菜に耳打ちした。
『大丈夫だよ。たぶん一晩泣いて吹っ切れたと思う。』
授業が始まっても今日はとにかく明るい知香だったが異常過ぎるくらい授業に集中している。
『ともち、根を詰めすぎたらパンクしちゃうよ。』
休み時間に雪菜から言われる。
『これくらい平気。塾にも行ってないんだから、勉強頑張らなきゃ。』
知香は鬼気迫る勢いで一日を乗り越えた。
『知香さん。』
紀子が声を掛けてきた。
『このところまたちょっとおかしいんだけど、お願い出来る?』
紀子は1年前の事故以来幼児回帰願望があり、定期的に知香に甘える事で解消している。
『分かった。後で行くからね、のりちゃん。』
普段知香は紀子を[紀子さん]と呼んでいるが、幼児化した紀子にはのりちゃんと呼んでいる。
知香は自宅に帰らずそのまま直接紀子の家に行った。
『ごめんなさいね。発作が出たら困るから。』
無理をして突然発作を起こす前に知香にケアをしてもらうのは修学旅行以来知香と紀子で交わした約束である。
紀子は、知香に抱かれて哺乳瓶でミルクを飲ませてもらい、満足気な表情だった。
『知香お姉ちゃん?』
『なぁに、のりちゃん?』
紀子は幼児声のまま、知香に尋ねる。
『知香お姉ちゃん、萌絵お姉ちゃんに振られちゃったの?』
実際、別れ話を切り出したのは知香の方だが、状況を聞いた者には知香が振られたと思われている様だ。
『……うん。』
『お姉ちゃん、かわいそう……。』
『心配掛けてごめんね。お姉ちゃん、大丈夫だから。』
『ほんとに大丈夫?』
紀子が知香の目を見た。
『うん、のりちゃんがずっと一緒だし。』
『良かった……。』
紀子は突然、普段の声に戻った。
『の、紀子さん!』
紀子はむくっと起き上がった。
『知香さんはそういう事を引きずらない性格だって分かってたけど、逆に勉強ばかりで根を詰め過ぎないか心配だったの。妙に明るくなり過ぎる時は知香さんの注意信号かもね。』
明るい性格の人がなにかしらショックを受け、周囲に気付かれない様に余計明るくする事がストレスとなり鬱病に発展する場合がある。
知香がそういう危険をはらんでいた事を紀子は察知していたのだ。
『特に受験生は勉強ばかりで遊べないからストレスが溜まるばかりだしね。くれぐれも無理はしないでよ。もし試験の当日とかに体調を崩したりしたら元も子もないんだから。』
受験生は体調管理も重要なのである。
『分かった。ごめんね、心配掛けて。』
『知香さんと高木くんと3人でみど高に行くんだから。』
高木は知香が萌絵と別れた事を知ったらどう思うのだろうか?
(少なくとも自分から言ってきそうもないね。)
知香は少し落ち着いてきた様だ。
翌朝、教室でいつもの様に美久に挨拶をする。
『おはよう、美久。』
『もう大丈夫みたいね。』
毎日何気なく挨拶を交わしているだけだが、親友同士だと声のトーンなどでいつもと違うと分かる事もある。
まさしく昨日の知香はそんな感じだったのだ。
三年生は3クラスしかなく、同じフロアに並んで教室があるので当然知香と萌絵が顔を合わせる機会もある。
授業が始まる前に知香は階下の多目的トイレに行き、その帰りに階段を上がったところで奈々と一緒にいた萌絵とばったり会った。
『萌絵、奈々、おはよう。』
知香は普通に挨拶をする。
『おはよう。』
挨拶を返したのは奈々だけで、萌絵は目を合わさない様にしている。
『ごめんね、知香。』
奈々が萌絵の代わりに謝る。
『奈々、ありがと。前みたいには出来ないけど、私たち友だちなのは変わらないからね。』
知香は奈々に一度振っているが、それも過去の話で今は普通に友だちとして相対している。
萌絵の様な性格だとなかなか奈々の様に割り切っては付き合えないかもしれないが、それでも知香は萌絵の事を友だちだと言い切るのだった。
『……奈々、行こう……。』
萌絵は奈々の手を引いてC組の教室に急いだ。
奈々は知香に軽く手を振り、知香は首を縦に振って返す。
『ま、仕方ないか。』
今は受験生として萌絵が志望校に合格するのを祈る事くらいしか出来ないが、知香はそれで良いと思った。
(頑張りなよ、萌絵。)
受験は刻々と近付いてきた。




