受験生の夏休み
知香たち受験生にとって、夏休みの過ごし方は非常に大事である。
昨年に続いて、商店街の空き店舗で放課後見守り隊の小学生と一緒に勉強をする事になり、今年は紀子も加わった。
『そうなの?こうちゃんがねぇ~。』
知香はさくらやの節子にこのみの母・康子が麗の父・源一郎と再婚する事になって、このみがお嬢さまとして毎日家庭教師に扱かれている話を伝えた。
『こうちゃん、勉強嫌いだったから夏休みになると落ち着きがなくなって面白かったわ。』
このみは身体を動かす方が好きなのはよく分かる。
『来週の月曜日は一緒に病院に行くのでこうちゃんも来ますよ。』
このみとはこの場所で待ち合わせをしているのだ。
見守り隊の勉強会は五、六年生も何人か参加し、のぞみの妹のいずみも来ている。
『いずみちゃん、お姉さんらしくなったね。』
のぞみが六年生の時よりしっかりしているみたいだ。
『生徒会長のチカねぇには負けるよ。私も来年、生徒会の仕事やってみたいな。』
いずみの1学期の成績はかなり良いみたいだ。
『生徒会の役員になるには勉強も大事だけど、みんなから信頼される様にならないとね。いずみちゃんは友だち思いだから大丈夫だと思うよ。』
紀子が隣で聞いているのでちょっと気不味いが、仕方ない。
雑談が終わるとみんな静かに宿題や勉強を始めた。
去年の今頃はオリンピックの最中でみんな集中出来なかったが、今年は受験生がたくさんいるせいか真面目に取り組んでいる。
月曜日になった。
お昼に大好きな鳴海精肉店のコロッケ弁当を食べていると、このみと遥がやって来た。
『ごきげんよう、ご無沙汰しています。』
このみは清楚な服を着て髪もきれいに編み上げられている。
『このみ……お嬢さま?』
お古の洋服を着て知香に付いて回っていたこのみではなく、見事な変身振りである。
『遥ちゃん、痩せたね。』
このみのお供として付いて来た遥は頼子に扱かれて痩せたというか窶れている感じだ。
『知香さん、こんにちは。』
知香に食って掛かったあの勢いは影を潜めていた。
3人は暑い日差しの中を歩いて駅に向かい、電車に乗る。
電車の座席は空いていたが遥は座らないで知香とこのみの前で立ったままだった。
『遥ちゃん、座りなよ。』
『いえ、私は結構です。』
知香が促しても座らない。
『遥さん、座って良いですよ。』
『はい。このみお嬢さま、失礼致します。』
このみに言われてようやく遥は座った。
(飼い犬みたい。)
さすがに言えなかった。
『二人とも凄いね。』
『まだ私たちは麗お姉さまの様に出来ませんから普段の時でも意識する様に言われているのです。』
メイドの時、このみは麗に対して麗さんと言っていた筈だ。
『それは知香さんの前だからです。普段は麗お嬢さまと言ってましたから。メイドの時は使い分けが出来ていたので許されておりました。』
麗の様に語尾にですわとか付けないだけで堅っ苦しいこのみの話し方には相手の方が疲れる。
『こうちゃんなら大丈夫でしょ?』
『私より遥さんの事を考えているのです。ですから本日は同行させております。』
そうは言うが、遥は萎縮して口数が少ないのであまり意味がない様に思える。
『なんか話し辛いよ。』
『私が至らぬばかりにお嬢さまにご迷惑をお掛けして申し訳ございません。』
ようやく遥が口を開いたがずっと考えていたのだろう、棒読みだった。
『窮屈そうだね。ストレス溜まるでしょ?』
『はい。ですが、母の方が大変ですし、父も姉も私の事を思ってしてくれているので弱音は吐けません。』
『強くなったね。』
泣き虫だったこのみだがひとつ皮が剥けた様な気がする。
『ありがとうございます。私には姉が出来ましたがまだ主従関係が抜け切らないですし、知香さんは心の姉だと思っています。これからも何かありましたら相談しても宜しいでしょうか?』
『何水臭い事言ってるの?一昨年の文化祭で女の子になりたいって言った時からこうちゃんの事を妹だと思っているんだから。』
『ありがとうございます。』
知香の優しさに触れて結局このみは泣き始めた。
『んもう、泣き虫は変わらないなぁ。ずっと我慢していたんだね、偉いよ。』
『うう、ごめんなさい……。』
知香はこのみが急に変わり過ぎたら逆に寂しい気がするのでほっとした。
『そうだ、結婚式はどうするの?』
源一郎と康子は共に再婚であり、結婚式はやるのかやらないのかが気になるところだ。
『お父さまが言うには政治家が結婚式をしない訳にはいかないと言っておりました。』
涙を拭いたこのみが答える。
『いつ頃やるの?結婚したら苗字変わるんでしょ?』
このみは最初仁科康太という名前から離婚で上田康太となり、上田このみとなった。
今現在の戸籍上は仁科康太のままだが、いずれ今井康太となり手術後は今井このみと名前を変更する事になる。
更にこのみ自身が結婚したら4度も氏名が変わる事になる訳だ。
『結婚式は知香さんたちの受験が終わった来年の3月か4月になるそうです。』
『え?私たちの為に?』
『はい。知香さんを結婚式に呼ばなければやる意味がないと父も姉も申しておりました。』
このみに言われ尚更受験勉強を頑張らねばならないと知香は思った。