このみの引っ越し
『知香さん、今まで言わなかったんですけど……。』
朝の登校時、このみが神妙な顔で話し始めた。
『どうしたの?こうちゃん。』
『私、夏休みに引っ越しをするんです。』
『え、どういう事?』
月に一度の病院通いは知香と一緒だし、麗の家でのバイトもある。
そういう状況なのに引っ越しをしたらどうなってしまうのか?
『あの、母と一緒に麗さんの家に住み込みでお世話になるんです。』
『ああびっくりした。引っ越しって言っても転校する訳じゃないんだ。でもお母さんと一緒って……。』
知香はこのみの母・康子が麗の家から今の仕事場に通う事を想像した。
『母も麗さんの家で働く事になったんです。』
『なるほど、そういう事なんだ。凄いね。』
このみはわざわざ通わなくていいから好都合だろう。
『ところがですね、上西さんの話だと旦那さまが母と再婚するつもりじゃないかって言うんです。私の手術代とか全部出すなんて言っているし。』
手術に掛かる費用はタイへの渡航費や宿泊費などがパッケージになったアテンダント経由で最低200万以上になる。
日本で保険が適用になれば安く済むが、ホルモン治療をしていると保険の適用外となるためかなり高くなるのだ。
それを全部出すなどいくらこのみが働き者で旦那さまや麗さんに気に入られているといっても有り得ない。
『ふーん、そうなったらこうちゃん、麗さんの妹になるんだ。』
『そうなりますね。私に今度家庭教師を付けて勉強させるって張り切っているんです。』
そんな話を聞くと上西さんの話は邪推では無い様だ。
『こうちゃん、シンデレラじゃない?お嬢さまだよ!』
『メイドの方が気楽で良いです。』
このみらしい感想だ。
『みんなで手伝いに行かなきゃね。』
『旦那さまの口利きで引っ越し業者を手配しているのでやる事はほとんどないですよ。』
ちょっと残念な気分だ。
期末試験が終わり、1学期の終業式を迎えた。
『どうだった?』
成り行きで一緒の高校を受験しようと言った高木が声を掛けてきた。
『二年生の時とほとんど一緒かな?』
知香も紀子もほとんど4か5である。
『なんだ、こんなもんか?』
高木はオール5だった。
『なんか悔しいね。高木くん、もっと偏差値の高い学校行きなよ。』
『そ、そう言うなよ。お前たちと一緒の高校に行くって約束だろ?』
『別に私たちは一緒じゃなくても良いんだけど。』
こういう意地悪は少し楽しい。
放課後、引っ越し準備の手伝いの為このみと待ち合わせをしていたら浮かない顔でこのみがやって来た。
『どうしたの?』
『一年の時より成績下がりました……。麗さんに怒られる……。』
『怖いお姉さんだね。まあ麗さんに掛かったら私でも怒られるレベルだから。』
対抗出来るのは高木くらいだろう。
『どっちみち家庭教師付くんでしょ?2学期以降が楽しみじゃない?』
『はぁ~。』
このみはため息を付いた。
手伝いには豊と遥も合流する。
『みなさんいらっしゃい、悪いわね。』
母の康子は既に仕事は退職して引っ越し準備をしていた。
『これは処分するんですか?』
『ええ、布団や食器などは向こうの家にあるので。』
高価なものはひとつもないがどれも思い出深い布団であり食器である。
『あまり持っていくものはありませんね。』
『そうなの。出来るだけ身軽な形で来て欲しいそうなので。』
個人の部屋でも調度品に安っぽいものはなるべく避ける様に言われている。
『もしかして、上西さんが言った再婚の話って本当かもしれませんね。』
『白杉さんまで何を言うんですか?こんなおばさんを捕まえて。』
『麗さんのお父さんもたしか42歳だったと思います。知り合いでもそのくらいの新婚さんいましたよ。』
42歳の男やもめと35歳のバツイチの新婚夫婦なんて今日び珍しくもない。
『そんな事になっているんですか?じゃあ上田も……。』
整理をしていた豊と遥の手が止まった。
『そう、こうちゃんお嬢さまになるんだよ。』
『知香さん!そんな夢みたいな事あるわけ無いです。ふたりに変な話吹き込まないで下さい。』
このみが珍しく怒った。
『ごめんごめん。』
引っ越しの当日になった。
豊も遥も麗の家に行くのは初めてである。
『大きい!』
『こうちゃんこんな家に住むんですか?』
二人とも驚いて腰を抜かしそうな感じだ。
インターホンを鳴らし、家の中に入るともう引っ越し業者が荷物を運び終わっていた。
『みんなわざわざありがとうございます。こちらが私の部屋です。』
知香もこの家の2階に上がるのは初めてである。
『お城みたいだね。』
2階へは広い螺旋階段になっていて絨毯が敷き詰められているので結婚式場の様だ。
『どうぞ。』
『何これ?』
部屋には天蓋こそ無いが高級そうなベッドに勉強用の机と大きな本棚、ソファーとテーブルがあり、いち使用人の部屋には思えない。
『見て下さい、クローゼットが凄いんです。』
所謂ウォークインクローゼットなのだが洋服がたくさん掛けられている。
『本当にお嬢さまの部屋だね。』
『こんな部屋じゃ寝られないです。』
上西の話はますます信憑性が増してきた様だ。




