バレンタイン
連休新しい一週間のスタートである。
が、知香はまた悪夢を見た。
内容は初夢の時と同じだったが前より登場人物が増えていた。
(自分はまだ男の子で居たいと言う意識があるのかも?)
起きて夢だと分かった時にそう思った。
先週末同様、[親衛隊]と共に登校する。
少し違うのが最初から菊池奈々が一緒だという事である。
奈々は[知之]に惚れていたかもしれないと美久が言っていたが、もしそうだったとしたら今の知香に対してはどう思っているのだろうか?
『だいたいなんで最初から私に言ってくれないのよ!』
ずっとこんな感じで文句を言っている。
知香の自宅にまで来るのは他にいつも沈着冷静なはずみと物静かな萌絵の二人だったので余計にうるさい。
『今日、病院に行くんだっけ?』
はずみが聞いてきた。
『うん、先月の診断結果が出るかもしれないって。』
委員会に掛けて性同一性障害の治療が相当か判断が下されるらしい。
と言っても、知香の場合はいきなり女性ホルモンでは無く男性ホルモンを抑えるアンチアンドロゲンの投与から始まるとの事である。
『…怖くない?』
萌絵が自分の事の様に怯えた様子で聞く。
『大丈夫。自分が決めた事だし。』
と強がってはみたものの、今朝の夢が気になる。
『チカちゃん、強いね。』
最近良く言われる言葉ではあるけれど、知香自身は自分程弱い人間は居ないとさえ思っている。
教室では、親衛隊以外の女の子からも会話をする様になり、親衛隊が目を光らせているせいか男子もからかう訳でも無く普通に挨拶を交わしていた。
女子の会話の中心は専ら翌々日のバレンタインデーである。
[知之]の時は雪菜にしか貰った事が無かったし今のクラスでは無縁だと思っている。
『チカならいっぱい貰えると思うよ。』
そう美久に言われるがピンと来ない。
『やっぱり私、男の子って事?』
『そうじゃ無くて友チョコだよ。』
『友チョコ?』
『最近は男の子にあげるより女の子の友だちにあげる方が多いんだから。』
そうか、じゃあ自分もみんなの分用意しなきゃと知香は思う。
午後になり学校を早退した知香は迎えに来た母に聞いてみる。
『バレンタインのチョコ買いたいんだけど。』
『もう好きな男の子出来たの?』
『違うよ、友チョコだって。』
由美子は既に友チョコが主流であるのは知っていたが、わざと知香をからかった。
『一昨日手伝いしてくれたから良いわよ。帰りにOのエキナカに寄りましょう。いくつ位買うの?』
『ユッキーに美久、はずみん、のぞみん、やぎっち、奈々ちゃん…六人かな?』
知香は指折り数えた。
『一昨日来たいずみちゃんにもあげたら?あの子、ともちゃんにぞっこんみたいだし。』
『後…おとうさんとおかあさんにも。』
『あら、嬉しい。ともちゃんチョコね!でもおとうさんまだ納得し切れてないみたいけど受け取ってくれるかな?』
『そしたらおかあさんもう一つ食べて。』
『おかあさん太らすつもり?』
母娘の会話が弾んだ。
バレンタインの当日、ランドセルに入りきらないので手提げ袋にチョコを入れた。
『ホントは学校に持っていったらダメみたいだけどね。』
『みんな持っていくんでしょ?』
母の方が浮かれている感じだった。
いつもより早い時間にインターホンが鳴り、慌てて準備をすると、萌絵が一人迎えに来ていた。
『やぎっち、おはよう。』
『……お、おはよう。……これチカちゃんに……。』
包装が市販のものでは無く手作りの様だった。
『これ、もしかしてやぎっちが作ったの?』
『……うん。チカちゃんだけに…』
まさか本命?知香は驚いて萌絵の顔を見た。
萌絵は顔を赤らめていた。
『あ、ありがと。』
貰ったチョコを家に入れて戻ってくると、はずみと奈々が来ていた。
『やぎっち〜、アンタまさか、抜けがけした訳じゃ無いでしょうね?』
奈々が萌絵を問い詰める。
『止めなよ、なんにも貰って無いし。』
知香は言った後で(これではチョコを貰ったと言っている様なもの?)と地雷を踏んだ思いがあったが、奈々は気付かなかった。
『はい、これ。』
三人にチョコを渡す。
『わぁ、ありがとう!』
『クラスに戻れる様になったのもみんなのおかげだから。ありがとうね。』
次に寄ったのぞみの家でものぞみといずみに渡した。
『わぁ、チカねぇ!ありがとう!』
『のぞみん、チカに妹取られちゃうんじゃない?』
はずみがのぞみに言った。
『うーん、一昨日、いずみってばチカと結婚したいって言ってたしなぁ…。』
のぞみの言葉に萌絵が反応した。
『ダメよ!チカは私が目を付けたんだから!』
奈々がいずみに釘を刺すが
『何あんた三年生にケンカ売ってんの?』
とはずみが呆れ返って止めた。
最後は美久の家である。
美久もみんなにチョコを用意していた。
『チカ、山本先生の分は?』
学校に持って行けないという建前があるので世話になった保健室の山本先生の分は用意していなかった。
『そんなの大丈夫よ。私、毎年渡しているし。先生甘いの好きだから喜ぶよ。』
こういう事に美久は抜け目が無い。
『私の分は良いから山本先生に上げなよ。』
『なに美久ばっかり良い子ぶってんのよ!』
再び奈々が食い付いてきた。
バカ正直にチョコを用意していなかったので怒り心頭だ。
教室に入り、知香が机の中を見るといくつかチョコが入っている。
数えてみると五つメッセージ付きのチョコがあり、知らない名前のものもあった。
隣の二組の子だろうか?
先日の知香の演説を聞いてのものかもしれない。
それを見ていた数人の男子生徒が指を加えて見ている。
『なんだよ、お前、女のくせに何チョコなんか貰ってるんだよ!』
黒川がからかう。
以前男のくせにと言ってバカにしたヤツが今度は女のくせにと言って来る。
『欲しいんだ?私のあげても良いよ。』
逆に挑発してみた。
『いるかよ、ば〜か!』
知香の完全勝利である。
『チカ、すご〜い!』
女子は大騒ぎで知香を称え、男子はただ驚いて声を出せなかった。
放課後、下駄箱の中にはさらに十個チョコが入っていた。
そのうちの四つは男子からの逆チョコだった。