アイドル紀子ちゃん
知香と美久が紀子が移ったという大部屋に行ってみると、美久の母の美子が勝子と話をしていた。
『お母さん、大部屋なんて大丈夫なの?』
美久も美子から紀子の容態は聞いていたので、記憶が戻るまでずっと個室に居るものだと思っていた。
『大部屋だといろいろな人と触れるから刺激が強いでしょ?その方が記憶を取り戻せるかもしれないの。』
精神科の先生の判断らしい。
『でもここに面会の人が来て、高野さんの事学校のみんなに知られちゃうかもしれないよ?』
『今この部屋に居る患者さんのお子さんやお孫さんに中学生は居ないわよ。どちらにしてもナースステーションでチェックするから大丈夫。』
美久と美子が言い争っていると、勝子が話を割って入ってきた。
『原田さんの娘さんですね。わざわざありがとうございます。』
美久は肝心な勝子への挨拶を忘れていた。
『あ、すみません。二年A組の原田美久です。』
その間に知香は紀子のベッドに居た。
『こんにちは、のりちゃん。』
『知香お姉ちゃん、こんにちは!』
『おっきいお部屋だね、みんな一緒で大丈夫かな?』
『うん、おばちゃんたち、みんな紀子に優しいの。お菓子いっぱい貰っちゃった。』
知香は他のベッドを見渡すと、みんな優しそうな笑顔で紀子を見ていた。
ここの患者さんは紀子が記憶喪失で幼児化してしまった事を知っている様だ。
『今日はね、お姉ちゃんのお友だちも一緒なの。』
知香は美久を呼んだ。
『こんにちは。原田美久です。のりちゃん、宜しくね。』
『こんにちは!美久お姉ちゃん、看護婦さんと同じ原田さんなの?』
紀子が看護師では無く看護婦と言っているのは幼児の頃の知識だからなのだろう。
『そうよ、私のお母さんなの。』
『そうなんだ!美久お姉ちゃんも大人になったら看護婦さんになるの?』
美久と紀子は今まで一緒のクラスだった事は無いから美久が看護師を目指しているなど知るよしもない。
それなのに、自分が看護師になると言われて幼児の紀子が可愛く思えた。
『結構洞察力が鋭いみたいね。』
『子どもってそういう所あるからね。』
知香と美久は紀子の感性も幼児化しているのではないかと思った。
『のりちゃん、また屋上行こっか!』
『わぁい、車イスまた知香お姉ちゃんが押してくれるんだよね。』
知香の押す車イスがお気に入りの紀子だった。
『行ってらっしゃい。』
部屋の患者たちが紀子に手を振る。
『行ってきま~す!』
紀子も手を振り返し、部屋を出ていく。
『なんか麗さんを見ている様だね。車イスの扱いが半端ない。』
車イスを押すのにそんなコツがあるとは思えないが、紀子は気分良く回りを見渡していた。
『知香お姉ちゃん、保育園の先生みたい。』
『そう?じゃ、保育園の先生になろうかな?でも私が先生になった頃はのりちゃん学校に行ってるね。』
今の紀子の精神年齢で想定すると知香が社会に出る頃は小学校に上がるという意味で話したが、それより早く治ってちゃんと中学生の紀子として戻って欲しいという意味もある。
『のりちゃんは大きくなったら何になりたいの?』
『アイドル!』
紀子の性格を考えたら納得出来る夢だ。
『じゃあさ、早く怪我を治して元気になろうね。』
『うん。』
知香は自分でも保育士という職業が合いそうな気がしてきた。
土曜日になった。
萌絵が膨れるので1日中病院に居る訳にはいかず、午前中は萌絵とデートだ。
『最近のりちゃんのりちゃんって知香極端だよ。あれだけ敵対していたのに。』
『でもね、のりちゃん可愛いんだよ。昨日なんかみんなの前で昔のアイドルの歌歌ったり……。』
知香の言うのりちゃんは萌絵たちが教室で見ていた紀子と同一人物だが全く違う人格と言ってよい。
しかし、萌絵はそれを理解出来ずに焼きもちを妬くのであった。
『もぉ良い!帰る!』
『八木っち怒らせたの?まずいんじゃない?』
萌絵の怒った姿を見た事が無い美久は心配した。
『まぁ最近生徒会も忙しいし、のりちゃんばかり気にしているからね。』
知香も分かっているが仕方無い。
萌絵も駄々っ子の様なものだ。
『あ、知香お姉ちゃん、美久お姉ちゃん!』
『こんにちは、のりちゃん良い子にしてた?』
『のりこ、良い子だったよね。』
回りの患者さんに聞いて良い子だったとアピールする。
『じゃあ良い子ののりちゃんにおみやげ!』
知香は持ってきたモニター付きのDVDプレイヤーとDVDソフトを見せる。
『わぁ、セーラーファイブだぁ!』
紀子はセーラーファイブのパッケージを見て喜んだ。
知香はネット通販でDVDを手に入れたのだ。
(私も見たかったんだけどね。)
知香はベッドに乗り、紀子を抱くように座るが実際は本当の幼児では無いので背丈がほぼ一緒だ。
(この体勢だと私は見えないな。)
結局自分は観るのを諦め、喜ぶ紀子を見ていた。
『のりちゃん、良かったねぇ~。』
隣のベッドの患者さんから声を掛けられる。
『うん。』
幼児退行の原因はいろいろあるが、親の期待に応えたいあまり良い子を演じる事でストレスが生じて起こる事が多い。
たぶん、紀子の本質は素直なんだと思うが、次第に親に認められる様に努力しているうちに知らず知らずストレスがたまってしまったのだろう。
『あら、のりちゃん。良いの観てるねぇ~。』
美久の母・美子がやって来た。
『うん、知香お姉ちゃんが持って来てくれたの。』
『良かったねぇ~。』
『美久、ともちゃんに負けてるんじゃない?』
小学生の頃から将来看護師になるため保健係としてクラスメイトの世話をしていた美久だが、知香と紀子の世界に入り込めずに黙って見ているだけだった。
『チカは保育士になるみたいだから任せてるんだよ。』
『そうなの?ともちゃんは保育士かぁ。似合いそうね。』
『違うよ、知香お姉ちゃんは保母さんになるんだよ。』
紀子の幼児時代には保育士という言葉が無かったので保母さんと言い張る。
そこに、若い看護師が走って来た。
『師長、高野紀子さんに面会したいって言う生徒さんが来ました。』
学校では紀子はまだ面会謝絶になっていると生徒たちには言っていた筈である。
『誰なんだろう?』
思い当たる節は全く無かった。




