はずみの記録会
毎年、ゴールデンウィークに中学の陸上記録会が行なわれる。
はずみは短距離より長距離の方が得意らしく、一年生の体育祭で知香と一緒に走った1500メートル走にエントリーしていた。
知香は[雪奈と応援に行くから頑張れー]とはずみに連絡していた。
知香は毎月ジェンダークリニックに通っているが、4ヶ月に一度は先生の指示で県内の大学病院で検査を受けている。
記録会はその大学病院の直ぐそばの競技場で行なわれるので知香には馴染みがある場所と言える。
『こんなに近いんだ?』
ハンドルを握る由美子はカーナビで調べて分かっていたが、知香は興奮状態で雪奈と女装した一郎に伝えた。
『今日の一郎くんは特に気合い入っているみたいね。』
雪奈に言われたが、気合いが入っているのは一郎では無く由美子と知香であった。
ずっと親として知香を見てきた由美子が一郎に施したメイクは知香の特徴を捉えている。
『雪奈ちゃんといっちゃんが立ったまま横に並ばないでね。』
一郎は知香と10センチ近く身長差があるので雪奈と並ぶとバレる可能性がある。
雪奈と一郎は観客席の階段を少し間を置いて歩き、席に座った。
一郎は後から付いてきた由美子に寄り添う様にしている。
知香はかなり離れた場所に居てカメラを構えるが、いつものミラーレスカメラは小さくて顔を隠せない為美久の一眼レフを借りる念の入れ様だ。
知香がアップを終えたはずみを見ると、はずみが客席の雪奈たちに手を振っていた。
(バレて無いみたいだ。)
はずみが雪奈たちに手を振る姿を撮影して知香も準備は万端である。
1500メートル走はトラックを3周半程走っていくので撮影のチャンスも多い。
最初のスタートこそ横一線であったが1周、2周と走っていくうちに速い選手から離されて行き、撮影するには好都合だ。
はずみも最初こそ先頭グループにしがみついていたが、だんだん突き放されてしまう。
3周目となり、スタンドからもはずみが肩で息をして苦しい表情なのが分かった。
(はずみん、頑張れ!)
一緒に走った体育祭でははずみのリードで知香も頑張れたのでカメラを構えながら必死に応援する。
その時、女装した一郎が立ち上がった。
『はずみ!もう少しだ、頑張れ!』
(あ、バカ!声出したらバレるでしょ!)
変声期を過ぎた一郎の声は低く、突然女子生徒が立ち上がったと思ったら野太い声で応援した為に周りの観客がざわめいた。
走りながらへろへろになっていたはずみが一郎に気付いた様だが、応援に応えラストスパートをかける。
『何位だった?』
走り終わった後はずみの元へ駆け寄り、結果を聞いた。
『平凡なタイムだけど、自分的には5分30秒が目標だったからね。最後粘れたから良かったよ。』
グループ20人の中では、5位に入ったが、全体では128人中55位という結果でタイムは5分24秒36と目標を上回った。
『ありがとう。いっちゃんの応援のお陰だよ。』
一郎は照れて、知香と雪奈が冷やかす。
『あ~あ、見てらんないよ。来るなとか言ってたくせに。』
『いや、最初から分かってたら緊張して力出せなかったし。おかしいとは思ったんだけど。』
はずみは正直に言った。
『これからはチカが来るだけでいっちゃんと区別が出来なくなって緊張するかもしれないからチカも来ちゃダメだからね。』
『なに、私出入り禁止?それよりメンタル鍛えなよ!』
結果オーライである。
他の陸上部員と一緒のはずみを残し、知香たちは由美子の運転で帰路に着く。
『お母さん、病院の前通る?』
『通るわよ。直ぐそこだし。』
ゴールデンウィークで人は少ないが大学病院だけあってかなり大きい。
『ともちここで手術するの?』
『分かんない。今はまだ20歳にならないと手術受けられないみたいなんだけど、特例が認められるかもしれないんだって。でも、保険が効かないし日本よりタイの方が技術的にも上だからでタイで手術受けるかもしれない。』
雪奈の質問に答える知香だった。
現在の性同一性障害のガイドラインではホルモン治療は15歳以上、睾丸摘出及び膣形成手術は20歳以上とされているが、法律上ホルモン治療を行なっている場合保険が適用されないという。
それなら性適合手術においては一日の長があるタイの病院で手術を受ける方が安くて良い結果が得られやすいが、反面手術後の異常があった場合アフターケアが難しいというリスクもある。
『18歳かぁ。高3なんて結構先だよね。20歳なんて想像出来ないし。』
まだ14歳になるかならないかでは4年先を考えるには遠すぎる。
もしかすると4年後は保険も普通に適用されて18歳でも普通に手術を受けられる様になっているかもしれない。
『そうなれば良いな。』
一郎は言葉は少ないが、優しい従兄弟である。
『その後、いっちゃんとはずみんの結婚式だからね。着物とドレス、どっちが良いかな?』
『いくらなんでも早すぎだろ?!』
『その気は充分みたいだね。楽しみだよ。』
帰りの車は賑やかだった。




